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大丈夫。

加藤さんが展示をされるのを知って
普段乗れない電車にもひるむことなく(プレミアムカーがあるのは大きい)
半年ぶりの京都、 ゆくことを決める。

浄土寺へはいつも、 安本バイクプール で自転車を借りて向かう。
その道中にいつも、 ここは京都なのだと、 目にいっぱいの山と緑と、
開ける平たい青い空の広がりに、 違う世界にいることを全身で感じる。

光兎舎、 開館の時間よりも早く着き、 ホホホ座 をうろうろしたあと、
swimpond coffee で、 ミエポンプさんのコーヒーをいただく。
隙がゼロの、 すべてに意識がゆきわたる空間とコーヒーは、 わたしは夢を思った。
また自分もコーヒーを出したい思いがいつぶりか湯気みたいに立ちのぼる。
柔らかな静寂にひたされて、 過ごしたかった、 求めていた時間を過ごせることに、 静かに感動、 感謝する。 一冊だけを選び持って出た、 吉本ばななさんの新刊 『はーばーらいと』 旅先の地、 着いた飛行機から降り立つ気持ちで、 美しく丁寧な装丁の本を開く。 似た話を読んだのではない、 ただ、 どのページからも生じる、 とくに着替えの場面など、 すでに読んで知っているような、 おかしいほどの既視感に、 なんなんだろうと、 小説の内容よりも、その感覚に思いが向く。 時計が12時をまわり、 もういちど壁にかけられた静物の絵をじっと見て、 お店を出る。

ギャラリーへ着くと、 新しい空間ができていた。
加藤さんの展示 はその場所でされていて、 丸い電気をつけてもらい、 それでも残る仄暗さ、 どこか洞窟を感じながら、そろそろ階段を降りる。 祈りの場を思う四角の広がり、 ピアノの音と、 蝉の声が溶け合って、 なにかに包まれるようにして、 作品ひとつひとつをみつめる。

途中、 同時開催されている、 宇加治志帆さんの 個展へ、 体と感覚を移動してから、 ふっとほっと、 息を吐き、 白い空間、 その場所の中にある場所にあるものを見る。 一度部屋を出て、 入り口に置かれていた ぴーちゃま通信 を読み、 ミニチュアのパソコンやベットの意味をわかる。 場所のなかにある場所、 そこにあるものを、 加藤さんの展示にも見て、 ふたりの作品にある、 その同じものを、 目にしたとき
希望の歴史』 を読んだときみたい、 こびりついた、 視点が裂かれ 世界の認識の塗り替えが起こる。 こころに涙がこぼれる。

外へ出て、 再び小部屋洞窟へ。 木の階段に腰かけて、 最後の日付が最近の日記を読む。 (日記に度々書き写されてた、 梨木香歩さん 『家守奇譚』 言葉から醸される、 独特の匂いに、 本を読みたいとなる。 以前には、 避ける思い無意識にも生じてしまうテーマの本 佐伯一麦さん 『アスベストス』 表紙の加藤さんの絵に、 読むきっかけをもらう。  絵のちからで、 気持ちと目を透明に、 アスベストの問題、 いまへ起きつづけていることを、 知ることができた。 加藤さんの日記は、 文字や絵をこえた 「空間」 なのが、 いつ読んでもなんなのかとなる。)

ふたりの展示、 目にしたことで
種から芽が生えるみたい、 胸がいっぱいになる。
帰り際、 あふれる感謝を伝えたとき、 加藤さんから、 家族(猫)が増えた話を聞く。 さらなる息吹を、 新たなる始まりを、 わわわと感じる。

三条へ戻り、 自転車を返したあともまた
芽吹きの認識 その確認が、 いく場所 会うひとにある

きょうという日が いまもたらされたことを思うと、 もうそれは
「出なさい。」 ということ
塗り替えの前にあるすべては 記憶でしかないこと
いまわかるべくは 見るべくは あるべくは この日目にしたものである
それは、 「大丈夫。」 なんだという 眩しさ滲む、 真実の突き付けで

大丈夫だろうかを思うよりも できることがないかよりも
できることないことに、 申し訳なさやこころ苦しさ、 薄情さを思うよりも
眉間のあいだにりきみが入る顔に、 気づけばなっているよりも

心配よりも、 ほんとうの実際は、 真実は
そのときそのひとや、 そのひとに起きていることや、 ある状況からなにかを感じて、 なにかを思って、 心配するのは とんちんかんでしかなくて
見るべくは そうしてそこにいるひとが そのひとの真ん中にある意思が
なにを見て どうあることを決めているか そっちがすべてで それが答えで

決めたことをひとは完全に生きる
決めていることが、 自分を生きる。 その限り
それをひとは、 どのときも 生きている

そのときどきに起きていること、 そのときどきのそのひとを
外から大丈夫かと思うことの意味のなさを とんちんかんを びりびりと思った


この日はコロナ前以来の、 キュロット 独特の仕組みの自転車を借りて、 楽天堂にもゆけた。 食べたかったキュロットのごはん、 お腹いっぱいだけどプリンも頼み 楽天堂では、 元気と魔法の 豆料理キット を買えた。 千晶さんに会えた。
覗かせていただいた ゲストハウス は、 深い通る呼吸をしていた。 加藤さんのお母上は、 三時間おきに猫に乳をやり、 ゲストハウスは、 ひとの手と思いで息を吹き返し、 中庭の木々の成長とともに、 巡りと出会いのなかで、 健やかに生きている。


自分をある。

それを胸の中心に持ちつづけているひとの創造に触れたとき

わかるのは どんな雨風にも嵐にも、 濁流の襲いにも 消えない炎
場を照らし、 巡りをうみだす、 巨きな熱み
そのひとを包み貫く、 透明な、 蝋燭の芯のいと

自然とともに 循環は ひとによってなされる
流れと巡りをうみだす温熱機に、 ひとがなるとき
それは最大のフリーエネルギー 未知数かつ無尽蔵の、 ちからになる。

京都から 大丈夫を思った
大阪だって 日本だって。 きっと世界も。 きっとではない 地球も。

自分が決めていることを、 自分は生きる
そこにはあらゆるものへの責任がともなうことを
それが、 つながりあって生きることだと
改めてをこえて、 燃えるように思う。


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