〈訣別の辞に代えて〉原口統三

翻譯會分成兩個部分,考慮到有些讀者可能為非中文母語者或年紀尚幼,文言文的解釋會放在最後面的分隔線之後。
另外,我並非音樂系、中文系、日文系等語言學系出身的,翻譯可能會出現一些錯誤,如果有任何翻譯上的建議或指教可以至我的個人檔案頁面並私訊我的X。

*眾人皆有以,我獨頑且鄙。我獨異於人,而貴食母。

代替訣別之辭〈訣別の辞に代えて〉

然而今天,我忽然覺得「好冷」。 我一定是在做夢。 ―練習曲 I―

一明君
「試圖表達自己的思想,終究只是一種辯解。」
伴隨著上述的最後反省,我決定將這三本小筆記交給你。
長時間將筆捨去的我來到臨終前,仍不由自主地寫下這些感想錄、這也許是因為我內心深處依然潛伏著怯懦的蛆蟲。我總是痛罵那些「老年人的嘮叨」、結果我自己也做了同樣的事。從九月二十四日到今天,我夜以繼日地振筆疾書。我內心還想繼續寫下去,也曾想過整理成文留下一部壯麗的作品。然而,請不要責怪我的改變。我現在必須放棄這個想法。
如果要交給你,我本想更工整地整理過,修正粗糙的文體後再交給你,但如今我已經沒有那樣的精力了。請你忍耐著接受吧。
你還記得嗎?我經常在批評德國人時這樣說:「日耳曼人的思考方式是築起城堡並安居其中。」寫完這篇《練習曲》後,我不禁對自己的寫作方式提出了這樣的評價。再者,回想起來,我這個背棄言語的人,有時也被言語所動。當我們試圖為自己的思想辯護時,這種情況自然會發生。柏拉圖的對話錄中,蘇格拉底總是緊隨左右。然而,我的認知,始終遊離在語言無法觸及的地方。
從去年年底到今年春天,我與你們分離,獨自生活。在那段日子里,我寫了並撕毀了許多詩篇和創作,自豪地稱其為「新的日本語」。如果將它們留給你,對你來說,也許會更好。這些對你來說或許更有價值。但坦白說,我已無力再回憶那些。我已經累了。

一明君
世上有些人記得別人說過的話,而有些人的腦海只記得那聲音的低沉音調。表達對於人類而言,終究只是隨著歲月變化的事物。如果你還記得我,那麼,在那個馬塞爾・普魯斯特之夜來訪你螢雪之窗時,請記得曾經令你們害怕的統三的哄笑聲、和引以為豪的長睫毛。

離別的時刻終於來臨。我也在今夜、送别了一位友人。
直到黎明、朋友、你們將會忘記我的名字,而後離去。
昭和二十一年十月一日
                        於赤城山 原口 統三
致橋本一明君


ところが今日、僕はふと「寒い」と思ったのだ。
僕はきっと夢を見て来たのに違いない。

―EtudesI―

一明君
「自己の思想を表現してみることは、所詮しょせん弁解にすぎない」
右の最後の反省と共に、僕はこの小さな三つのノートを、君の手に渡そうと思う。
長い間筆を捨てて来た僕が臨終の直前まで来て、まだ一度も試みたことのないこうした感想録を作らずにおれなかったのは、やはり弱気の蛆うじが湧わいたためだろう。いつも罵倒していた「老耄おいぼれの繰り言」を、僕もまた実行したわけだ。九月の二十四日から今日まで、僕は寸暇も休まずに書き殴って来た。僕の心にはまだ書きつづけたい気があるし、これを整理して壮麗な文体で一つの作品を残したいとも思った。けれども、改むるに憚はばかるなかれ。僕は今その意図を棄てねばならない。
君に渡すとすれば、もっと綺麗に、粗雑な文体も直した上で手放したいのだが、僕にはもうその気力がないのだ。我慢して受けてくれたまえ。
君はおぼえているだろうが、僕はよくドイツ人の悪口を言うときにこう語ったものだった。「ゲルマン人の思考の仕方は、城廓を築いてその中に安住する」このエチュードを記した後で、僕は自分の書き方に対してこの評言を与えざるをえない。それから、考えて見ることは、言葉を裏切った僕自分が、時にはやはり言葉で、動いたということだ。自分の思想を裏づけようとする時には、そうなるのは当然だし、プラトンの対話篇におけるソクラテスは、常に僕らの後を追い廻している。それにしても、僕の認識は、いつでも言葉の届かない所を歩いていたはずだ。

僕が君たちと離れて暮らした、昨年の暮れから今年の春にかけて、書き溜め、そして破り棄てた数々の詩篇や創作、自ら誇った「新しい日本語」を残すほうが、どれだけ君にとっては好いことだろうね。しかし、白状するが、僕には再び思い出して見る元気もないのだ。僕は疲れている。

一明君
世の中には人の言ったことばかりを覚えている者もあるし、その声の主調低音だけしか記憶に残らないような種類の脳髄もある。
表現は畢竟ひっきょう、それを受けとる人間にとって、年と共に姿を変えてゆくところの品物にすぎない。君がもし、僕のことを覚えていてくれるのなら、時として君の螢雪の窓にも訪れてくるであろうあのマルセル・プルウストの夜に、君たちを怖おびやかした統さんの高笑いと、自慢の長い睫毛まつげとを思い出してくれたまえ。

別離の時とはまことにある。僕もまた、この夜、一人の仲間を葬ったのだ。
朝が来たら、友よ、君たちは僕の名を忘れて立ち去るだろう。
昭和二十一年十月朔日
                       赤城山にて 原口 統三 
橋本一明君
     机下


*眾人皆有所長,唯獨我頑固且愚笨。我獨與人不同的,在於得「道」。
出自老子的道德經第20章――絕學無憂。

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