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愛知用水と愛知海道(地域開発と参加)

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愛知用水と愛知海道。郷土の大規模な地域開発事業の歴史とその裏側にせまります。
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【ブックガイド】TVA開発思想

関連書籍のリストです。 □国土保全の思想: 日本の国土利用はこれでよいのか 単行本 – 2007 □[資源人類学 第1巻] 資源と人間 (資源人類学 1) ハードカバー – 2007

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愛知用水と愛知海道の開発思想-愛知用水通水60周年に寄せて-スライド集

愛知用水と愛知海道の開発思想-愛知用水通水60周年に寄せて-

歩く仲間 柴田英知 連絡先:E-mail. bxf00517@nifty.com ※こちらのスライド集もご参照ください。 https://note.com/arukunakama/n/n874fdbda3d4b? 1.愛知用水と愛知海道をとり上げる理由日本の第二次世界大戦の戦後初の地域総合開発事業である愛知用水は1961年9月30日の通水記念日より、今年で60周年を迎える。愛知用水は、世界開発銀行の借款を受けており、日本政府とりわけ農林水産省、愛知県、岐阜県、長野県のみな

愛知用水と愛知海道にみる地域開発の「縦糸」と「横糸」チラシ2枚

愛知用水と愛知海道にみる「地域開発の縦糸と横糸」

地域主体の国際協力・岐阜DDC(=Decentralized Development Cooperation)-GIFU2020年7月定例会 <会場開催とZoom開催を併用して行います。会場が変更となり、名古屋で開催しますのでご注意ください。> ○ 柴田英知さん(歩く仲間代表) とお話しする会 ○テーマ:愛知用水と愛知海道にみる「地域開発の縦糸と横糸」~中島みゆきの「糸」に寄せて~ ○概要と柴田さんのメッセージ: 2021年9月30日は、中部地域の経済発展の原動力とな

愛知用水と忘れられた愛知海道-誰も知らない国道23号線バイパスの謎 セミナーのご案内

愛知用水と忘れられた愛知海道-誰も知らない国道23号線バイパスの謎 セミナーのご案内 日時: 2020年1月16日(木)午後7時から8時半 概要: 2019年12月の岡崎のりぶら講座の内容を、名古屋でも披露させていただきます。(添付のPDFファイルを参照) 12月16日のセミナーの内容はこちらを参照。 ■愛知用水と忘れられた愛知海道 【せかトモセミナー20191216】 (1/2) https://www.youtube.com/watch?v=pYjj9IWXdO

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愛知用水と忘れられた愛知海道 【せかトモセミナー20191216】(1/2)

国際共創塾のせかトモセミナーの様子を録画しました。 愛知県でも三河地方だと実はあまり知らない方もいらっしゃる方もいるかと思いますが、長野県の御嶽山の水を集めた木曽川の水を多目的に利用する利水プロジェクトが愛知用水です。 2016年4月から2019年9月まで名古屋市立大学の大学院でわたしが研究していたのが、この愛知用水の歴史にまつわる物語でした。 2005年に、愛知用水を発願した久野庄太郎さんが著した『躬行者』という個人雑誌の全100号(1962年10月から1971年2月まで原則、毎月刊)を手にしたことから、愛知用水の隠された秘史が書かれているかと思って分析をはじめたら、実は、『躬行者』のテーマは、彼が手掛けた愛知用水ではありませんでした。 なんと、愛知用水ではなく、その後に久野が手掛けた名古屋南部臨海工業地帯や、三重県の四日市から名古屋をつなぐ名四国道を東三河の豊橋にまっすぐにつなぐ「愛知海道(第二東海道)」の建設推進のプロパガンダがこの雑誌のメインテーマでした。 愛知用水をつくったひとたちは、その後に、愛知県の内陸部の農工一体開発をすすめるために、幅60メートルの片側2車線で中央の共同溝に水や燃料、上空には高架線がはしる自動車専用道路をつくり、道路の片側2キロメートル、つまり両側で4キロメートルの地域を区画整理して2割減反により農地や宅地、工業用地をつくろうとしていたのです。 残念ながら、この自動車専用道路は、久野が雑誌を発行していた1970年の頭では、ほとんど事業の進捗がなく陽の目をみませんでした。 ところが、なんとこの道路計画は、伊勢湾岸道や国道23号線のパイパス路線となぜか一部一致するのです。 ということは、つまり、久野らが始めた事業は50年間をかけてやっと実現したということもできるのです。 修士論文では、『躬行者』という一次資料の発掘(なんと公立図書館に2冊しか納められていない)と、愛知用水と愛知海道の関連性を示唆したのみにとどまりましたが、この講座では、この最新の研究結果をふまえて、愛知用水の日本の地域開発史における意味と、愛知海道のミステリーについて語ります。

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愛知用水と忘れられた愛知海道 【せかトモセミナー20191216】(2/2)

2019年12月におこなわれた国際共創塾のセミナーの様子を動画でアップしました。2分の2なので、前半の動画もあわせてご覧ください。 https://www.youtube.com/watch?v=pYjj9IWXdOk&list=PLi99aQwcKR3RYfLY6QsHCALWcCgpfjOjL&index=1 愛知県でも三河地方だと実はあまり知らない方もいらっしゃる方もいるかと思いますが、長野県の御嶽山の水を集めた木曽川の水を多目的に利用する利水プロジェクトが愛知用水です。 2016年4月から2019年9月まで名古屋市立大学の大学院でわたしが研究していたのが、この愛知用水の歴史にまつわる物語でした。 2005年に、愛知用水を発願した久野庄太郎さんが著した『躬行者』という個人雑誌の全100号(1962年10月から1971年2月まで原則、毎月刊)を手にしたことから、愛知用水の隠された秘史が書かれているかと思って分析をはじめたら、実は、『躬行者』のテーマは、彼が手掛けた愛知用水ではありませんでした。 なんと、愛知用水ではなく、その後に久野が手掛けた名古屋南部臨海工業地帯や、三重県の四日市から名古屋をつなぐ名四国道を東三河の豊橋にまっすぐにつなぐ「愛知海道(第二東海道)」の建設推進のプロパガンダがこの雑誌のメインテーマでした。 愛知用水をつくったひとたちは、その後に、愛知県の内陸部の農工一体開発をすすめるために、幅60メートルの片側2車線で中央の共同溝に水や燃料、上空には高架線がはしる自動車専用道路をつくり、道路の片側2キロメートル、つまり両側で4キロメートルの地域を区画整理して2割減反により農地や宅地、工業用地をつくろうとしていたのです。 残念ながら、この自動車専用道路は、久野が雑誌を発行していた1970年の頭では、ほとんど事業の進捗がなく陽の目をみませんでした。 ところが、なんとこの道路計画は、伊勢湾岸道や国道23号線のパイパス路線となぜか一部一致するのです。 ということは、つまり、久野らが始めた事業は50年間をかけてやっと実現したということもできるのです。 修士論文では、『躬行者』という一次資料の発掘(なんと公立図書館に2冊しか納められていない)と、愛知用水と愛知海道の関連性を示唆したのみにとどまりましたが、この講座では、この最新の研究結果をふまえて、愛知用水の日本の地域開発史における意味と、愛知海道のミステリーについて語ります。