25.『花火大会当日 大原志乃』



 同日 大原志乃



 
慧くんはこの浴衣の色のことなんて言ってくれるだろう。褒めてくれるだろうか。可愛いねとか、オシャレだねとか、そういう一言を言ってくれるだろうか。
 一言は一言でも特別な一言がいいなあ。あたしにしか言ってくれないあたしだけの褒め言葉。

 大原のその浴衣、俺は好きだなあ。

 やっぱり大原はなんでも着こなすんだな、すごいね大原は。

 俺そういう女の子結構好きだぜ。知らなかったろ?

 そういやあんまり喋ったことなかったな。これからどう? 歩きながらでも話さない?

 これだよこれ。これを狙ってる。狙ってた。

 今日は年に1度の中央公園の花火大会。あたしも行きたかったな花火大会。カトエマたちは今頃楽しんでるんだろうなあ。
 なんであたしは浴衣で谷田ちゃんは私服なんだろ。やっぱりこだわりがあるんだろうな。
 閉店間際の駐車場はなんだか寂しい。車もそんなにない。人もいない。谷田ちゃんも荻さんもまだ来てない。今日はいつになく星が綺麗。ていうか許可取りとかしてるんだろうか。警察に通報とかされないだろうか。

 あれから毎日集まって、入念に打ち合わせして、ナベさんは台本と絵コンテをあたしたちに提出。そこから公園や喫茶店で台詞を読み合わせて、荻さんがそのつど言葉の確認をして、ナベさんが何度も書き直してそれを読み込み、見といてほしいと言われた映画を借りて見て、荻さんに演技のことを谷田ちゃんと尋ねて、台詞の覚え方、言い回しなどを習い、それを踏まえて部屋で練習したり荻さんたちがいないときは谷田ちゃんと公園で集まってひたすら台詞。
 台詞覚えがこんなに大変だと思わなかったし、自分の中にある感情や理想の言い回しを表現することの難しさは測りしれない。
 とくに難しいと感じたのは台詞を聞いてから相手の感情を汲み取って、自分の台詞を発するという部分。
 日常でいつもやってることが意識すると途端にできなくなる。相手の台詞を聞かずに台詞を言うと独り言のように聞こえてしまう。最初はそういう感覚は無かったけど、練習を重ねると、なんとなく見えてきた。
 あ、今自分、谷田ちゃんの台詞聞いてないな、とか。あ、谷田ちゃん私の台詞のこと考えてないな、とか。
 それは不思議な感覚だった。あたしたちは普段、こんな難しいことをやっているのかと人間の凄さを実感したと共に演技の難しさ、感情の繊細さを肌で実感することができた。めげそうになることは多々あったけど今はなんとなく楽しい。演技は楽しい。人って楽しい。

 荻さんが撮る作品のタイトルは『town』。
 監督は荻さん。脚本はナベさん。カメラはウコンさん。そして演者はあたしと谷田ちゃんと荻さんの三人。

 ある田舎町で起こる奇怪な出来事を短編的にして、その一編一編が一つの物語として繋がっていくという話。あたしと谷田ちゃんはその短編の中の最後の話『私の中の鏡』というお話に出演する。
 ある日突然姿を現したもう一人の自分が友達や家族にいたずらをする。悪事に気づいた主人公はもう一人の自分を屋上に呼び出して鬱憤を吐露する。話していくうちにどうやらもう一人の自分は鏡の中から出てきてしまったこの世にはいない存在だと気づいてしまう。絶望したもう一人の自分はパニックになり、わけがわからないまま主人公を襲い、最後は主人公の首をしめる。
 朝がきて、モールの屋上にいた警備員が何かを見つける。それは手のひらサイズのピンク色の手鏡で、警備員は不思議に思う。カラスの鳴き声に警備員はびっくりして鏡を離してしまい、手鏡の真ん中にヒビが入って終わる。

 主人公はあたしがやる。もう一人の自分役は谷田ちゃん。警備員役は荻さん。警備員はナベさんとかウコンさんの方が合ってるんじゃないかと指摘したけど、自分がつくった作品のラストは自分で終わらせたいと言っていた。もし、あたしがあの日、谷田ちゃんを誘わなかったらそれは叶わなかったのではないかと疑ったが荻さんは嘘つきだから、意見をコロッと変えるから、問いただすのは無駄だと感じて言い返さなかった。
 今日は『私の中の鏡』のラストシーンを撮る。シーン1から撮ると思っていたがこの話はラストから撮影しないと意味がないと、荻さんはこだわりを見せた。
 難しいと思った。最後の感情を最初に出すなんて。だから物語を進めてその感情のままここに来た。もうばっちり仕上がってる。台詞も完璧に入ってる。あとは谷田ちゃんと荻さんたちが来るだけだ。

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