28.『花火大会当日 大原志乃②』



 同日 大原志乃


 
後ろで少し音がした。振り返ると、そこには駐車場の明かりを吸収してピカピカ光る両翼を広げた天使がいた。撮影がはじまっているのだろうか。
 一旦その場から動かないでいると正体が谷田ちゃんだということがあらわになった。両翼を背負った谷田ちゃんの歩みには迷いが無く、まるで本物の女優のように思えた。
「もしかして背負ってきたの?」
「うん。あとこれも」
 谷田ちゃんの右手の人さし指には髑髏の指輪があり、首にはジャラジャラのネックレス、服は黄色のシャツと紫のパンツ。谷田ちゃんの服装はあの日、あたしが冗談まじりでコーディネートした服装すべてだ。
 なんだか体の内側が浮つく。でも、浮ついてしまっても驚きはしない。あたしはあたしの浴衣の色合いと、谷田ちゃんの服の色合いを比べて利き手に力を入れた。
「ツツジ?」
「ハイビスカス」
「むっちゃ可愛い。ハワイだ」
「うん、ハワイ」
「色はたまたま?」
「いや、わざと」
 今の言い方はキツかった。
「なんか、映画の話とリンクするね」
「映画が無くってもあたしはこの色を選んで祭りに行ってたよ」
 撮影前にはっきりさせたい。はっきりさせたいことがなければ最初からあんな尖った言い方にはなっていない。
「聞けてないことがある」
「なに?」
「ジョイでのこと。怒ってる?」
「怒ってない。あのときはムカついたけど」
「じゃああの日のこと聞いていい?」
「いいよ」
「あの日あたしはタレントって叫んだ。谷田ちゃんはあのとき、なんて叫んだ?」
そんなの決まってる。聞く必要なんてない。わかってるじゃないかそんなこと。
「わたしはあの日、慧くんのことが好きって叫んだよ」
 谷田ちゃんの翼についているスパンコールが夜の空に飛んでいく。
「どうして、谷田ちゃんは、慧くんのこと好きになったの?」
 それを知ってどうなるんだろう。結局、慧くんをものにできるのはどちらかだ。いや、正確にいうとどちらでもないかもしれないし、そうあってはほしくないけど両方付き合える可能性だってある。それは本当にいやだけど。
 谷田ちゃんは空を見ている。谷田ちゃんの横顔って、こんなに綺麗だったっけ?
「わたしのお母さんとお父さん。わたしが中学に上がるタイミングで離婚してね。お父さんは吹奏楽部みたいな角刈りで、町の工場で働いとって、家では仕事の話はしないかわりに、わたしの話をゆっくり聞いてくれた。休みの日はドライブとか釣りとか連れてってもらったり、なんか家族っていうより友達って感じ。ごめん、これは家族の話だ」
「大丈夫だよ」
「お父さんね、お母さんに内緒でパチンコうってた。パチンコの他に競艇とか競馬とか、借金もちょっとあって。それがお母さんにバレて離婚した。リビングから聞こえてくる二人の怒鳴る声は今でもすごく覚えとる。途方に暮れてた。同級生のこと羨ましかった。なんでそんな悩みが無そうにはしゃげるんだろうって。家だと居場所があんまりなくて学校では体育館裏にある大きな木の下がね、わたしの居場所だった」
 あたしもあそこは好きだった。昼寝するにはちょうどいい木陰の風がそよぐ安らぎの場所だ。
「いつもみたいに涼んでて、したら向こうの足洗い場に男の子が走って来て水を一気に飲み込んで、手に持ってる石を洗いはじめたの」
「え?」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
 これは、どういうことだ?
「今思うとただの石やったんやろうけど、男の子があまりにも大切にコソコソ洗うから、そのときね、あ、この子は星を盗んだんだって。思って、だからあんなに焦って磨いてるんだって。磨き終わってから石を太陽に向かって掲げたとき、自分が抱え込んでる家族の悩みが吹き飛んだような気がして、それで、その日から慧くんのこと目で追ってた」
「ねえ、それって、あたしだよ」
「え?」
「それ、あたしが慧くんを好きになった理由だよ」
 谷田ちゃんの、家族の話はあたしの家族の話じゃない。両親は離婚なんてしてない、でも、涼むとこから石を掲げるところまで、そっくりそのままあたしの記憶と同じ。どういうこと? あたしこのこと誰かに話した覚え無いのに。
「ふざけてる?」
「え? どういうこと?」
「どうして知ってるの?」
「え、えっと、え?」
「答えて!」
「お、おち、ついて、お、おか、しいよ。だって志乃ちゃん、これはわたしの」
「違う! それはあたしの記憶なんだから!」
「わかんないよ。なにがしたいの?」
「あの日あたしはみんなとかくれんぼしてて木陰にいた。そのうち気持ちよくなってぼーとしてたら足洗い場に慧くんが来て、石を持ってた。それを洗ってた。それが星みたいって」
 谷田ちゃんは苦しそう。あたしは頭がおかしくなりそう。
「返して」
「えっ?」
「返して。あたしの記憶返して!」
「い、痛いよ、い、痛いってば志乃ちゃん」
 あたしは谷田ちゃんの両肩を掴んでいた。
「お願い! 冗談だって言って! 荻さんに仕組まれたとかって言って!」
「い、痛い、痛い、いた、い。い、い、いた、痛い、頭が、い、いた、いた、いや、やめて、いたい、いたいよ、いたい。いや、いやだ、い、いや、いやだ、いや、や、や、やだ、やだ」
 谷田ちゃんの両方の目玉がぐるんと上に向き、口をぽっかり空け、その空いた口に鼻血が流れ込んでいく。呼吸がおかしい。両腕がだらんとなっている。おでこに血管が浮き出てる。汗も尋常じゃない量かいている。
「ごめん谷田ちゃんどうしようこれ。ねえ、しっかりして、ねえお願い! しっかりして谷田ちゃん! 谷田ちゃん!」
 谷田ちゃんはあたしの声に応えるようにゆっくり、まぶたをつむった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?