26.『花火大会当日 谷田遥香』



 同日 谷田遥香


 
口の中は甘い。頭の中は台詞がひしめきぐるぐるうるさい。シーンはこの町で起こった本当の出来事の断片のよう。
 本当の出来事に台本の出来事が絡まって、自分と瓜二つの虚像が事実の近くで暴れ、ほつれていく。
 シナリオや場面が視界や思考を歪ませる。歩くと少しは楽になるけど家に帰ると蘇り、ご飯を食べるとき、寝るとき、湯船に浸かってるとき、話しかけてくるように側にいる。おかげでここ数週間は毎日撮影のことを考えていられたけどそろそろしんどい。はやくこの歪みを吐き出さなければ内側で爆発してしまう。
「なんの撮影ですか?」
 高校生くらいの男が話しかけてきた。ソフトクリームを食べるのをやめ、女が向けている小さなレンズに目線を投げた。
「映画です」
「すごいですね! 頑張ってください!」
「ありがとうございます」
 男は興奮気味に電話しはじめ、女は画面をじっくり見ながら歩きはじめた。女を合図にソフトクリームを口いっぱいに頬張って、男女とは別の方へ歩きはじめる。

 瀬下と佐伯の漫才は見たかったけど「谷田は変態やから撮影優先やろ」と瀬下は言ってくれた。佐伯は「ウチらの漫才はいつでもテレビで見れるようになるけん!」と瀬下の肩を組み嬉しそうに言い張った。
 「ちゃんと売れて花火大会よりもっとド派手な舞台の特等席から見せちゃる」とジャンパーに袖を通す瀬下は、大袈裟だったが、その大袈裟な言い方と大袈裟な言葉はなんだか恥ずかしいけど素敵だと感じた。だからわたしはふたりを信じてここに来た。後悔はまったくない。カトエマたちにも誘われたがそれはあんまし行きたいと思わなかったからすぐに断った。
 もし、わたしが花火大会に誘うとしたら慧くんだろう。慧くんは今頃誰とお祭りを楽しんでいるんだろう。

 屋上へと続く階段を一つ一つ丁寧にのぼっていく。
 台詞は覚えた。シーンも頭にある。何度もみんなと練習した。志乃ちゃんも練習に付き合ってくれた。大丈夫、成功させてみせる。そしてこの映画に出てわたしのことを認めさせる。志乃ちゃんに、カトエマたちに、家族に、先生に、そして慧くんに。できれば慧くんが一言褒めてくれないだろうか。そんな気持ちで撮影に臨むのは失礼だろうか。でも、失礼だとしても、今はもうなんだかこんな理由しか浮かんでこない。わたしは重い扉を力いっぱい押してみる。

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