24.『花火大会当日 北沢慧』



 チャイムの音がした。背中にびっしょり汗をかいていたから階段を降りて、着替え、玄関に向かう。
 ドアスコープの奥に二人いる。一人はスコープ越しでもわかる大きな体の男。モヒカン頭で首もとにはなにかのタトゥーが入っている。
 もう一人はモヒカンより背の低い、髪がモジャモジャうねってる男。どちらも警察ではなさそうだ。
「どちら様ですか?」
「真鍋と言います。靖人やすひとくんに用があって来ました」
「兄貴なら出かけてますよ」
「その声、もしかして慧くん?」
「はい、そうですが」
「久しぶりだね。ほら僕だよ。モールのライブで会った。覚えてない?」
 こいつ、あの日のモジャモジャ頭。忘れてたけど思い出した。でも隣のモヒカンは知らない。
「君のお兄ちゃん、日記書いてない?」
 スコープから離れる。日記を握ってる手に力が入る。
「わかりません」
「そっかそっか。僕たち頼まれてね。探させてくれないかな?」
「あの、兄貴は日記書いてないです」
「あんまりお兄ちゃんと仲良くやってなでしょ慧くんさあ。書いてると思うんだけどなあ日記」
 なんかおかしい。こいつら、なんか変だ。会話が噛み合ってるようで噛み合ってないような。俺が隠してることはもうすべて知られていて、俺の話にこのモジャモジャがわざと合わせているような。
「ていうか書いてんだよお前の兄貴」
 モヒカンがいない? どこに行った?
 リビングの方でガラスが割れる音がしてモジャモジャはゆっくりスコープから離れてくのが見えた。やばい、これはマジにやばい。
 ガラスが踏み潰される音が段々こちらに近づいてくる。どうする? どうすればいい? こいつら一体何者なんだ?
「ほらそれえ! やっぱり書いてんじゃん日記!」
「ラッキー。探す手間がはぶけたっす」
 動け、俺の脚。頼むから動いてくれ。こいつらヤバい。とくにあのモヒカン野郎。腕っぷしじゃまず勝てない。
「北沢弟、それ、渡してくれないっすか?」
「どうして、ですか?」
「困るんだよその日記があると」
「美咲さんもバカっすねえ。あんな"精神病んでるやつ"に話すなんて」
 力が入る。どうするこいつら。どうすればいい? 考えろ。考えろ考えろ考えろ。
「本当はこんな真似したくはなかったなあ。ガラスなんて割らせたくなかった。でもお前がさっさと渡さないからさ。こんなことになるんだよ」
 テーブルの物が雪崩落ちる。モジャモジャは黒の革グローブをはめなおして首をピキピキ鳴らした。
「暴力はあんま好きじゃない。日記、さっさと渡せ?」
 両脚が動いてくれない。どうする? 走って玄関から逃げるか? いや、なにかトラップがあるかもしれない。それにモヒカン、ずっとこちらを牽制して離してくれない。体全部で俺の体全部を握ってる。握られてる感覚がある。どうする? 二階に上がるか?
 電話をとったモジャモジャに隙ができたがモヒカンが逃亡を許してくれない。
鯖川さばかわんとこの下っぱ取り押さえられたらしい」
「マジかよ。アレは?」
「失敗」
「やっくに立たないすねえ。やっぱスポーツマンはスポーツしかできねえのかねえ」
「まあ僕らがパクられる心配はないよ」
「んじゃまああとは"異常者"の日記だけだな」
 きびすを返して一段目に脚をかける。階段の段ボールをまき散らす。中から兄貴のCDが出てきて一瞬泣きそうになったが止まっちゃダメだ。上れ、走れ、走れ、走れ、なんのために鍛えてきたんだ俺の脚、とっとと走れよ!
 扉の鍵を閉めて窓を開けそのままの勢いで飛ぶ。着地した土はとても柔らかく痛みはほとんど無かった。
「追うとでも思ったすか?」
「主人公みたいな顔しやがって。おまけに行動も主人公そのもの。お前のやりそうなことくらい手にとるようにわかるさ。だって僕たちはお前の物語の主人公では無いんだから
 土を握り投げ散らしてモヒカンをステップでかわし、大きく広がったそのだらしのない片腕と脇の間を抜けて体で弧を描き、モジャモジャの膝を蹴り上げそのまま進む。
 絶対に振り返るな。振り返ったら終わりだ。走れ、このまま止まらず走り続けろ。あんなやつらに"兄貴"の日記を渡してたまるか。待ってろ兄貴。今からそっちに行ってやるから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?