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ただ小説を書いている事をぐだぐだ語りたかった

私が確か小学生くらいだっただろうか。

父が二冊の文庫本を買ってくれた。

私が選んだのは、宗田理のぼくらシリーズ(どの本だったかは忘れたけど。)と、赤川次郎の「殺人よ、こんにちは」だった。

読んでかなり影響された私は、似たような物語を書いてみようとした。

いつだって私は、映画や小説などを見て、影響されると、こんな物語を作りたいと夢見てきたものだった。

それが出来ないというか、自分には書く事が向いてないと放りだしたのは、十代後半だっただろうか。とにかく諦めた事だけは覚えている。

だけど、その後も多分書いていたと思う。記憶が曖昧でよく覚えてないけど。

いつしか私は、自分という読者のために小説を書くようになった。自分が想像出来ている部分はろくに描写もせず、自己中心的な世界に浸っていた。

人が見る用の小説も書いてはいたけど、完成させたものは一つだけだった。

とにかく私は書き始めると、壮大で長く書かねばならないと受け止めてしまい、完成させるのが困難になっていた。

ある時、即興小説トレーニングというサイトで、即興小説を書いたブロガーさんがいて、ブログにコメントを書いてみると、私も作ってみる事を勧められ、短編を書いて、ブログにアップした。

褒められた。それまでブログに小説を載せる事を避けてきた私が、初めてブログに載せた小説に、そんな反応がもらえるなんて!

私は調子に乗って、その後、即興小説トレーニングで二つ書いて、ブログに上げた。でも、それからの私はまた自己中小説を書くのに浸りきったのだけど。

その後、人が見る用の小説を書くきっかけになったのが、「ブログで付き合いのある人を主人公にして、短文で最後ハッピーエンドで書いてみたら」というコメントがブログに来た事だった。その言った当人が自分を主人公にというリクエストがあって、書き始めたものの…。

難しいっ。難しいぞ。難しすぎる。ひねり出してもこんなのしか書けなかった…。

と、断片的な文章だけ残り、しょうがない、ブログのネタにするかと、そんなに深く考えず、ボツになった文章を載せた。

すると、続きを読みたいというリクエストがあり、それから数日、他のブログも見ず、ただひたすら書いては直し、書いては直しを繰り返していた。

短文という事で、私は書きながらラストを考えていき、ラストに行き着くように書こうとしたが、なかなか上手くいかない。

主人公をどん底にたたき落とす展開も考えないではなかったが、あるブロガーさんの息子さんが言っていた、

「自分が言ったことは自分に返ってくる」

という言葉が頭の中をよぎって、どん底に落とすのはやめようという気持ちになった。

上に書いたように、自然とラストをぼんやり考えて、そっちに向かうように書くを繰り返していると、これはいけるんじゃないかと思う文章が出来上がっていき、私が大体思った展開に収まった。

書き終わったのは夜中だった。

達成感に包まれた私は、早速ブログに載せた。

私が調子に乗るくらい、反応が良かった。

大した事が書けないと今までずっと悩んでいた私だけど、そんな私でも、小説を最後まで書けた。人がいいと言ってくれる小説が書けた。それだけで十分なんじゃないか。

十代の後半に諦めた私がアラフォーになって少し花を咲かせている。

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