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完全リモート演出家@長野

 はじめまして。あるがみちです。学生時代は慶応義塾大学のミュージカルサークルEMというところで演劇活動に携わり、脚本・演出・役者をしてきました。現在は社会人生活を控えつつ、長野県で実家暮らしをしています。そんな私が、この度とある演劇の公演の演出家を務めることになりました。しかも、完全リモート参加で。今回は公演を企画した経緯を書き留めます。


学生演劇にとっての1年

 コロナ禍によって学生演劇界は大打撃を受け、最初のイベント自粛要請からまもなく1年が経つ今、私の所属していたサークルも含め、多くの劇団の存立は風前の灯です。多くの大学で学生が直接集まる課外活動に制限を設けており、サークル活動は休止、新歓活動もまともに行うことができなかったためです。舞台づくりのノウハウを下の代に受け継ぐことができなければ、演劇は開催がますます困難になります。昨今の学生は3年生になればインターンシップなどの就職活動が本格化するため、本腰を入れたサークル活動は難しい、という事情もあります。学生演劇にとって1年は廃部に追い込まれるには十分の時間だといえるのではないでしょうか。

 そんな中でも、私の後輩たちはオンラインでの演劇活動に果敢に取り組み、活路を見出そうとしていました。昨年4月には学生演劇界の中でおそらく初となる「zoom演劇」を成功させ、その後も「演劇ユニット いき」としてテクノロジーと演劇を融合させた作品を上演していきました。この活動が「学生演劇にやれることはまだまだある」というメッセージを示したことは間違いありません。さらに言えば、今までの演劇以上に技術スタッフのメンバーたちが創意工夫し「裏方」ではなく「表現者」として力を発揮できる、あたらしい演劇の姿であると感じました。

 その姿を間近で見て「制約が新たな芸術や文化を生むとはこういうことか」と、とても感心しました。一方で、今まで劇場という空間で体験してきた、役者が演じる熱量に圧倒されて得られる「あの激情」がいっそう恋しくもなりました。オンライン演劇であっても、役者が身体性を十分に発揮し、見る人の心に刺さる作品をつくれないか。私も何か、自分ならではの作品を作りたい。そんな風に考えたのが、今回の公演の出発点です。


 …というのは、建前で。

本音で話そう

 本音を言えば、演劇が好きだから、とにかく何かやりたい、ただそれだけです。サークルを引退してから漠然と、何か新しい作品を生み出さなければ、という焦燥感がありました。演劇活動を通じて、モノづくりでしか得られない激情や幸福があることを知ってしまったからです。心を動かし続けて人に何かを伝える作品を作り続けなければ、きっと自分はつまらない人間になってしまうという予感がありました。だけれど、コロナ禍の今、沢山の人を巻き込みながら、様々な障壁を乗り越えてあえて上演する演劇を、私がやるべき理由はあるのだろうかと思った時に、漠然と「演劇がやりたい!」だけではとても通用しないな、と感じていました。

 それに、人に伝わるモノをつくりあげる、というのは尊いからこそ、大変な行為です。脚本家や演出家をやるには、今までの人生で経験したこと、考えたこと、見てきたもの、ありとあらゆるものを引き出しにして、見てくれる人に「心から訴えたい何か」を捻り出さなければなりません。そのためにはひたすらにインプット、アウトプット、インプット、アウトプット…もう、気持ち的には出涸らし状態。演劇活動をした4年間で蓄積してきた22年分の感性を使い果たしてしまって、凡人の私にはもう伝えたいメッセージも、表現できることも何もないよ、という気分でした。加えて、長野からは出られないし、同期の仲間はほとんど社会人だし、バイトもそこそこ忙しいし、人が集まってコロナの感染者が出れば大問題。やらない理由はいくつも浮かびます。演劇は大好き!でも、困難が目に見えている中でゼロから公演を企画し孤軍奮闘することが、少し億劫になっていたのです。


つき動かされて、今。

 そんな煮え切らない私に発破をかけてくれたのが、役者である同期の友人。彼女は「血肉沸き踊る”あの演劇”がやりたいんだ」と私に話し、使えそうな脚本をいくつも探してきてくれました。その中にあったのが、過去に劇場でもオンラインでも上演されたことがあるという、今回使用させていただく脚本です。タイトルなどの詳細は、情報解禁後に改めて。

 そのことを、前述の「いき」のメンバーである後輩たちにも話してみると、「この脚本、是非やってみたい」と、とんとん拍子に話が進み、会場は、上演許可は、と、一気に話が進んでいきました。どんどん人が集まっていくと、いつの間にか「どうしたら実現できるだろう」と前向きに考えている自分がいました。結局、私にとって演劇活動の一番の喜びは芸術性以上に、同じ気持ちで頑張ってくれる仲間がいて、自分が役に立てる居場所があることだったのかもしれません。演劇が好き、と言う気持ちがまた、じわり、と湧いてきました。

 また、脚本を読んだとき、この脚本を私が演出すのなら…と考えたら色々なアイディアが浮かんできて、「まだまだやれることは沢山あるじゃないか」と気がつきました。開けていない引き出しはまだあったのです。この半年、久しぶりに故郷で過ごし、家族や地元の友達、バイト先の方々など、学生時代には触れ合って来なかった様々なコミュニティの人たちと向き合いました。大学には新しい世界・人々との出会いが沢山ありましたが、同じような経済水準の人が集まりやすいため、どうしても社会に存在するあらゆる格差を感じにくい側面があります。環境の変化によって社会を見る視点がまた少し変わってきたことで、自分の中で新たな問題提起が生まれていました。そのことを思い知ったからこそ、「自分にも”今だからこそ”できることがある」と確信が持て、ようやく堂々と「演劇がやりたい!」と言えるスタートラインに立てたような気がします。


まだやれることはある

 オンライン演劇なのだから演出家が現地で演技指導をする必要はない。あくまでもお客様と同じ視点でPC越しに演出をつければ良い。…とはいえ今は、会場に足を運ぶこともなく、誰とも直接会うことなく演劇をやり切ることなんてできるのだろうか、という不安でいっぱいです。実働の部分は仲間たちに頼るほかありません。稽古だって、みんなでワイワイやった方が良いに決まってます。東京にいる仲間たちだって感染対策の面から、最小限の人数、最低限の頻度でしか集まることができません。ああ~~!まどろっこしい!

 直接会えないことは人をどんどん孤独にさせます。それでも、人の心を揺さぶる演劇をつくるために。この先に大きな喜びがあると信じて、私たちは挑戦を始めました。

 まだやれることはある、と自分を奮い立たせながら。


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