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運が悪いとは

いつもご機嫌 PERFECT DAYS かといえば、PERFECTではあってもご機嫌ではない時も勿論ある。

一昨日の夜は東海道線の人身事故で混んだ電車内で2時間立ったまま閉じ込められた。
運転再開予定時間が度々伸びて、新たな体調不良の人も出て、とても絶望的な気分になった。

スマホで読みたかった本を読んだり、立ったままできる武術の稽古に集中したり、目を閉じて身体の感覚に浸って瞑想したりして過ごした。

スマホはバッテリー残量が気になった。
省エネモードにして身体で遊ぶことができる武術稽古の効用を実感した。
東海道線は車内トイレがあったので安心できた。

発生初期段階は動揺した(僕にとっては最大級の恐怖になる状況。パニック障害だった昔なら耐えられなかったかも)が、徐々に諦めモードに入り、思考を止めた。外に出たかったが、「車内が一番安全」というアナウンスも、徐々にそうかもと思えるようになった。運転再開はアナウンスで伝えられる時間の倍かかると想定して構えた。

こういう時は、時間の流れをゆるやかにシフトさせて落ち着く必要がある。
無理にスマホの文字を追ったりせず、情報摂取を大きく減らして代謝を落としてのんびり過ごし、落ち着いたら飽きるまで読みたい本などに没頭すると、あっという間に時間が過ぎる。

運が悪いと言えばその通りだが、何故ハマってしまったのかと思い返してみた。自分で創り出している世界ならば、避けることもできたのではないか、あるいは自ら選んだのか。ほんの些細なサインの見落としが明暗を分けるということは、後から考えると多い。

予感らしきものがあったと言えばあった。
行きの電車内で、珍しい焦りのような苛立ちのような感じがあったが、表面上の些細なことが原因だと思ってあまり気にしなかった。

違和感といえば違和感だった。
ただ、トラブルを避けられたらいいのかといえば、そうではないのかもしれない。結果的には、貴重な体験となった。

昨夜の体験で災害時の用意や対応を具体的に考えたし、時間をやり過ごす感覚や、周りの人たちの心理的変化や対応も感じ取れた。

そして、引きずらずに、運が悪いとも思わず、その後も淡々とした感覚を維持することが大事だと悟れた。

淡々としていれば、違和感をうまく処理できるのではないかと思う。昨日の焦りの感覚を違和感として認識できれば、何かが違ったかもしれない。

焦りや不安は、「波」から外れた時に起こるサインなのかも知れない。
しばらくこのセンサーを試してみようと思う。

江戸時代までは「三脈を取る」という手法が日常的に使われていたという。脳は騙せても身体は騙せない。Oリングテストのようなもの。

無理せず自分の弱さを受け入れつつ、焦りや不安からは淡々と遠ざかるような選択を心がけてみようと思う。

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