14.『同日 加藤瑛眞②』



 電灯がカカカと音を立てている。空は相変わらずの色で、雲にオレンジが急速に、着実にじんわり流れ込んで行く。
 枯れ葉は地面を這い、回転する風が葉を宙に浮かせ、浮いた葉は橋に吸い寄せられて行く。木々がざわめき悶える。
 どこか遠くでヘリコプターが飛んでいる、と、思ったがそうじゃない。風が強過ぎるのだろうか。
 風は突然止む。また吹く。そしてまた止む。私たちを欺くようにそれを繰り返している。前髪が何度も目に入りそうになる。
 橋には既に誰かいて、その誰かはなぜ、こんなにも”予想通り”なのだろうと思う。こういう場面。なぜいつも私達とその誰か以外誰もいないのだろう。これは映画じゃないしドラマでもない。そうだとしたらまだわかる。そうだとしたらこの仕立てられた場面をすんなり受け入れられる。
 これは私達とあいつがつくり上げた場面だ。
 私はあいつに会えることをわかっていた。だからこれは、この場面は、私がつくってしまった場面で、私達はあいつに引きつけられ、お互い引き合い、出会ったのだ。この場面は私達とあいつの共作なんだ。
 唾を飲み込む。アラケンはラケットを構え、悠馬はあいつがいる場所を睨む。
「女?」
「そうみたい」
「脚あるか?」
「ある。人だ」
 欄干の側に立ち、女はこの町を眺めているようだった。髪を靡かせながら笑ってる。あの笑い方を私は知っている。
 黒くて長い半袖のシャツの、おへそあたりに白いベルトを巻いて下はサンダル。どうやって胴体を支えているのか不思議になるほど脚が細い。手に、なにか、握ってる。棒?
 錆びた看板がくるくると、くるくる、くるくる風を受け、それは夜の訪れを警告しているかのように勢い良く回り続けている。雲の色がいつのまにか変わっている。
「やろう、最後まで。4人で」
「え?」
「あ、ごめん。3人で」
 私達は一歩一歩近づく。女は動かない。怖い。あの鉄の棒はなにをするための棒なのだろう。怖い。どうして黒い服にあの色をさそうと思ったのだろう。肌。肌なんてあれはあまりにも白過ぎている。
「荻さん?」
 アラケンはラケットを下げた。
「あれ3組の荻美咲みさきだろ」
 荻美咲らしい女と私達の間に線を引くように蜻蛉が横切った。
 女は突如よろけ、それをごまかすかのように足元にあった手持ち花火の焼け屑を擦り潰した。来る。奴が来る。近づいてくる顔はなぜか泣きそうだったので言いたいことの最初が急速にあやふやになる。
「2組の加藤さん。1組の苗木くん。1組の荒垣くんじゃん。なにしてるの? バドミントン? ふふ。こんなところで?」
「いや俺達は」
「いい。私から話す」
「え? なになに? みんな揃って怖い顔して」
「一週間前、7月24日。荻さんはなにしてた?」
 荻さんは口をだらしなく開け、両目を左右に動かし居心地良いとこが見つからなかったのか下を向いた。
「なにしてた? どういう意味?」
「そのままの意味」
「えっと、あ、もしかして撮影、一緒にやりたいの?」
 荻さんの表情が急に明るくなった、と思ったらまた下を向いた。
「撮影?」
「うん撮影。毎日ここで撮って、それをSNSにアップロードして。僕ね、映画監督志望なんだよ。いやぁ~助かるなぁ~これからよろしくね」
 荻さんが片腕を伸ばしたところでアラケンが荻さんの腕を掴んだが、荻さんはそれには反応せず鉄の棒をふらふら振り遊んだ。撮影? 映画監督? てことはあの棒は一脚?
「俺達はお前の撮影に協力する気はない」
「そうなの!? それは残念だぁ。じゃあその手放せよ」
 アラケンは荻さんの腕を放す。
「荻さん」
「なあに?」
「先週の土曜、私達と同い年くらいの女の子が二人。この橋にこなかった?」
「来たよ」
「その二人になにかした?」
「なにかって、犯罪みたいに言わないでよ。ちょっと脅かしただけだよ。僕はホラー映画が一番撮りたい映画だからさ。なんていうか修行? そう、修行だよ修行」
 荻さんの喋り方はずっと変で歌を聞いているような、それでいてこちらをイラ立たせる煽り調のような、とにかくそんな喋り方にイラだちを覚えた。
「もしかしてあなた達、二人と知り合い?」
「友達。谷田ちゃんと佐伯ちゃんって言うんだけど。というか荻さんは知ってたんやないの、二人が同じ学校の同級生やって」
「知らない」
 両目がぐりんとこちらを捉えてきたが一瞬だけ片目ずつ別方向に動いた気がした。
「ふざけんな。わかるだろ同級生の顔くらい」
「ふざけてない。わからない。ごめんなさい。僕ね、記憶力乏しくてすぐ人の顔忘れちゃうの」
「たくさん会ってるんだぞ? 忘れるわけないやろ」
「ご、ごめん忘れるの、忘れたくないんだけど忘れてしまうの。てか自分の考え押しつけてくるとかマジでキモいんだけど。あ、ごめん、今の全然本気じゃ無いから、忘れて」
「じゃあなんで俺らの名前とクラスがわかった?」
「だって三人とも名札つけてるからすぐにわかっちゃったよ」
 私は瞬発的に服を見たが名札がついているわけがなかった。
 この荻さんって子、なんかおかしい。最初に話した人とはもう、別の人と話してるみたい。
「カトエマ、こいつ、」
「わかってる。あのね荻さん」
「なあに?」
「謝ってほしいの」
「謝る? 誰に?」
「谷田ちゃんと佐伯ちゃんに」
「どうして僕が謝らなくちゃいけないの?」
「荻さんにとってはおもしろいことだったのかもしれんけど二人とも、とくに谷田ちゃんは怖がってるから」
「今なんて? え、え、え、今怖がってるって言った?」
「うん、だから謝って」
 荻さんは両目をひん剥かせて大袈裟に笑った。
「言った! 言った言った! やったぁ大成功じゃんやったやった! こんなんで怖がるやついんの? いないいないいないよ普通! いや実際にいたこの町にいた! すごいよ谷田ちゃん! 谷田ちゃんは僕の救世主だ! やったぁやったぁやったぁ!」
 アラケンがラケットを振り上げるのがわかったから私はそれを制した。
「こんなことして楽しい?」
「ねね、それより谷田ちゃんにお礼を言いたい! どこかにいないかな?」
「いない。帰った」
「おいなにやってんだよバカ女! なに救世主帰らせてんの? マジでバカなのお前?」
「ちゃんと二人に謝って」
「なんで謝ったりするの! こんなに感謝してるのに? 先生に習わなかった? 感謝してるときはちゃんと面と向かってお礼を言うって! あったま悪いねお前!」
「貸してラケット」
「ストップストップごめんごめんごめん! なんでキレてる? わかんないわかんないわかんない! もしかして情緒おかしい系?」
「ふざけないで」
「だからふざけてなんかないって。少なくともお前らみたいなドブよりかは真剣に考えてやってるよ」
「谷田ちゃんと佐伯ちゃんがこの数日間どんな思いだったか、わかる?」
「そんなのわっかんないよぉ!」
「荻さんさ、ちゃんと先生の話聞いてる? バカはどっちだろ」
「ごめんねぇ、本当にごめん。一応先生の話はちゃんと聞いてるつもりだったんだけどさすがにそれは難解過ぎるよぉ」
「国語の問題だよ。二人の心情を答えよ。そんなに難しいことかな?」
「むっずかしいよぉ! そんなの、僕に、わかるわけないじゃん! だってさ、だってだってさ、誰かの心情とか思いやりって自分の中で育った想像上のその人が思ってる感情のことでしょ? それってわがままな妄想じゃん! なんでみんなして他人の感情がわかるって言い切れるの? なんでみんなしてそんな残酷なことできるの? そんなむごたらしいを優しんだねぇ~賢いねぇ~想像力豊かだねぇ~って馬鹿の枠で囲ってアホらしっ。わかり合いたいはずなのに最も分かり合えない方法選んでその糞のやり方褒めるってどういう神経してんだろ。
 わかんないよ誰かのことなんて。僕は僕以外誰もわからないと思うし僕は僕以外のことてんでわかんないよ。
 ねえ聞いて。僕ね、人間が好きだから。だからホラーが撮りたい。だって大好きってことは大嫌いってことで大嫌いは大好きでホラーはコメディでコメディはホラーで面白いは面白くなくて面白くないは面白いってことでしょ? あるでしょ? 大大大好きだからその大大大好きな人の苦しんでる姿も全部見てみたい。殺したい。首とかしめて殺したい。愛する人を自らの両腕で息の根を止めてとどめとか刺しちゃいたい。それで最後は食べたいって。
 だからほら、言うなれば愛だよ。みんなが死ぬほど好きな愛。愛ってね、あるんだよやっぱり。だから当然無いんだよ。だから片想いとか両想いって虚しいね、虚しくて苦しんだよ。たかが想いでなにが想いだよ。想いナメんな。ロマンチックじゃなくてロマンシックだよ。あれは病気だね。まいるよ本当。でもみんながみんなを愛してるからみんなはみんなの正解の愛だからそんな愛の無い顔してないで私はわたしの愛ある祝祭を続けようと思ってるんだけどみんなはそれについてなにを想う? 
 わたしさ、私ね、ウチはね。みんなと話がしたいの。もっともっとさ、僕の意見を聞いたみんなの意見を私が聞いて私は私の意見を言ってそれでまた生まれてしまった意見を私の体のなかに所持してたいの。そうじゃないと悲しいの。まるで自分がすっごい孤独みたいなさ、でもなぜか自分の本当の熱い想いってやつをつらつら長ったらしく伝えるのはエピソードの後半でさ、俺もおんなじこと思ってた! あ~あ、あのときこうしてればなぁ~あの日に戻って彼とやりなおしたいけど無理かぁ~でも今ならまだ間に合う!
 バッカじゃないの!? 自分で自分の首しめといてそのくせ感傷的な危機的状況に浸り酔って孤独な夜って! それどういう意味? ほぼ自死じゃん!
 あーあ、長っ。なんか飽きてきちゃった。つまらんよ、本当につまらんよまったく。これはね、つまらない究極の、究極に面白い恋愛映画の典型なんだけどね。でもその点さ、ホラーは良いよ。つまらないや面白いを殺人鬼とか幽霊とか化物がぶっ壊してくれる。そんで話がまとまんないからって町に核兵器落としちゃってさ。ふふ、ウケる、マジでウケるんだけど。
 あれ、この話って誰がはじめて誰が終わらせるんだっけ? いつからウチの嫌いな映画の話になったんだっけ? あ、そうだ閃いた! 今からみんなが好きな映画を一つだけ叫ぼう! まずは私から! 僕は『シックスセンス』か『ミスト』か『エクソシスト』か『ファニーゲーム』か『スクリーム』!!!!!!」
「なんだろう、荻さんってさ。友達いないでしょ?」
「いないよ。だからなに?」
「別に。でもこれだけははっきりわかった。私はお前のことが一番大嫌い」
 ウクレレのメロディーを無視して歌う蜩の声をつんざくような大きな爆発音と共に荻さんの後ろの木々が大破し燃え盛る。昔好きだった特撮ヒーローの登場シーンみたいな風景。不健康そうなドス黒い煙がこの町の空に練り昇り、その煙とダンスするように荻さんは一脚を振り回していた。
 私は荻さんが嫌い。でも荻さんを全く無視できないのはなぜだ。
「カット! はいOK!」
 荻さんの後ろに誰かいる。今の声はその誰かの声だ。
「てことで爆発オチでした。御清聴、誠にありがとうございました」

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