6.『7月24日 〈1〉』


 7月24日


「親戚の集まりで下ネタ言う感じ」
「え?」
「うんうん、そう。親戚の集まりでぇ、下ネタ言う感じぃ」
 まさる先輩はあまり表情を変えず、佐伯をただ見ながら「あいちゃんも来れたら良かったのにな」と呟いた。
「瀬下はああ見えて友達多いからのぉ」
「俺らが友達少しみたいやん」
「畑に水あげるよりウチは野菜に水をあげたいんよ」
「それやと収穫するとき、水あげてたかぶは大きな蕪やけどそれ以外の蕪は全滅な蕪やない? いいんかゆい。本当は全部食いたいやろ?」
「別に食べたくないよ」
「おい大丈夫か唯。太陽にやられたんか? 谷田ちゃん水持っとる?」
「持ってます」
「やられてないけんいらんのじゃ!」
「水がダメなら俺のやる。飲め唯。ダウンする前に飲め唯」
「いらんのじゃお前のポカリ!」
「じゃあなにが飲みたいんじゃ!」
「なんも飲みたくないんじゃ!」
「じゃあ先言えや!」
「言っとったやろうが!」
「心配なるやろが! 唯に欲が無いのはさすがに心配、なるやろがい」
「ウチだって欲無い日だってあるんだ! ブルー入る日だってあるんだ!」
「そりゃ俺だって入りたい日あるよ、今だってここにあるんやったら入りたい」
「先輩それはプールじゃないですか?」
「ウチが言うとんのはブルーじゃ!」
「誰にでも間違えくらいあるんじゃ!」
 佐伯は道の真ん中でうずくまり、「それはもう親戚の集まりで下ネタ言う感じやん!」と仰向けになってから両腕両脚を大きく広げ叫んだ。その姿は決勝での悠馬とアラケンを彷彿ほうふつさせた。
 羽が照明近くまで飛び上がる。
 山本やまもと兄弟のチビの方のスマッシュを、アラケンは軽いスナップで兄弟側のコートへ返し、山本兄弟のチビじゃない方が腕を伸ばして拾い、羽は荒垣苗木ペアのコートに落ちる、寸前で悠馬は羽と床の間にラケットを差し込み手首をしならせ奥へ飛ばす。
 飛ばした先にはチビの方が待ち構え静止し、羽を打ち込むギリギリのところでフォームを崩した。フェイントだ。アラケンは羽を見ている。羽と、それから悠馬のことだけを信じている目で。悠馬はアラケンを見ていない。兄弟の動きを追っている。
 アラケンは迫り来る猛攻を相手コートに返し続け、浮き上がってしまった羽は悠馬が戯けるように打ち込む。山本兄弟のローテーションが停止する。アラケンは羽の軌道を見ている。インかアウトか、アウトかインか。羽はどっちに行くかなんて決めてないよと言うように曖昧に、そして愚直に落ちていく。キュキュという音がして山本兄弟がその音を合図に動き出した。兄弟はそのあまり似ていない顔を互い見合う。羽は兄弟の真ん中に落ちていき兄と弟、ほとんど同時に手を動かしキャシャンという音に持ち上げられた羽のゆくえに跳び上がった悠馬がネット前にすでにいて、ラケットごと叩きつけ、羽は床で失速し蓄積されたスピードの分くるくると転げ回った。
 スコアシートのパタンという音と笛の音。
 叫びながら倒れるアラケンと悠馬。
 会場は様々な声に包まれた。わたしも隣にいた佐伯ほどではないが声を出していた。二人はこの日おこなわれたバドミントン大会男子ダブルスの部で優勝した。
「お! 谷田さん来てたんや!」
 ぐっしょりと汗で濡れたバドミントンウェアと陽に焼けたアラケンの濡れた腕にはまだ、勝利の熱が陽炎のような様相でだだ漏れている。
「ウチが連れてきたんだ! 感謝してよね!」
「ああ。ありがとな佐伯」
「荒垣も苗木もむっちゃかっこよかったぞ」
「あざす」
「本当は山本兄の応援やったんやけどね」
「同じ学校やったんですか?」
「そうだよ。やから内心、結構複雑やったわ。でも良い試合やった。あいつらも文句無いだろ」
 悠馬とアラケンは大きなお辞儀を綺麗に揃えた。
「谷田さん、この前はごめん」
「え?」
「あの日は突然でびっくりした。あれからアラケンとかと話してて、やっぱあれさ、面白かったよねってなったんよ」
「そうそう。女子陣は完全に引いとったけど、俺たちはああいうのやっぱ嫌いになれないというか」
「いや、全然、わたしこそ勝手にごめん」
「でね、"笑わせる為にあんなことをやってのけた"谷田さん見て、俺たちも試合頑張らなくっちゃって。いつもより練習したんよ。本当は俺とアラケン、別のやつと組んで出るつもりやったんやけどコーチにお願いして組ませてもらった」
「悠馬とダブルスできて本当によかった」
「俺もよ」
 悠馬が先に笑ってから、アラケンも後に笑った。
「谷田さん。俺たち、勝ったよ」
「うん、おめでとう。悠馬くん、アラケン」
 二人はやっぱり大きなお辞儀を綺麗に揃えて表彰式へ向かった。
「はあああああああ!!!!」
 式の途中だった。濁りきったような女性の声だった。
 さっきの歓声に乗り遅れた声が今更ながら乗り込んできたようにそれは突然で意表をつかれた。
「はああ!? はあ? は、は、は、はあ? はあ? なんでよ! なんでウチの子らがそこにいないのよ!」
 佐伯は笑いながら「なんじゃあのおばさん!」と大声を出したがおばさんは佐伯の声なんて聞こえてないように、聞き慣れないリズムで声を出し続けていた。おばさんをどうにか止めようとした隣の男性が突き飛ばされる。
「い、いに、みに、いみにわかんな、い、いい、ななななんで、なんで、なの、の、ののの、よ、ななんで、あうああうあうあうあ、あうとあうとだったでしょっしょっしょ、しょうが、なんでうちの子らがが、あんな、あなななな、にまけ、はああ!? はああああ??? わからない!」
 最後の言葉だけはっきり聞き取れたが、辛うじて言葉の意味すべてわかったとしても奇妙なリズムの言い分はこの場では誰も理解してあげられないようだった。
「山本の母ちゃんだ」
 優先輩が園内で動物を見たときみたいな口ぶりで言ったので、漏れそうな声を食い止めたが、佐伯がゲラゲラ笑うので我慢は極めて難しかった。山本の母は首にかけていたタオルを凶器の勢いで振り回し、周りをぶち、おもちゃみたいな声を上げ続け、大人たちに取り押さえられ外に出された。
 その一部始終を見ながら、佐伯は笑い袋を連打したときみたいに笑い、優先輩も笑っていたからどうしようもなく際限無くなった。
 ンッンンというエコーがかかった声と共に佐伯と優先輩は急に黙りこくったので、結果的に、わたしがずっと大きな声で一人で笑っていた構図になった。佐伯と優先輩はなぜか同じ表情で互い見合っていた。
 白髪のおじさんにマイクを渡された悠馬が泣きそうな声で「良い戦いでした」と会場に話しかけてきたのでわたしはもうなにがなんだかわからなくなって、笑ってしまい、そのまま外につまみ出された。ロビーで山本の母と一緒になってからはかなり気まずかった。
「普段は優しんだ。遊び行ったらジュースとお菓子絶対出してくれるし」
「こーわ! え、ミザリー? ミザリーってこと?」佐伯はむくりと起き上がる。
「体育館だいぶだってたし、なんか脳内で事件が起こってたんかもしれんね、それより災難やったね谷田ちゃん」
「災難というか、あれは完全に二人の差し金でしたよ」
 優先輩はゆっくり笑い、そのあと速く笑った。
「夕涼み行こう!!」
「声でけえって唯!」
「夕涼み!」
「谷田ちゃんごめんね、このあと俺たちあるんだわ」
「はい」
「駅まで送るわ、谷田ちゃんどこまで?」
「勝手に話し進めんな!!」
「はあ?」
「優知らんと? 夕涼みは男子禁制なんよ!」
「え!? そうなん!? プリクラ的な感じ?」
「そうです」
「じゃあ俺ダメやん!」
「残念バイビー!」
「てか、ちょ待って、俺らのが先やったやろ!」
「ガタガタうるせえなあ。人は常に感情で動いているものなのです。瞬間的に変わっていくもんなんです!」
「勘弁してくれよ! あの部屋使えるの今日の次の時間だけなんよ!」
「それは優からなんとか言っといて」
「お前さ、鯖川さばかわさんの怖さ知らんからそんなん言えるんやって!」
「ほんなら優ん家でヤろ」
「できんから鯖川さんにお願いしたんやろがい!」
「ほだらよ!! 公衆便所でもどこでもよ! 好きなとこでよ! ずっこんばっこんよ! ヤればいいやん! ヤればよろしいやんか!!」
「なんなんこの女!」
「行こ、ハルちゃん」
「ごめんなさい」
「おーんお、おーん。楽しんでぇ」
 優先輩と信号のところで別れてからすぐ、佐伯がポケットから惣菜パンを取り出した。向こうの道で「やっぱ腹減っとるんやん!」という大声が聞こえた。

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