見たものの記録

1997年の第一回フジロックフェスティバル 

最初は雨が降っていなかった
会場までのバスが少なくて歩いて向かったので時間がかかった。
第一回のフジロックは実際に富士天神山スキー場(だったと思う)で行われた。

レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、フー・ファイターズが同じステージに経つというとんでもないライブだった。

日本からは甲本ヒロト、真島昌利率いるザ・ハイロウズがラインナップ。やっぱり日本代表は彼らだろうと強く思っていた21歳の僕は
ハイロウズが登場したときに
あの日の最初の客席のうねりができたと感じて、嬉しく、どこか誇らしい気持ちになった。

♪〜 月光陽光俺を照らせよ 月光陽光なんて力強く 
21歳のすべてがこの歌に詰まっていたと今思う。

途中から雨が降ってきた。どんどん強くなり、どうなってしまうんだろうと気がつくのは終盤だった。暗くなってきてステージにライトが付いた。

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのステージに2日目に出演するはずのプロディジーがでてきた。きっとそのときに2日目の中止はきまっていたのだろう。

野外フェスに慣れていない観客は防寒具や雨合羽を持っていない人がたくさんいた。
山の雨は台風のように斜めから突き刺さる。人肌の温かさでなんとかしのいでいた観客は、レッド・ホット・チリ・ペッパーズが数曲で終わってしまったことでことの重大さに気がつき、主催者の悲痛のマイクを聞いて、雨から逃げるために歩き出す頃には絶望的な状況にようやく怖くなった。

人が一気に出口に流れ込み、その人の波によりバスが埋もれて動かない。
昔の映像でみる学生運動のデモより大きい。
バスの窓を叩いている奴がたくさんいた。けれどもそれも仕方ないような状況だった。

どうやって宿に帰ったのか覚えていないが、これでは死人が出ていてもおかしくないと一緒に行った友達と話した。
なんせ、雨宿りする雨をのがれる場所が一箇所もなかったと思う。
一生のうちで一番長く雨に打たれていたのは1997年のあの日だと思う。

朝起きたときにはライブが始まっている時間だったけど、宿に中止の案内が既に入っていた。

大変だったけど参加できて良かった。断片的だけどとてもいい思い出になってる。
またいつかいくのだろうか、フジロック。


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