16.『花火大会前日 加藤瑛真』




「おいで」
 エイマは白いカゴの中の枝をチクチク歩いて「おいで、おいで」と私の言葉を繰り返す。
 昔飼っていたインコ。名前はエイマ。自分と同じ名前をつけてしまったばっかりに死んだ時はとても悲しかった。ママが同じ名前に猛反対した理由をエイマが死んだときはじめて理解した。
「おいで、おいで、おいで」
 日曜日の朝にやってたアニメの、魔法少女が叫ぶ必殺技を覚えさせたがゆえに、一緒に遊ぶとき、私はいつも悪役をやらざるをえなかった。それが嫌になってエサをあげなかった日があった。関係あるかわからないけどその次の日の朝にエイマは死んだ。カゴの底で横たわる体に何度も声をかけたけどエイマはぬいぐるみみたいに動かず、私はそこではじめて「死」というものに直面した。ママはカゴから私を引き離し白い布にエイマを包んで庭に埋めた。
「ごめんね」
 エイマは「ごめんね、ごめんね」と鳴いている。
 私はカゴの扉を開けて人さし指を差し出す。チクチク跳ねるエイマは私を怖がっているのか中から出ようとしない。そういえばあんまりカゴから出してあげたことが無かったから、カゴの中の暮らしの中で飛び方を忘れてしまったのかもしれない。エイマには自由に空を飛んでほしい、だからおいで。私の指なんかじゃなくって空に飛んでおいで。
 痛っ。
 指の先から血が出てる。つつかれたことなんて一度も無かったのに。どうして私をつつくの? 私のことやっぱり憎いの?

「お前のせいだ」

 
違う。違う違う違うよ。あれは本当に違うの。だってあの日は確かに私の番だったけどママかパパが代わりにあげたはず。私のせいじゃない!

「お前のせいだ、お前のせいだ」

 
違う! 違う違う違う!
 エイマの顔が、同じ言葉を発しながら空気を含んで、膨れはじめた風船みたいに頬をパンパンにして腫れ、クチバシとクチバシはゆっくり違う方向に裂けていく。エイマはなにごとも無いようにその口の中の仄暗い闇の奥で喋り続けている。
 目玉は体内で膨張し続ける空気に押し出され、だらりとピンクの肉糸を引き、両目だった黒い場所と目玉を繋げる糸は目玉の重みに耐えきれずカゴの底に溢れ落ちた。なにがなんだかわからず目玉を掬い上げると破裂して、黒い米粒みたいな小さな蜘蛛が色を広げるように飛び散った。手をパタパタ扇いではらえなかった蜘蛛を指と指で摘んで地面に捨てた。
 エイマの体は膨張し続けカゴの隙間をニチニチ無くしてく。悲鳴のような音を鳴らし、エイマの体積に耐えきれなくなったカゴはとうとう大破した。エイマの羽は髪が抜け落ちる様にパラパラと容易く落下し、突風に絡まり上空に飛んでった。
 この空の色を知ってる。この場所も知っている。橋の下の水面には水中がまったく見えないほど夥しい数の魚の死骸がひしめき合い、その死骸と死骸の隙間に生える蓮の葉は急速に燃えはじめ、ユラユラと黒煙をあげ、煙は空に練り昇りもともと上空にあったような渦巻模様に吸い込まれてうねった。欄干だったはずの両側に地蔵がずらり向こうまで一直線に並びそれが新しい欄干として橋を橋たらしてめている。この空の色を知ってる。この場所も知っている。けどちょっと違う。ここはどこなの?

「どこなの! どこなの! どこなの!」

 エイマの口の仄暗い闇の声と共に規則的な足音は軍隊の行進みたい。エイマの体は私の身長を超えクチバシはアーチ状の出入り口のような形になっている。仄暗い闇から聞き慣れない異国のメロディーが鳴り響いていた。聞き慣れないがこの音色は知ってる。バグパイプだ。この音はなんだか祝祭を彷彿させる。
「アナタの食卓もあっという間に様変わり! ドキドキ!」
「ワクワク!」
「簡単数分クッキング!!!」
 闇から出てきたのはエプロン姿のアラケンと悠馬だった。二人はラケットを持っている。
「さあ今日もこの方に登場してもらいましょう! アラケンよろしく!」
「はい! 本日も荻美咲先生です! どうぞ!」
 アラケンが叫ぶと闇から民族衣装を着た荻美咲がくねくねした動きで出てきた。
「さあ先生! 今日はなにをつくってくれるんですか?」
「はい! 今日わたしが紹介する料理はこちら!」
 ティロリロリンという稚拙な音がどこかで鳴った。
「愛と憎しみのウィスキーソース和えです!」
 いつの間にかアラケン達の前には台所が設置されている。
「先生、これはどういう料理なんでしょう?」
「スコットランドの家庭料理でですね。日本で言うときなこ餅です」
「ほほお〜それは是非食べてみたい!」
「それでは早速つくっていきまっしょい! まずは冷蔵庫に必ずある加藤さんの大好きな友達を用意します」
「ああ~ついつい残っちゃいますもんねぇ~」
「その加藤さんの大好きな友達をミキサーにかけてミンチにしていきます」
 ミキサーの中に悠馬が片手を入れた。グイイイイイインという悠馬が砕ける音にはエコーがかかっており笑顔のまま肉塊になっていく。真っ赤な血が荻の衣装やアラケンのエプロンに飛び散りそういう模様のようになっていく。
「先生続いては?」
「続いては加藤さんの家族を用意してください」
「これも絶対にあると言っていい食材ですもんねえ」
 ミキサーが二つに増えてる。やめて。お願いだからやめて。
「家族を砕くのには時間がかかりますからあらかじめミキサーにかけておいたペースト状の加藤さんの家族を用意しております」
 アラケンは銀のトレーを出した。トレーの上にはミンチになった肉塊がある。見間違いなのか生きててほしいと願う思いが反映されているのか肉はぐじゅぐじゅひとりで動いている。
「そして加藤さんの大好きな友達と加藤さんの家族をこねこね、こねこね、更にこねこね、更に更にこねこね、棒で伸ばしていきます。ここに塩とニンニク、ごま油を入れてください」
 よく見るとラケットフレームにはびっしり鉄の刺があり、そのノコギリ状のフレームでアラケンは自分の腕を切断しそこから吹き出た粘る血を肉塊にかけた。
「これを30分間オーブンに入れて、焦げ目がついたら取り出してください。そしてそれがこちらです」
「うわぁ~美味しそうですねえ先生」
「焦げ目がついたら最後にソースです。スーパーやコンビニに売ってるこれを使います! 加藤さんの大切なものなにからなにまで!」
「確かにそれならどのご家庭でもお安く手に入りますもんね!」
「それじゃあ荒垣くんよろしく!」
「いってきま~す!」
 アラケンの体は一気にひしゃげ荻が持っているお皿にアラケンの血が吹きかかった。もう、やめて。
「かーんせーい! それでは早速いただいてみましょー! いっただっきまーす! う~んおーいひぃいー!」
「119!」
 後ろから声がした。さっき肉塊になってしまった悠馬とアラケンがいる。エプロンをしてない。私にそっくりな私もいる。
「悠馬早く!」
「わかってるって!」
「通報はしていい。でも私たちのことは話さないでね」
 前に向き直ると民族衣装じゃない荻がモヒカンの男と立っている。荻は一脚を持ち笑っている。モヒカン男は堂々笑ってる。これは、あの日だ。
「なに言ってんだお前ら離れろ燃えてんだぞ! 悠馬早くしろよ!」
「僕達とあなた達は今から共犯関係だよ。だから話すな」
「わけわかんねえこと言ってんな! かけろよ悠馬!」
「ウコン」
「押忍」
 モヒカンはトゲトゲのピアスを指で触り、首元の太陽のタトゥーを歪ませ、眉をへの字にし両目をくしゃつかせ口を大きく開けて屈託無く笑った。
「かけてもいいっす。かけていんすよ。でもこれだけは約束。もし俺らのこと話したら全員殺す。加藤さんの大好きな友達、荒垣くんの大好きな友達、苗木くんの大好きな友達、加藤さんの家族、荒垣くんの家族、苗木くんの家族、お前らが大切にしてるもんなにからなにまで全部俺の人生かけて殺すから

「だってさ。やるよ、ウコンは本当に」

 まぶたを開けた瞬間にむせた。自分が今呼吸をしてないことに気づいてえづき、今度は空気の吸い込み過ぎで肺あたりが痛かった。鼻があたたかい。鼻血が出てる。ティッシュで血を拭きながら外の小鳥の声を聞く。時計の針は4と6の位置にある。

 夢。最初の方はもう覚えてない。

 屈託のない笑顔で話すモヒカン。大きな体や奇抜な髪型もあってそういうのにしか見えなかった。それにあの表情は外道のそれだ。外道が一般市民を脅す時に使う表情と常套句。

 私はあの日、ただ走り去っていく二人と燃え盛る木々、それと猛り立つ黒煙を見ていることしかできなかった。あの言葉にちゃんと絶望した。絶望しきった。もうあの日なんて思い出したくもない。喉が異様に乾いてる。一階で寝てるママを起こさないように階段をそっと降りたけどママは起きてしまった。すでに起きてたのかもしれない。
「早いのね」
「友達と会う」
「ダメ」
「大丈夫だよ」
「ダメよ」
「心配なのはわかるけどさ。もう一週間誰とも会ってないよ? みんなに会いたいよ」
「私とパパがいるじゃない」
「サンダル買いに行くの。前に話した時は良いって言ったじゃん」
「状況が変わったの。ああいう事件が起こると犯罪の数が増えるのよ。犯罪に影響された犯罪者予備軍が刺激されて動き出すの。まるで虫みたいに気味が悪い。わかるでしょ?」
「そんなの知らない! ママだってわかるでしょ毎年中央公園の花火大会私達がどれだけ楽しみにしてるかくらい!」
「花火はママと見よ?」
「ママじゃダメなんやって! なんでわかってくれんの! 私は家族やなくて友達と見たいの!」
「わがまま言わんの!」
「やだやだやだ! 私はみんなと行く! 私は荒垣くんと行くって決めてたんだ!」
「ダメよ、絶対に」
 毛布を蹴って炊事場のつっかけを履き外に出た。扉の音にびっくりしてそれを合図に走った。どうしてわかってくれないのこの気持ち。アラケンと約束したんだ。サンダルを買いに行くって。嬉しかった。毎日不安だったあの仄暗い自室に光はさした気がした。不安をとりのぞいてくれる安らぎの場所はママじゃない。今はママなんかじゃなくアラケンなんだ。ママは私のことわかってくれない。なにもわかっちゃいない。ママなんか嫌いだ。嫌い嫌い嫌い! ダメ止まっちゃダメ止まらずに向かうの! こんな町出てってやる! 出てって安全な場所で安心できるアラケンの腕の中で眠るんだ! 止まっちゃダメ絶対ダメ! アラケン! アラケンアラケン! 荒垣くん!


「カトエマ?」
 アラケンは素振りをしていた。あの日のことがフラッシュバックしかけたけど無理やり振り払った。
「大丈夫か? 血、出とるぞ」
 鼻を拭うと黒っぽい血が手にこびりついた。
「待ってろ、なんか持ってくる」
 血が出てるけどなぜか落ち着く。
「ほら」
 アラケンの目は潤んでる。カラオケの日もそうだった。なんだか犬の目みたい。あの日は撫でてあげたくて撫でてしまったら髪もガシガシで本当に犬みたいで気持ち良かった。
 ああ、そよぐその髪をもう一度ガシガシしたい。アラケンは笑う。ティッシュを鼻に詰め込んだ私の顔を見て笑ってるのだろう。
「まあウチもカトエマのとこと同じ感じ。一応、今、夏休みなのにな」
 アラケンの唇はかさついてて、その口から出てきた夏休みという言葉でなんだか急に目の奥が熱くなった。
「それにさ、ずっと同じことやってても嫌になるよな。息抜きもやっぱり大事だよ」
 乾きに気づいたのかベロを一瞬ぺろっとして下唇を濡らした。今、本当はなにを考えてる?
「なあ加藤」
「え?」
「カラオケの日あったろ。あの日もし、順番回ってたら、加藤はなに叫んでた?」
 うまく息ができないからうまく息をしようとする。でも余計に変にこんがらがった。荒垣くんの潤った両目に吸い込まれてしまいそう。このままいっそ、私を吸い込んでよ。そしたら私は荒垣くんの世界になれるのに。
「俺さ、俺はさ。この町の人たちを助けたいって、叫んでた。いつもはテストで100点とりたいとか適当に叫んでたけど、加藤にはなんか言える。俺は自分のためじゃなくて誰かのためになりたい。人を助ける仕事につきたい」
「うん」
「って、思ってた。でも考えが浅かった。全然、ダメやった。俺誰も助けれんかった。情けないよ。ちょっとでも力になれると思ってたんだよ。自分の手で加藤を救ってみせる。この気持ちだけで、この気持ちの熱量だけで、なにもかもうまくいくと思ってた。思い上がってただけやった。無力だった」
「そんなことない! 私感謝してる! 無力なんてそんな悲しいこと言わないで!」
「でも実際そうだろうが! みんなの命危険にさらすことになってなにがみんなを守るだよ! なにが助けるだよクソかよ!」
 叩きつけられたラケットが道路の方に飛んでった。荒垣くんの表情とは無関係に軽々しい音。
「あれからさ、自分をいましめるみたいに毎日毎日素振りして、こうやってたらもっと強くなれるんじゃないかって、でもちらつくんだよ。あの日の炎とモヒカンの言葉が。すっげえ怖いんだ。まるで毎日耳もとで脅されてるような、そんな感じがして。眠れない日だってある」
 アラケンの髪を撫でて、そのまま抱きしめた。強く強く抱きしめた。泣いてる音がしたから私は荒垣くんの音にもっともっと近く体をうずめた。
「俺、大人になる。もっと大人になって、体も、心も、強くなって、今度は絶対、絶対絶対、加藤や悠馬たちを守ってみせる。この町であんなこと繰り返えされないように、俺がみんなを守るから。俺、さ、俺」
 良い匂い。汗の匂い。落ち着く。
「加藤のことが好き」
 荒垣くんの両目が揺れている。両肩がとてもあたたかい。でも少しくすぐったい。

「俺と付き合ってください」

 ブザー音が鳴ってる。その音は体全部に鳴り響き緊急事態のようにずっと鳴り止まない。鳴り止んではくれそうにない。お願いだから鳴り止まないで。

「お願いします」

 ブザー音を唇で塞いでくれた。それでも音は鳴り止まず今度は口内限定で鳴りはじめた。お口の中がとてもあたたかい。
「よ~し、それなら早速消火活動だ!」
 私の唇と乾いた唇が離れてびっしょびしょに濡れた。なんかさっきと違う匂い。
「まだまだ出るぞ! 止まらない止められないぞ!」
 荒垣くんのずり下がったズボンと服の真ん中から黄色くて細い液体が出てる。それが私へとつながってる。
「ほーら加藤! まだまだいくぞ加藤!」
「ちょっとやめて! やめ、やめてって!」
「うひゃひゃうひゃひゃひゃひゃうひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃうひゃひゃうひゃひゃひゃひゃうひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃうひゃひゃうひゃひゃひゃひゃうひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだ全部お前のせいだうひゃひゃうひゃひゃひゃひゃうひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃうひゃひゃうひゃひゃひゃひゃうひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃうひゃひゃうひゃひゃひゃひゃうひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひ



 まぶたを開けた瞬間にむせた。自分が今呼吸をしてないことに気づいてえづき、今度は空気の吸い込み過ぎで肺あたりが痛かった。鼻があたたかい。鼻血が出てる。ティッシュで血を拭きながら外の小鳥の声を聞く。時計の針は4と6の位置にある。

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