23.『北沢靖人の日記』



 同日 北沢慧


 
ボールは後ろへ転がっていく。勢い余って尻もちをついた。地面はかたく、痛みは体の奥まで貫通してきた。
 みんなは俺を笑うけど、兄貴だけは俺のもとにかけてきて、心配そうな声でお尻の土をはらってくれた。
 兄貴が両腕を伸ばす。その腕に甘えておんぶなんかされてる。「お前は俺が守っちゃる」それが兄貴の口ぐせだった。


 煙草臭い。壁もカーテンも日記のページも変色している。でもソファーだけはあの頃のままの匂いで止まっている。
 古い写真がはさかっていた。写真にうつる裸の子供は誰だろう。気持ち悪い。この部屋で撮られたものだ。この子供は俺か? いやこの子は女の子だ。次のページを触る。




  2010年 8月26日

 プールに行った帰りにファミレスでオザキが言った。
「ナカノミキがお前のこと好きってよ」
 聞いてすぐは嘘だろうと思った。自分はオザキが嫌いだから。いつもヘラヘラして面白くないことをスラスラ口から垂れ流すからダメなシャワーってみんなから呼ばれている。
 エロい同人誌を机に置いてみんなにバレるようわざと放置して先生に怒られる。これのなにが面白いのだろう。怒られることがかっこいいとでも思っているのだろうか。いやまさか。
 まさか、嫌いな人間の口から、自分のこと好きだと言ってくれる人間の名前を聞けると思わなかった。嘘でもなんでもそれでもやっぱり嬉しくて自転車で風を感じながら本当だったら良いのになと思った。
 ナカノの絵を描いた。制服姿以外見たことないがカーディガンを羽織ったナカノの絵。少し目が大き過ぎるけどうまく描けている。



  9月2日

 レンが授業中「飛行機飛んどる!」と叫んでみんなを笑わせてたから俺は「あんなところにUFOが!」と叫んだ。
 先生は怒鳴りちらしていたけどみんなは笑ってくれた。これじゃオザキの愚行と同じじゃないかと落胆したがみんなの笑顔の中にナカノの笑顔もあったから6限の英語もふざけた。
 先生が黒板になにか書いてる隙に椅子から離れ、床に寝ころび仰向けで腹筋、うつ伏せからの腕立て伏せ、椅子の上に立ってスクワット。
 いつも調子の良いクボタが笑ってくれるのが嬉しかったし隣のやつも笑ってくれた。なによりナカノが笑ってくれてた。ナカノのあの顔がもう一度見たい。今よりもたくさん見てみたい。



  9月9日

 やった、やったぞ。よくやった自分! よく誘えた自分!
 今週の土曜日ナカノとモールに行く。よくやった。本当によくやった。
 ナカノのことが好きという気持ちだけでそれはそれでとても幸せなことだけど言葉にするって、伝えるってやっぱり大事だったんだ。
 待ち合わせからのカラオケからのモールからの映画館。とっても良い感じ。どうしよう、なに歌おう。ナカノの好きな歌はなんだろう。自分が好きな歌をナカノは好きだと言ってくれるだろうか。ナカノの好きな歌を自分は好きだと言えるだろうか。
 なに着てこう。なに食べよう、なにで遊ぼう、映画はなにを観よう、そのあと二人でなにしよう。
 ダメだダメだ。想像だけが膨らむ。捨てろ、想像を捨てろ、思い通りになんてどうせうまくいかない。だからもしナカノが良いと言ってくれるのなら、いろんなことをたくさんしよう。



  9月11日

 笑ってほしかった。ただ笑ってほしかっただけなんだ。
 待ち合わせで服の話になったとき今日は絶対うまくいくと確信できた。俺のすべてを受け入れてくれると、そういう感覚が確かにあった。それがまずかった。

 歌を歌うナカノがどうにもこの世界から逸脱しているように見えてミラーボールのキラキラに照らされている姿はベタだけどまさに"天使"だった。そういう言葉しか浮かんでこなかった。

 映画がはじまるまで1時間くらい空きがあったから昼ごはんを食べた。ナカノと同じメニュー。家で食べるご飯より美味しく感じた。
 ナカノはいつも笑ってくれるから、自分もナカノみたいに笑って、それはとても幸せなことだと感じた。この時間が永遠に続けばいいのにとか馬鹿みたいなことまで思ってしまった。
 将来の話をした。ナカノは言語聴覚士になりたいと話してくれたし結婚もしてみたいとも話した。
 言語聴覚士がどんな仕事かわらなかったし、結婚の良さも全く理解できなかったけどナカノがとても優しい人間だということはたくさん理解できた。褒めるとナカノはなんか恥ずかしそうに「この話誰が得するんやろ」と言ったから「俺は得したよ」と返した。ナカノはカチャカチャ音を立てながら黄色い部分だけをかきこんだ。自分も同じく卵の部分をかきこんだ。

 ナカノはホラーが好きだから『13日の金曜日』の再上映を観た。ジェイソンはあんまり出てこないけどホラー映画としてはかなり怖い方だと感じた。とくにあの、頭上に死体が放置されてるシーンは鳥肌ものだった。

 ベンチに座って映画の話をした。あのシーンの話になった。話を聞いてくうちに不安になった。あのシーンをナカノは面白いと言って笑ったのだ。視界が少し歪んだ気がした。理解に苦しんだが合わせた。そっから最近観た映画の話になって、でも自分はせいぜいテレビでやってるやつとか、話題になったやつとかしか観ないからナカノの口から出てくるタイトルはほとんどわからなかった。
 『ジュマンジ』まではついていけるけど『サスペリア』あたりで置き去りにされた。ナカノが絶賛する自分が観たことも聞いたこともない映画の演出や映像の美、演技などぼんやりとは掴めるけどすぐに両手から滑り逃げてしまう。
「私しゃべりすぎ?」
 ここだと思った。話を変えるチャンスがあるとすればここだ。そんな難しい顔しないでさって。笑顔を見たいだけなんだって。そんな感じでぐっと顔を近づけて自分の顔をしっかり意識させた。さらにチャンスが到来した。ナカノが何か察してまぶたをつむったのだ。自信があった。絶対に笑ってくれると思った。だけどまつ毛ごとまぶたを舐めたあとに頬を叩かれた。意味がよく理解できなかった。「きもい」と言われた。だから一人で帰った。まだその声が耳の奥で蠢いている。どうしてこうなってしまったのだろう。



  9月13日

 ナカノが学校を休んだ。自分のせいじゃないことを祈る。


  9月14日

 ナカノがまた学校を休んだ。あの日のことを謝らなければ。


  9月15日

 どうしたらナカノが来てくれるのだろう。ナカノは今日も休みだ。



  9月16日

 体育館に呼びだされた。
 2組のカガ。ナカノを好きだと言いきったカガ。
 喧嘩は好きじゃないけどやるしかなかった。ナカノのために戦うしかなかった。顔が腫れるまでは殴ってやった。指の関節部分の皮膚が剥げ、血が滲んだけどあれはカガの血だったのかもしれない。
 待っていてもしかたがない。自分はすぐにでもナカノに会うべきだ。


  9月17日

 アリムラにナカノの家の住所を聞いた。学校はサボった。
 何度も練習した言葉。電車の中でも練習した言葉。伝えることができそうにない言葉。いや伝える、伝えてみせる。自分の中の特別な言葉。

 ナカノのお母さんが家に入れてくれた。でもミキは不審がってあんまりこっちを見てくれなかった。振り向かせるため階段から転げ落ちようとも思ったけどそんなことしたらあの日の二の舞になってしまうからしなかった。

 ミキは青ざめた顔のまま時が止まっているようにずっと窓の奥を見ていた。
 まぶたを舐めたことを謝った。何度も謝った。もう気にしてないと言ってくれたがもう笑ってはくれなかった。
 カガとのことを話した。笑ってくれると思っていたが自分がやったすべてを後悔した。ミキが泣いてしまった。そこから何も言えなくなった。黙って家を出た。知らない道をひたすら歩いた。なにをしていいのか、どこに帰ればいいのかわからなくなった。もうこの先、なにをやってもうまくいかないことを知った。知ってしまった。知りたくなかった。自分はこの先、なにを信じて生きていけばいいのだろう。



  9月24日

 何も無い。ごめんな慧、ごめんな母さん父さん。俺はもうダメだ。




  10月8日

 書くことなんてない。ご飯がおいしくない。
 天井が白い。
 シーツが白い。
 外が白い。
 人が白い。
 自分だけが黒い。
 警察が来たけどなんにも話す気力が無い。どうでもいい。

 誰かいるのか? 外の音か? いやこれは廊下から聞こえる。
 足音か? いや声にも聞こえる。誰かいるのか? 遠いのか近いのかわからない。まあどうでもいいか。
 もう寝よう。どうせ明日もやることなんてない。


  10月10日

 母さんも父さんも慧もなんもわかっちゃいない。
 この悲しみは俺だけのものだ。あの喜びも俺だけのものだ。
 ミキもそう思ってる。あの悲しみは私のものだ。あの喜びも私のものだって。
 入ってくるな。これは俺の世界だ。これはミキの世界だ。二人だけの世界だ。邪魔すんな。
 縋るものはこれしか無い。二人でつくった記憶にしか安らぎを感じられない。これで俺は幸せなんだ。なのになんで悲しい顔するんだよ、父さんも母さんも慧もどうかしちゃったのかよ。
 俺のこと笑ってくれるのは記憶の中のミキだけ。お前ら家族が笑ってくれないのならそれはもう俺の敵だ。
 今日も聞こえる。あれはきっと音なんかじゃない。



  10月13日

 お前だけだよ。
 そうだよな、俺がおかしいわけない。おかしいのはみんなで俺はなんにも間違ってない。全部みんなが悪いんだ。ナカノミキ、お前もみんなと同じだ。ほら、またそんな顔して。もう俺のことなんてどうだっていんだろ?
 なあ、どうしたらいいと思う?
 殺すか?
 そうだ、殺そう。ナカノミキを殺してから死のう。学校を襲おう。みんな死ねばいいんだ。オザキもレンもクボタもアリムラも先生もみんなみんな、みんな消えてなくなれば次に進めるんだ。
 殺そう。あいつら殺そう。殺して殺して殺しまくって自分だけ笑おう。
 いつも助かるよ。でも今じゃない。まだ早い。本望だろ?


  12月19日

 お前は最高だ。
 笑えることばかり出してくれる。お前は親友だ。
 あいつはしぶってできなかったけど俺はやれる。お前とならやれる。相手は小学生。騙すのはとても容易さ。お菓子ごときでなんでも触らせてくれる。ガキってのは本当にバカだよな。
 もっと見せてくれよ。もっと見せてやるよ。一緒に面白い景色見ような?
 もう戻れないからな?
 ほら、しぶってないでほら、次の面白いをくれよ。俺がやってやるから。



  2011年 3月7日

 あの顔見たかよ? おもろっ。おもしろ。
 ブザーなんか握っちゃって。鳴らさないと意味がないんだよ。
 わじゃわじゃする。あんまり美味しくない。
 あんまりだったな。あんまり面白くなかったな。
 次は俺がつくってやる。俺がつくって今度はお前が実行しろ。
 いいな? できるよな?



  5月6日

 死んでないなら意味が無い。死ねよこの役立たずが。
 俺がやった方がマシだった。何やってんだよ。
 わかってねえなお前。あいつのように突き落としてやろうか?
 泣いても何も変わらないんだよ。ほら、笑えよ。ほら、手伝ってやるから。気持ちいいだろ? 死ね、ほら死ね、とっとと死ね、苦しめ、お前のその穴ぼこ、面白いから確認してみろ、ほらどうした? はやくしないと消えるぞ? ほら、ほらほら、消えるぞ、消える消える、消えるぞほら。
 お前の死様おもんな。


  5月20日

 炎は綺麗で面白い。
 燃える。燃えてく。木が燃える。自分の体が燃える。ミキの体が燃える。この町が燃えていく。燃えろ燃えろ、もっと燃えてしまえ。


  6月28日

 天使に会った。
 あのしょうもない色の天使じゃない黒い天使。話すつもりはなかったけど話してしまった。だから天使なんだと感じた。ありがとう。俺、頑張るから、絶対に成功させようね。


  7月30日

 もうお前の物じゃない。
 使い道なんて教えてやるものか。もうすぐだ。もうすぐ決行だ。
 黒の天使よ、この町に面白い罰を。


  7月31日

 面白い映像だった。作戦は成功。君はやっぱり最高の天使だ。


  8月16日

 日記は必要無い。二人で町を出よう。みすずの塔で待つ。




 日記を閉じて天井を見た。薄黄色の点がある。息を吸って出した後もう一度、写真がはさかっていたところから読み返そうと思ったが、読み返さなくていいとも思った。答えは出てる。この町で起こった事件のほとんどは兄貴のせいだ。俺たちはもう、一生あの頃には戻れない。

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