梅原昭子

地域伴走型アーティスト。人や組織の内側からの変革と調和に関心があり、多層多様な役割をか…

梅原昭子

地域伴走型アーティスト。人や組織の内側からの変革と調和に関心があり、多層多様な役割をかけもちしながら生きています。

マガジン

  • しんくうのれん教室

    「原子力技術といきものの幸せな共存は可能か?」という問いを立てて、東京都市大学原子力研究所とWENの協力を得て開いている小さな場を広く世界にひらくマガジンです。

  • 野草と。

    そこにあるものを生かす、使うしかないという、生活と芸術の間から生まれた、とてもいい加減な野草との暮らし。ここから見える風景や気づきなどを徒然にまとめるマガジンを始めます。

  • 自治と自知

    自治について考え続けています。つながることは苦しい、めんどくさい、そういう負の側面を体感しながらも、群れて生きる楽しさが人間的だと感じる今日この頃。地域住民同士の、つながりや絆の輪は小さくたくさんあると良い。地域を超えたつながりは、小さく深くあると良い。そんな仮説から、折々に考えたことを綴ります。

記事一覧

しんくうのれん教室vol.3 原研の森を歩く

今年実験的に始めた「しんくうのれん教室」の3回目を終えて、何かがちょっと定まった感じがするので、記録を兼ねてマガジンをはじめることにした。 私は、生きていくため…

梅原昭子
5日前
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どくだみと。

身近な野草、薬草の代表といえば「どくだみ」である、と思う。 つきあいはそれなりに長いが、しかし、その特性を活かしきっているかと言えば、まだまだだ。 今年は特に気…

梅原昭子
5日前

茗荷と。

——茗荷を茗荷で包む。 ただそれだけのことをやってみた。 やってみたら、茗荷の美しく艶やかな葉っぱは、このために存在したのかなと思えてくる不思議。 「ない」は最…

梅原昭子
2週間前

よもぎと。

noteを開始しようと思ってから急に請負仕事が忙しくなり、ついうっかり、ひと月が経ってしまった。ようやく一息ついたので、「野草と。」シリーズ他、ぼちぼち書いていきま…

梅原昭子
2週間前
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野草と。

そこにあるものを生かす、使うしかないという、生活と芸術の間から生まれた、とてもいい加減な野草との暮らし。ここから見える風景や気づきなどを徒然にまとめるマガジンを…

梅原昭子
2か月前
1

自己紹介

地域伴走型アーティスト。 1976年生まれ。aruto702代表。 大学で心理学を学び、小さな精神科クリニックで受付を経験した後、病む人より社会の仕組みを治した方がいいのでは…

梅原昭子
2か月前
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しんくうのれん教室vol.3 原研の森を歩く

今年実験的に始めた「しんくうのれん教室」の3回目を終えて、何かがちょっと定まった感じがするので、記録を兼ねてマガジンをはじめることにした。 私は、生きていくために必要な、電気・水道・ガスといったインフラが好きなんだなということに、大人になってから気がついた。気がついたけれども既存の巨大なエネルギーシステムの中に、私の居場所はないように見える。ないように見えるけれども関わりたい。関われるはずだ。 「しんくうのれん教室」は、そんなことを思って始めた場である。 今回は、原研(

どくだみと。

身近な野草、薬草の代表といえば「どくだみ」である、と思う。 つきあいはそれなりに長いが、しかし、その特性を活かしきっているかと言えば、まだまだだ。 今年は特に気温が高く雨も多いせいなのか、9月になってもどくだみがまた元気に生えてくるなと感じる。最盛期は5、6月で、花が咲いた後、一時勢いを失くしていったのに、最近、またよく現れるので、おや?と思った。 これまでも、そうだったのか?ただ私が気が付かなかっただけなのか?定かではない。何事も見えるようになると見える、在るがくっきり

茗荷と。

——茗荷を茗荷で包む。 ただそれだけのことをやってみた。 やってみたら、茗荷の美しく艶やかな葉っぱは、このために存在したのかなと思えてくる不思議。 「ない」は最大の発明とはいうが、ビニール袋や新聞紙などを持っていくのをうっかり忘れた時こそ、「野草と。」は発動する。 発見してしまえば、なんてことないのだが、こんなシンプルなことに気がつくのに驚くほど時間がかかってしまったではないか!目って本当に節穴だなとこういう時に思う。 文明を否定はしない。が、しかし、便利な文明によっ

よもぎと。

noteを開始しようと思ってから急に請負仕事が忙しくなり、ついうっかり、ひと月が経ってしまった。ようやく一息ついたので、「野草と。」シリーズ他、ぼちぼち書いていきます。 … 今年(2024年)に入って、「よもぎ」との相性がなんかすごく良いのではないかと感じるようになっている。近くに借りている畑でも、よもぎゾーンが欲しいなと思ってよもぎ畝を一列作ったところ、見た目もいいし、取り放題になるしといいことづくめ。 その景色を見ているだけでも割と満足なのだが、大量に採れるようになっ

野草と。

そこにあるものを生かす、使うしかないという、生活と芸術の間から生まれた、とてもいい加減な野草との暮らし。ここから見える風景や気づきなどを徒然にまとめるマガジンを始めます。 wikipediaによると、 …………………. 限界芸術(げんかいげいじゅつ)とは、哲学者の鶴見俊輔が、芸術と生活の境界線上に位置する広大な領域、専門的芸術家によるのでなく、非専門的芸術家によって作られ大衆によって享受される芸術を指していったもの[1]。鶴見は、芸術を、「純粋芸術」、「大衆芸術」、「限界芸

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自己紹介

地域伴走型アーティスト。 1976年生まれ。aruto702代表。 大学で心理学を学び、小さな精神科クリニックで受付を経験した後、病む人より社会の仕組みを治した方がいいのでは?という問いから、足元の地域に降りて溶け込んでいく生き方を選択。人や組織の内側からの変革と調和に関心があります。 「そこにあるものをみる/そこにあるものでつくる/そこにいるひととやる」「自然界に習い、他者と生きることがアート」 「複雑なわたしを複雑なまま生きる」 という考えから、多層多様な役割をかけも