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大人の夏休み・自由研究~ 「お局様はどうして生まれてしまうのか」の巻。

【会社として生きていくために、お局様とどう付き合うか、が重要だ。今日はなぜお局が生まれてしまうのか、考えた】

見渡してみると、ちゃんと「お局様」を研究したものがない、ように思う。
「会社で生きていく」ためには、必須スキルなのに。


私自身は、20代の頃に、

「私は絶対に後輩をいじめない」と決めた。自分がされて、本当に嫌だったから、だ。「叱る」ことはあっても、怒ったり、いじめない。

自分の感情と、仕事の役割を混同しない。

そこで、私はお局様(たち)を観察することにした。
長年、社会人として働いてきて、もうお局様になっても良い年齢に達し、
客観的に彼女たちを振り返ることができる。

それは、最強の、QUEEN OF お局、
いや、そんなものでは形容しがたい、
「殿堂入り」のお局様の下で働いたこと、あるから、だ。

社会人として、いち、女性として、大いに勉強になった。

「お局」様を辞書で調べてみると、
①江戸時代の大奥の女官

ここにネガティブなニュアンスはない。

②ベテランの職場を取り仕切る女性に対して使われ、「いじわる」「口うるさい」というネガティブな意味を含む

ちょっとフォローすると、お局様は、仕事もできることが多い。
なのに、なぜ、こんなにネガティブに揶揄されてしまうのだろう。

なぜ、女性社員の一部は、「お局様」になってしまうのだろうか。
私の疑問は、ここにある。

「仕事に厳しいデキル女性の先輩」 
「おっかない、意地悪い、早く辞めて欲しいお局様」 との違いは?

この紙一重の違いは何なんだろうか。

仕事では、特に管理職になると厳しいことを言わないといけない場面がある。
だから、ちょっと気の毒な役回りである、ということはフォローしたい。

でも、何か、が違うのだ(当社比)
仕事ができる厳しい先輩なら、こんな言われ方をしない。
とにかく、あの人早く辞めて欲しい、と思わなかった、と思う。

仮説①人事異動がないため、ずっと同じポジションで、 ボス猿になる

私がお会いしたお局様は、QUEEN OF 事務職で、長年その会社の
同じ事務職の仕事に従事しており、仕事を熟知。
男性社員がみんなおびえていたし、女子社員を泣かせていた。

40代の転勤してきた課長なんかより、ずっと仕事ができる。
だから、頭が上がらない。

仮説②昇給もなく、出世もないため、やさぐれる


私が出会ったお局様は、長年、補助的な事務職の仕事をしている
方が多かった。
(バリバリ、営業職のお局様、には会ったことがない)

補助的な仕事は、1年もすると慣れてしまう。
それを長年やっているんだから、そりゃあ、熟知しているはず、だ。

そして、だんだんと、できない社員にイライラしてくる。
「何で、こんなことが分かんないの?」
「もう、私の頃は、みんなできて当たり前だったわよ」

長年同じ仕事をしているため、
「自分にもできない時代があったこと」など、とっくに忘れていて、
思い出せないのではないのか。

仮説③ 幸せじゃない


言わずもがな、だが、彼女たちは、きっと幸せじゃないのだ。
結婚の有無、だけではない。
シングルでも素敵な女性、カッコイイ女性はいた。

遣り甲斐のある仕事、もひとつの幸せ、であるはず、だ。彼女たちには、それがない。
つまり、いずれにせよ、幸せじゃないのだ。

仮説④ 仕事をしている時は、意地悪を正当化できる(と勘違いしている)

ここは、私が新人の時に、気づかず、後で分かったこと、だ。
新人には絶対に分からない、お局しか分からない「トラップ」を
仕掛けることができる。

例えば、大事な書類の扱い方を、ちゃんと伝えない など。

「あれ、ちゃんと吉田さんに伝えましたよ」など。

その後、仕事のミスを叱る、という蓑を借りて、
存分に、その子を怒ることができる。

仮説⑤ 正義感


ここが大きなトラップである、とNHKの「あさイチ」の
「会社のいじめ特集」を見て分かった。

会社のいじめの実例を取り上げていたが、
お局たちは、一様に、
「これは自分が正しい」

「だって、あの子が悪い」

「正義感でやっている」 と言っていることに驚いた。

自分は正しい、と思ってたんだ。
だから、お局行為をやめない、はずだ。

仕事ではなく、それはパワハラや、イジメになっているのに。

だから、人事異動が必要なんだ、と感じる。
一人が同じ仕事をしていると、リフレッシュしないと、こんな歪んだ権力構造ができるんだ。

「一般職」という職種も、お局を作ってしまう原因のように思う。
私が入った会社は、普通に
「女子社員は3年で辞めて欲しい」と言われていた。

結婚退職するもの、とオジサンたちは勝手に決めていた。

いろんな圧力が、こんな歪みが、お局たちを醸成させてしまった、のではないか。

いやいや。。
それでも、
どんなに自分が辛かったとしても、そのストレスのはけ口が
「人をいじめる」ことに使うことがあってはいけない。

そこで、踏みとどまるのが、人としての成長でしょう?
やっぱり、お局を擁護する気にはなれない私だ。

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