1.『7月16日』

 2011年 7月16日



 ジャングルジムの中から志乃しのちゃん達を見ていた。
 あれは鬼ごっこか、かくれんぼか、恋バナか、なにをしようとしているのか、なにをやってるのかがわからない。
 取り巻きは志乃ちゃんに牽引けんいんされてるだけで、ただそれだけなのに、何が楽しくてなにがそんなに嬉しいというのだろう。
 取り巻きさえももっと、好きなようにやればいいのに。
 志乃ちゃんが涼しそうに笑う。でも、さすがに暑くって苦しい。
 頭くらくらするし、さっきから両手がかゆくてしかたない。
 鉄格子てつごうしの水色は剥げ落ち、焦げ茶の錆びた中身があちこちでむき出しになっている。
 そこから手を放せばいいのに。その気力が無い。
 目だけが動き、片目はボールを蹴るさとしくんを捉え、もう片方の目は黒っぽい点を追っていた。
 この点はわたしが今、意識する前から既にわたしの頭上や顔のまわりを飛んでいたように思える。国語の授業中、数学の授業中、意味もなく、わたしの周辺を、ぐるぐる、ぐるぐる、鬱陶しい。こいつはいつまでわたしを軸にして飛び回るつもりなんだろう。

 わたし、ここで一体なにやってんだろ。

 胸元から噴き出た汗が股らへんまで伝うと視界が揺れ、慧くんがゴールネット前でシュートを打ち、ボールがキーパーの手から逃れたところでわたしは両手を一斉に開いた。
 後頭部が酷く痛み、黒っぽい点が視界のすべてを覆うように広がっていくのを感じたから、もう限界だ、と両目をてっぺんにもってって、何色かもわからない空を見ようとした。





 変な顔があった。
 下唇をゆがませ鼻の穴と両目を力強く開いている顔。
 瞬時に、正面にある顔と同じ表情をしてみると正面の顔が声を出して笑い、体勢を崩しながら視界から消えた。
 ベッドの下から調子の高い笑い声が続いている。
「私の勝ちやね」
 逆側から声が聞こえ、はじめてもう一人を意識した。この人も笑っているが調子の高い方より別に笑ってない。
「ちょ待って! 10秒経ってたやん!」
「ふざけんな。あれのどこが10秒なん?」
「10秒やったやん! キューウ、ジュ。で!」
「キューウ、ジューウ。で10秒やからキューウ、ジュ。は9秒やん」
「ジュは10の仲間やろ? なんでジューウは10の仲間でジュは9の仲間なん? そんなんおかしいやろ!」
「ジュはジューウになれんかった9やからジュは10の仲間じゃないよ。ジュは9」
「ジュは10になろうと頑張った10のはずやろ? やったらもうジュは10みたいなもんやないん?」
「ジュはもどき。ジューウもどき」
「てことはキューウはジュもどきってこと?」
「キューウは9よ」
「キューウは9。てことはちょ待って、瀬下せしたの話をおさらいするとジュはジューウになれんかった9やけどジュは懸命に10になろうとしてて、ただその気持ちは配慮されんからジュはジューウもどきで、でもそうなるとキューウはジュもどき、やなくってキューウは9そのものやから結果ジュはジューウの仲間じゃなくてキューウの仲間ってこと?」
「そう」
「それおかしくない? やったらジュ以外の1から9はジューウじゃないやろ? やったらジュはジュってことやない?」
「そう」
「てことはさ、この勝負ドローやない?」
「そうです」
「うえやぁあ!」
 調子の高い子はわたしの片手を両手で握り宙にかかげ上下に揺らした。
「ありがとぉねえ!」
「二人は、なに、やってたの?」
「変顔レース!」調子の高い子は歯茎をむき出し目をくしゃくしゃにして答えた。
「レース?」
谷田やたさん寝てたやろ? 谷田さんの寝顔の前で変顔をして10秒経ったら交代。持ち時間の中で谷田さんが目覚めてしまったら負け。晴れて愚か者ってわけ」
「愚かもんはアンタやんか!」
「黙れよマジで」
「愚かもんは嘘しか言わんわ!」
「いやマジで」瀬下さんは調子の高い子を睨む。
 調子の高い子は「こわ!」と叫びながら睨みの頭上を殴ったが、瀬下さんは更に強く睨み、調子の高い両頬を片手で掴み右側に歪ませた。
 調子の高い子は"必死に痛がっている"。
「お、谷田さんやっと笑ったね」
「どういうこと?」
「いや別に。あそこでなにしてたん?」
「あ、えっと。めまい?」
「めまい!!」
「声量ずっと間違えとるぞ佐伯さえき。なんでこうなる前にやめれなかったん?」
「家族みんな声デカイから喉のつまみがバグっとるとよ!」
「佐伯じゃなくて谷田さんに聞いちょる」
「なんでやろ、わからない」
「谷田ちゃんもしかしてめまい愛好家?」
「そんな人おってたまるか」
「なんでかわからんのにずっとおったん!?」
「え、うん」
「変人やん! せっかく変人なんやから自分が好きなようにやればいいのに!」
「脳みそ風船がなんかぬかしよるけど、まあ、なんか、理由があったんやろ」
 そう言って瀬下さんは毛布を首らへんまでかけてくれて立ち、白いカーテンで空間と空間をへだたせた。
 「静かにできないの?」という大人の声のあと、佐伯さんが「できますよ」とすごい速さで答え、その一言あとに瀬下さんが「できますから」と言い切り、次には勢い良く閉まるドアの音が聞こえた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?