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店主の暮らし日記⑪「そんな日」の話

こんにちは!雑貨屋 あるくらし 店主の絢音です。
雑貨屋 あるくらし は、現在、店舗を持っていませんが、
イベント出店やオンラインストアからスタートした雑貨店です!
こちらのnoteでは、お店の歩みを記録中です!
(雑貨屋 あるくらし についてご興味のある方は、
マガジン「雑貨屋 あるくらし を開くまで」にまとめておりますので、
良ければそちらをご覧ください!)

4月後半から5月にかけて、なかなか体調がすぐれず、
「そんな日もあるよねぇ」と受け入れる日が、いつもより多い期間だったなぁと振り返って思います。

今年は、ほぼ日手帳のディリーページに、1日の日記をなるべくつけるようにしていまして。そのページを振り返ると、当時の様子がなんとなく思い出せるのですが、4月後半から5月の初めは記録が残っていない、ある意味わかりやすい手帳になっていました。

予定していた事がなかなかできず、もどかしい気持ちになりつつ、
その反面で、「無理だぁ〜」という日を受け入れて、
抗わない事も少しずつできるようになったなと感じると、
そのことについては褒める自分もいます。

昔の私は、「無理」=「できない」=「ダメな事」
の方程式づくりが得意で、よくメソメソとしていました。
そこから、「無理」、「そんな日もあるよねぇ。」と、
自分の中で少しずつ対話がとれるようになり、
すぐに「ダメな事」と決定せず、
結果を急がない対処法を見つけつつあることは、
私にとっては成長なんです。
まだ、メソメソする時はゼロじゃないでんですけどね!

今回のテーマは、「そんな日」の話

すっかり今は元気になりました!!食べれるって幸せ!!!!

あまり経験したことのない1日を送り、「そんな日もあるよねぇ。」とは言えず、「そんな日もあるのか...」と驚きつつも、
ただ、無抵抗に過ごした「そんな日」がありました。
今回はちょっと前の「そんな日」の1日がテーマです。

点滴を、20数年ぶりに受けました。
食あたりから、脱水症状になったようで、
「点滴打ってから帰りましょうか。」
という事になったのです。

最近風邪もひいたしなぁ。と、
ちょっとした用心のつもりで病院に行ったので、
点滴を打つ流れになったことに、ビックリ。

「最後に受けたのは、たぶん幼稚園の頃じゃなかったけ??
 てことは、四半世紀ぶりの状況!?」
と思いつつ、
確かに、水やりを怠った時の観葉植物みたいに身体はヘナヘナしていて、
そっかぁ。と、納得しながら横になり、されるがままに、
腕に針をさしてもらいます。

「ほとんど初めての点滴みたいだから、ゆっくりめに流しとくね。
時間かかるから、心地よい体勢で横になってね。」
と優しく看護師さん。

1時間くらい、ただただ点滴をうける時間。
何もする事が無いのに眠りにつく事もできず、
ぼぅっと、とりあえず、点滴を眺めました。

500ml入った点滴は、50mlずつに目盛りがあって、
じぃっと眺めると、目盛りの上にあった液がじりじりと
目盛りの下まで落ちていき、
「本当に身体に入ってるんやなぁ」と感心してしまいます。

すると、無意識に頭が閃いて、
次の目盛まで点滴が落ちてきているかを当てるため、
「いまっ!」と思ったタイミングで点滴の方に目をやって、
「意外とまだまだか...」ということをしたり。
病院でかかる何年か前にヒットした曲のオルゴールの曲名を思い出したり。
(多分、MISIAとKinKi Kidsがかかってたけど、
どれも曲名まで浮かばず、すぐ忘れちゃったな。)
身体が痛くないベストポジションを探すため、腰を少し浮かせてみたり。
(もちろん、点滴が繋がってる腕が動かないよう注意を払って。)

元気もなく横になっているのに、何かしらの「する事」を探してる事を自覚すると、そういえば、「暇と退屈の倫理学」という本で
「人は暇を求めるのに、暇になったら、仕事(する事)を求める」というニュアンスの文脈があったような気がする。と思い出します。
まさに今の自分...。

「で、結局、本ではどんな事を書かれていたっけ...」
さらに思い出そうとすると、
「時間(暇)があったら好きなことができたら良いよなぁ。でも、それをするにもまず、健康じゃないとだよなぁ。」と自分の状況に視点が向き、本のことから意識が離れて別の思考に移っていきました。

「点滴、お疲れ様でした。」

「ありがとうございました。」

いつの間にか1時間強の点滴が終わり、
まだまだ鈍い身体で、帰りにゼリーやポカリスエットを買いにスーパーへ。

レジをしてもらう際、自分の買い物カゴの中身を見て、
あっ…と
「熱もないし、ただの食あたりなんで、
 あなたに危害は及ばないので、ご安心ください…」
と心の中で呟いていました。
一方、
柔らかい笑顔でテキパキとレジをしてくださる店員さん。
なんだかジーンとしつつ、保身するようなセリフを心の中で呟く自分に
一瞬恥ずかしくなり、ちょっと落ち込みます。
だからといって引きずる事もなく、電動自転車でスッと帰宅。

そこからは、なるべく動かないように。安静に。
なんとか食べれそうなゼリーを口にして、薬を飲んだり、
眠れる時は寝て、眠れないときは、アマゾンプライム やYouTubeを見て
やり過ごすように1日が終わりました。

そこから数日、noteを記載しながら、気づいた事があります。
そもそもnoteにこの日の事を書こうと思ったきっかけは、
なぜか、点滴を受けているその時間を
「忘れないように過ごしている」という気がしたからでした。
それがなぜなのか、自分でも分からなかったのですが、
まず、その日を書いてみようと思ったのです。

記載していくうちに、この日の事と別の日の事を照らしあわせて、
「点滴」という事を差し置けば、
「あまり体調が良くなく、思考も特に前向きでもない日」が、
私の日常に、「普通」に在る。事で、この日の過ごし方は、
冒頭で書いていた「そんな日もあるよね」と受け入れていた
「そんな日」に似ていました。
普段、テーマとして取り上げない、「そんな日」を、残しておきたい、書いて表現したい。と心のどこかで思っていたのかもしれません。

日記やnote、Instagramに文章を書くとき、うーんと悩みます。
「嘘がないこと、ほんまに思っていること」
を書きたい。というのが大前提にあります。
そして、「嘘がないこと」「ほんまに思っていること」を、
どこまで書くか、どう表現するか。ということに、いつも悩みます。
言葉って、何かしらの作用があるし、受け取った側の作用を
私自身、正確に知る事はできません。
思ってもないところで勇気を与えているかもしれないし、
傷をつけているかもしれません。
ちょっと怖い事でもあるよなぁとも思います。
だけど、私は、自分への作用がある事も含めて、文章を読むのが好きです。
誰かの勇敢な物語や、なるほど!と視野を広げてくれる記事だけじゃなく、誰かの「そんな日」のようなエピソードを読んで、
「私だけじゃない。」と励まされた事があったように、
自分の「そんな日」も残す価値のある人生の一部だなと思うのです。

はじめましての方も引き続き読んでくださっている方も、お付き合いいただきありがとうございます。今後も焦らずゆっくり続けていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

店主 絢音


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