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#20 どんなに最低でも 私は私だから

『自由』

言葉にしてみれば たったの2文字。

それでもその言葉がもつ重みは
計り知れないものです。



申し遅れました。アルカスです。
本当は思い出したくもないですが
今日は私が辛い過去をした過去のお話と
辛い思いをしている今のお話をします。

”話さなければいいだけ”の話なのですが
どこかで話さないと
自分が何かに蝕まれてしまうのが怖くて。

ちょっとだけ 聞いてもらえませんか。



冒頭で『自由』という言葉が出てきましたが
私は今『自由』を奪われています。

私から自由を奪っているのは 私の母親です。

私は今 私自身の『自由』を得るために
母親と絶縁しています。

絶縁しようと思ったのは一時的な感情ではなくて
これまでの苦しみが積もったことから
”自分を守る”という答えにたどり着きました。

幼少期の頃から遡って 私のことをお話しますね。



・幼稚園〜小学校

この頃がいちばん平和だったのかも知れません。
幼稚園の頃は男女関係なく仲良く遊んでいました。

小学校5年生の頃には初めて彼女ができました。
その時はとにかく恥ずかしくて親に彼女ができたことは言っていませんでした。

後に6年生に進級し新たに彼女が何人かできますが
一度も言ったことはありません。

この頃は母親も特に神経質なことはなく
好きな女の子とよく家で遊んだりもしていました。



・中学校

中学校になると異性関係について
母親が少し神経質になりはじめました。

中学校時代も小学校の時と同じく何人か彼女ができますが、この頃から外出時に誰とどこへ何をしに行くのか事細かに聞かれることが多くなりました。

そこまで事細かに聞かれると答えるのもちょっと嫌になるし、この頃から遊ぶ相手が異性になると『変なことするなよ』と毎度言われるようになりました。

それを聞くのも嫌だったので彼女の存在は言わなかったことに加え、彼女とデートする時には”男友達と遊ぶ”という嘘を使いはじめました。

嘘は良くないけど、せっかくできた彼女の存在も大切にしたかったから仕方ないと嘘をついていました。



・高校生

高校生になると 制約はさらに強くなります。
門限がつき 友達と夜にご飯を食べる ということも
叶わなくなってきたり…

高校時代にも彼女はいました。
高校生にもなると
遊ぶ場所も内容もたくさん増えます。

できるだけ長く遊んでいたい気持ちもあり
ここでも”部活”という嘘を使っていました。

そんな中 高校2年の時に
彼女との間でトラブルが発生しました。

この時初めて 彼女の存在と嘘かバレました。

それからの日々は覚えていません。
毎日が死んだような時間。
彼女ともお別れして 学校では孤立します。

3年間頑張って辞めなかった自分を褒めたいくらい
高校生の時は地獄でした。

後に彼女がいた事を黙っていたことや嘘をついていたことについては謝罪しましたが、同時に認めてほしいとお願いしたことも覚えています。



・大学生(現在)

地獄だった高校時代を乗り越えて
私は大学生になりました。

この頃は推しの影響もあり
とっても明るくポジティブな性格になりました。

人と話すことも増えたし
何よりも人と関わることが楽しく感じていました。

彼女ができることはなかったけど友達も増えて
幸せな日々を送っていました。

バイトも始めたことで門限については多少の許容が認められます。

これで友達といっぱい楽しい時間を過ごせる
そう思っていました。

それでも母親の束縛は 何も変わりませんでした。

外出する時には事細かな聴取。
夜の外出を伝えると怪訝な表情。
遊ぶ時に異性がいると 謎の注意。

そんな日々が続いていくうちに
私の中で母親に対する不信感が募っていきました。

そんなに毎度毎度事細かに聞かれて、私は信用されていないんじゃないかという不信感と自由を束縛されたことへの怒り。

悔しくても 機嫌を損なわないように
ただ耐える日々が続きました。

そんな我慢はある日 限界を迎えます。


ある日 男友達とご飯に行くことを母親に伝えると
こんな返答が帰ってきました。

”どうせ彼女と遊びに行くんだろ?”


もう我慢できませんでした。
 
ちゃんと嘘もつかずに伝えたし彼女なんかいるわけないのにそんなこと言われて、許せない。

そんな感情が ”母親との絶縁”という答えを
選択しました。



以上が”絶縁”に至るまでの時系列でした。

もちろん嘘をついたことで自分を苦しめたという事実もあります。

ただこの嘘は 自分の自由を守るための嘘でした。

私だって好きに生きたいから
だから嘘をつくしかなかった。

あの時ついた嘘の数々は 全く後悔していません。


たとえ親だからといって
人の自由を奪うのは 絶対に許せません。

もっと男女関係なく仲良くしたかったし
みんなで色んなところに行って、楽しい時間を過ごしたかった。

そんな願いは何度も何度も
母親に奪われてきました。

母親のせいでどれだけの大切なものを奪われたのかと考えたら私は母親を絶対に許しません。



母親と絶縁したことにより
今は色々と言われることがなくなりました。

父親は特に止めもしないので
今は私の理想的な生き方ができています。

普通に遊びにも行けるし
この前は旅行にも行けました。
交友関係も高校生までとは比べられないくらい広がりました。

今は本当に 生きてる時間が楽しいんです。

だからこの幸せを守るために
どんな犠牲も厭わないって決めました。

自分のために これからも戦います。



ここまで色々お話してきましたが
皆さんは素敵な母親をお持ちだと思いますので
素敵な親子関係を築いていただけたらなと。


ただ理由もなく親不孝なわけではなくて
自分を守るために親不孝になったことだけは
理解していただけたらなって思っています。


今回はここで筆を置きます。

こんな私ですが
今後もどうぞよろしくお願いします。

2023/1/29  arukaS(アルカス)

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