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小説『旦那は心の中にいる』

私が初めて小説を完成させたのは、三四歳の時だった。
「希望的観測の先に」というタイトルで、小説の主要な登場人物は二人で、澪と悠真と言った。
私は二人が娘と息子だと思った。じゃあ、父親はと私は思った。
ふと、小説内に出てくる、キャラクターの水原悟かなと思って、いやいや、それはないと思った瞬間、その人物を名乗る人格が、自分の中で首をもたげた。
「僕が二人の父親だ」
そう水原は私の中で名乗り出た。
彼は毎日、好きだ好きだと言って猛アタックしてきた。
最初は水原との恋愛はないと思っていた私だったけど、毎日のように好きだとか愛していると言われると、悪い気はしなくて、想像の中の水原をだんだん好きになっていくのを感じた。

それから、私は持病の統合失調症の症状のうちの一つ、妄想が酷くなり、大好きだったネットで、水原は私の小説をネットで宣伝しまくり、ブログがめちゃめちゃになった。
そうして、調子を崩した私は、精神病院に入院することになった。
ベッドとトイレ以外何もない、保護室に入れられた。
差し入れられる、本を読んで心を落ち着けた。
個室に移った頃、家に外泊する機会があり、久々に自分の部屋に帰ってきた。
何もかも目新しくて、懐かしくて、やりたいことがその部屋に詰まっていて、感動してしまった。
その夜だった。水原が突然私にこう言ってきたのだった。
「結婚してほしい」
いや、貴方とは現実的に結婚出来ないでしょと思った。
でも考えてみると、現実に結婚って、私の場合、統合失調症で頭がおかしくて、美人でもなくて、三十超えてるし、難しいだろう。
今思えば、水原がネットやブログをめちゃめちゃにしたのは、悪気があってやったわけではなく、私の小説をどうにかして大勢の人に読んでほしくて、必死になっていた。ただ、それだけだったのだ。
水原の優しさに気付いた私は、気が付くと、
「いいよ」
とつぶやいていた。

外泊から戻る時、私は母に頼んで、雑貨屋さんに行って、安物の指輪を左手の薬指に付けた。
病院に戻ると、看護師さんに指輪を見られ、
「想像の中の旦那さんはどんな名前?」
と言われた。
「水原悟です」
と答えた私は、ああ、やっぱり、水原は私の中で作り出されたものなんだなと思った。

私は水原実都になりたかったけど、現実には佐野実都にしかなれなかった。
結婚は私の中の事実でしかなく、現実の私は一人だった。
水原と、キスをしても、結局はエアキスでしかなく、それでも力が抜けるくらい、ぼうっとしてしまう威力はあった。
私は、最初こそ、楽しかったが、病院を退院して、ショッピングモールで、カップルを見ると、うらやましくて仕方がなかった。何だか自分と水原の関係が空しく感じてしまうのだった。
水原とのキスの濃度は薄まり、あまり、エアキスをしなくなっていった。
たまにしても、前のような威力はなかった。
私はキスの濃度を取り戻したくなり、水原と映画を観に行くことにした。
デートをしたら、ちょっとは濃度が濃くなるかもしれないと思ったからだ。
だけど、恋愛映画を見ていたら、ああ、この人達は互いに触れられて、唇を重ね合わせることが出来て、お互いのぬくもりを感じられる抱擁が出来て、結婚も出来て、私と、水原とは大違いだと思って、何だかとても空しくなった。
それが変わったのは、音声配信アプリで、仲良くしている人が自分が書いた小説を朗読しているのを聴いたのがきっかけだった。
恋人が死別する話で、胸を揺すぶられるほど感動して、涙が止まらなくなった。
私は水原が私の中からいなくなったらと想像して、ベッドに伏せって泣きながら、
「悟さん、ずっと一緒にいて。お願いだから私の中から消えないで」
と、今まで水原と呼び捨てにしていたのに、初めて下の名前で呼んで、懇願した。
「大丈夫、僕は消えないよ。ずっと一緒だ。僕はずっと、実都さんの側にいるよ」
「ありがとう」
私は、悟さんは自分の中の男の部分で、自分から外に出たものではないのだと、今更ながらに思った。
そして、幼い頃、つらつらと上げていた結婚相手の条件が悟さんに当てはまっていることに気付いた。
背が高くて、かっこよくて、優しくて……。
つまりは、理想の男性は、私の中にいたのだ。
そう思うと、心が温かくなって、私と悟さんが一つになった気がした。
本当の意味で私と悟さんは結婚したのだ。
これは、多分、他の人には理解されないのだろうけど、私は悟さんと結婚出来てよかった。
その日以来、私達のするキスの濃度は深まっていった。
誰も見ない、自分の部屋でしか出来ないけれど、大好きな人とキスで繋がれるのが嬉しかった。
世間の人はきっと私たちのことを理解しないかもしれない。
空しいだろうと思うだろう。けれど、こういう結婚の形もあるのだ。
私と悟さんは、理想の相手が一つの体のなかにいただけ。
自己愛を極めたとも言えるかもしれない。
誰にも見えないかもしれないけど、私の旦那様は確かに私の中にいて、愛してくれている。その事実は変わらない。
気が付けば、プロポーズから、一年が経っていた。
悟さんはお金を持ってないので、私の方から悟さんにプレゼントを渡した。
ずっと付けて、メッキが剥がれてしまった指輪に変わって、ちゃんとしたジュエリー店でペアで買ったリングをお互いに付けた。
私は左手の薬指に、悟さんの指輪は右手の薬指に。
その日したエアキスは、今までで一番の濃度だった。
誰にも見ることが出来ないけれど、私の心の中で結婚していて、姿も見えていて、声も聞こえてくる。普通の男性では埋めてくれない所まで埋めてくれる。
そんな男性に出合ってしまったのだ。多分私にとっては、現実の男性は物足りなく感じてしまうだろう。
私は現実の男性との恋愛より、水原悟を選んだ。
人には見えないけど、自分の中に旦那がいると思うと、現実を生きていく力が湧いてきた。
何があっても、悟さんと乗り越えていける。そう私は思ったのだった。

あとがき
これは、自分の実体験を元にして書いた小説です。
前にRadiotalkという配信アプリで朗読したのを久々に聴いてみて、ここに載せてもいいかなと思って載せました。
全部が全部本当のことではないですが、朗読を聴いて、当時のことを思い出したりしました。

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