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必要

あたりまえに続けてきた冷えとりをやめる。
冷たい飲み物を飲み、 はだしで過ごす。
それまではしてはいけないように思っていたことが
こんなにもらくちんなここちをもたらすとは

自由を 足の裏から感じる
アイスコーヒー、 内臓が冷えていく感覚に当然をわかる

なんてことないようで、 大きい違いに思っていたことは
冷えとりをやめてみて、 たしかに大きな違いを感じる
それはやっぱり冷えるしからだによくないという確かめではなく
ただからだからわかるのは、 本来にある ちからの感覚。

5本指の靴下や白湯がもたらしてくれるものはそれあってでも
なくて自活できるちからを、 自分のからだに感じる。


生きるって、 やめるばかりで
部活に始まり、 仕事に 人づき合い、 食に 衣に、 身を置く環境
やめる決心の基準は、 違うことであり
そうして違わないものを選ぼうとしてきたさき
違うものが見渡すぶんにはなくなってから
今度は いいと思っていたものをやめるというのを始めた

そのひとつが冷えとりで、 あと発酵や、 なるべく歩くようにすることだったり
よいとされるものを取り入れていたときよりも、 心もからだも落ち着いている

違うと思うことや、 いいと思うものであっても 外から提示されるすべては
自分にとっての必要とは また別のところにあるもので
そのとき自分にとっての必要は、 自分にしかわからない。

いろいろをやめ、 離れて、 とっぱらい、 そぎおとし、 はらって、 捨ててを繰り返し、 そうして残ったものを見たとき、 自分をわかることができる。

その自分へのここちをいま、 ここちよく感じている。


いいとされるもの、 よくないと思うもの、 それをわかるのは、 決めるのは、 誰でもどこでもない そのひとごとで、 なのに、 それを決めるちからを奪われて、 さきにすでにあるものから選んだものを、 自分が決めたのだと思わさせられ、 そうしかないものとして生きる。 それは生かされているともいえるけど、 生きているとは違う。

自分にとっての真の必要を生きるとき
ほんとうの意味で、 生かされていることをわかる。


真の必要、
それを知るのは、 自分のからだ
そのからだを感じるここち
ここちから知る、 からだからの示し
それは導きにもなれば、 警告、 警報のときもある

からだは常に からだの思いを発してる
からだに意識を向けたとき、 それは声、 言葉としてわかる

自分を大事にすることに、 からだの思いは含まれる
からだの思いを無視して、 外からのアイデアで自分を大事にしようとするなら、
からだはきっともっと届いてなさを、 つらく感じる。

やめて、 とりいれ、 そして残るもの、 そこにここちよさがあるとき
思いとこころとからだとありかたの一致がある

いつだってそれをひとは、 自分にもたらすことができる

ものに ひとに こと、 外しだいと思わさせられている、 かせをはずして
自分の必要をわかり、 それを生きることを決めるのは自分であり、
それを生きられるのは自分しかないことを知り、 真の必要からいまを生きるなら
そのときから世界は、 真実は、 外でなく、 自分の内にあるのをわかる

内にあるものが、 あいだなく、 そのまま外に現れるとき
それぞれのほんとうからつくられる、 それは明滅する点描の、 広大な絵のように
カラフルで、 ユニークな 自由から呼吸をする、 生きている世界が
透明へと向かう球体から いま うまれはじめている。


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