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さよならポニーテールについてのメモ


気を抜くとTwitterでさよならポニーテール(以下「さよポニ」、メンバー名は敬称略)のことばかり呟いてしまうようになっていたので、一度呟きたいことは別のメモにまとめるようにしていた。それらをまとめた文章だけれど、特に一貫した結論もなく、既に言われているようなことを再確認して、個人的な感想を書き留めたきれぎれの長文です。おすすめでも批評でもなく、かなりマニアックなことを書いているのでご注意ください。


メンバーのクロネコが主になって編集している冊子『奇妙なペンフレンド』(以下「ペンフレンド」)の現3冊でかなり裏側の意図などが語られているため新たに何か見出すということはあまりなさそうな気がしていて、だからペンフレンドの感想、がこの文章のあらましかもしれない。冊子へ書いてある内容は元になったツイート等もあるのだけど、本文から参照した箇所が多いので出典はそこからとし、題名は省略して(巻数,ページ数)で表記しています。noteを久しぶりに利用したらエディタの使い方がよく分からなくなっていたので、画像の挿入は諦めてgyazoのリンクにしています。




自分とさよならポニーテールについて

自分語りの部分は一度最初にまとめて書きます。もともとは中学のころに「新世界交響楽」のMVを見て知って、高校のときに『魔法のメロディ』『青春ファンタジア』『夢みる惑星』あたりをずっと聴いていました。2020年に『ROM』を買ったけど、それ以降はリリースされてから1年経って思い出してアルバムを聴く、くらいの距離感でした。だいたい2022年ごろから「さよポ二?好きなアーティストのひとつです」から「さよポニ!一番好きなアーティストです!!」になって、再びたくさん聴くようになった次第です。きっかけは学生時代への懐古がだんだん積もってきたことや、それ以外で触れたものの影響がある。2020年くらいから自分でDTMをするようになったけれど、さよポニがいなければやってなかったかもしれない、くらいには大きな存在です。


このブログでもたびたび話題にはしているのですが、まとまった文章にしたことはありませんでした。2020年に書いたnote記事の一部 と、2022年に書いた日記の一部くらい。後者の短い感想はほとんど書いてないようなもので、高校を卒業するときに書いた2020年のそれが印象深く、それから4年経ち、大学を卒業するくらいになっているのでこれを書くことには節目の気持ちもあります。


神さまと概念化

目にみえたものだけが
あなたの想い出になる
「劇場」


「わたしはわたしが可能な限りのことばを使って、あの出来事について記そうと思っています。正確に記述する自信はありませんが、今のわたしにとっては「正確である」ということは、何の意味も持ちません。大切なのは、わたしにはどう見えたのかということであり、それをあなたが信じるかどうかなのですから。」(クロネコノートより)
クロネコのtumblr

https://www.tumblr.com/camome3/43132033882/blackcatsbox-図版漫画きみのことばさよならポニーテール119p


初代ゆりたんの卒業のときは、二代目のわたしへのひきつぎがあったんだけど今回はありません。なぜなら次は神さまが不在のシーズンだからです。初期からのファンは知ってるとおもうけどずっと前にクロネコ(kuroneko_pony)が言ってた「さよポニどんどん『概念』になっていく」やつです

https://x.com/sayopony/status/813288786066948096


この辺りの流れは、複数の神さまが乱立するシーズン⋯っていうコンセブトなので、当初は初期のファンから少し批判もあったんだけど⋯まさに「踏み絵」としての神の絵シリーズなので、コロコロと毎回変わっていく神さまに「あー、駄目だ」って思っちゃう人は脱落してもしょうがないと思ってます。前にもツイートしたけど、逆にここを乗り越えたら、きっとなんでもさよポニとして受け入れられると思うし、こちらもあなたをメンバーとして受け入れたい。つまり、最終的には、あなたの頭の中に思い浮かぷさよポニこそがあなたのさよポニ、という領域に。それこそが⋯「さよポニ概念化」への道。

1,p83


あらためて説明するまでもないですが、さよポニには神さまという役割があって、それにより3つのシーズンに区分されます。1代目はゆりたん、2代目はちぃたん、3代目は不在で現在に至っています。変遷を経てさよポニは「概念」になることが最終的な目標であるということがたびたび言及されていて、特に3代目以降の神さまの変遷を見るとたしかにそうだと分かります。ですが、それ以前にも概念化の予兆はあったなという話を書きます。


ゆりたんシーズンで(音楽や漫画のリリースを通じて)表現したかったのは、少女たちが、森の中で魔法を習得し、仲間が増え、外の世界と交わり、青春(学園生活)を楽しみ、そして新たな旅立ちを迎えるまでのストーリー。

1, p91


ゆりたんの第1シーズンでは、モミュの木のある森と村(モミュの町?)から『空も飛べるはず』で海へ行き(1,pp37-38)、『魔法のメロディ』や『青春ファンタジア』にはタイトル通りの日々を描いた楽曲が詰め込まれています。『きみのことば』『星屑とコスモス』の漫画においても日常系のようにボーカル3人の日々が綴られていて、閉じられた世界であるという印象を受けます。いちおう日常系といっても喋る宇宙塵や、水たまりの中で人魚に出会ったりはしています。しかしそのどれも「繰り返す毎日」から少し抜け出すような日常の延長線上にある出会いで、幻想的な絵柄が閉塞した日々の中で見た夢を思わせてくるようです。ゆりたんのシーズンは世界観を固めていく役割というか、閉じられた印象があります。


ひとつスピンオフ的につづられた『大きな森の小さな木』には大量に複製されるというイメージが繰り返し登場していて、これは概念となっていく過程と重なるようではあります。ただその複製を肯定的に描いているかというと、大量のみぃなのクローンが身を挺して闇に飲まれ、アインだけが残る終わり方からはよく分からないです。ただクローンや闇、永遠に生きることなどから、ペンフレンド1の冒頭にある果てしなさと虚無みたいなものを感じました。


神さまがちぃたんになると、「新世界交響楽」で新世界へ行き、モミュの町?から出たは定かではないですが、森や町が舞台である要素も薄くなり、より開かれていきます。単に神さまの引継ぎでうまくモミュの木の設定が伝えられなかったのかとも思いましたが、ちぃたんには「ゆりたん時代などの資料を全て渡し」た(3,p37)とあるのでコンセプト含めた大きな流れはしっかり引き継がれているようです。ただhonto+に連載されたちぃたんの「放課後れっすん」は読めていない点は留意する必要があって、Twitterやペンフレンド(3,pp54,55)で少し見られる限り、こちらも日常系を思わせる作品ではありますが、幻想要素は少なそうとか、フルカラーであるとか、当然ですがモミュの木の印象とは違いそうです。


「ひみつの時間」にはちぃたんのイラストが多数収められていますが、ここでは町から出ていくだけでなくに留まらず、世界の分岐や遍在といった方向にまで開かれていくテーマが見受けられます。「はじまりの合図」では黒い服を着た「現実の」彼女たちが示唆されています(1,pp74-75)。これは少しショックですが、どうであれ5人とも仲が良いならokです。オフォーリアのように水に溺れたみぃな(3,p53)や、実写を背景にしたもの、意味深な台詞を呟く彼女たちのイラストがあります。どこにいるか、誰に向けられているか、いつどこかは分からない彼女たちの姿は既に概念としてのさよポ二で、この『ひみつの時間』のあとにちぃたんは卒業して『夢みる惑星』以降で神さまは不在になっていくわけですね。ちなみに読み返してみると『ひみつの時間』の「魔法の時間2」は『きみのことば』の「魔法の時間」の続編だったことや「光になって」は「星屑とコスモス」っぽいな、とか気づけて面白かったです。


https://x.com/sayopony/status/736140596599873537


台詞が添えられたイラストたちは「さよポニ「あの日のシーン」」と題してTwitter等で投稿されていますが、「あの日」がどの日かは分からないし、これらの台詞の一部は「わ~るど(みたいな)」、またラジオのジングル等で登場する台詞でもあります。ラジオ『放課後ぽ~たぶるれでぃお』は全50回にわたる『SCHOOL OF LOCK! 』内のコーナーでした。探して全部聴いたのですが、内容は相談コーナーや朗読や早口言葉といった短いモノローグが連なる朗読劇のようなもので、さながらラジオで手探りのザッピングをしながらノイズの隙間に別々の声が挟まる様子を思い出しました。


https://www.tumblr.com/blackcatsbox/98457407719/先週ツイートkuronekoponyした実はさよポニlocksは全部台本があるってい?source=share


全体の感想として、モノローグしかないことがアーティストのラジオ番組としては異色だと思いました。複数のメンバーが番組に登場するものの、会話を交わすことは一度もありません。ボーカル5人が初めて揃う第50回でさえも口々に喋る台詞は『カットアップ』(3,p36)とあるように噛み合っているようで噛み合っていません。それぞれの語りにふっくんが相槌を打つ場面はありますが、ボーカルメンバーはその相槌に反応はせず、会話にはなっていません。相槌はさながら客席や天界から眺めている視点のよう……これはさよポニの制作体制そのものでもあるし、逆にそのような体制だからこそダイアログを撮ることが物理的に不可能なのかもしれません。ともあれ番組内の台詞が一部「あの日のシーン」として描かれていることからも複数の場所や時間が番組内で交錯しているようで、概念になっていくさよポ二を表しているラジオだなと思います。


細かいラジオの感想だと、ライブに関しての話題でゆゆがアカペラで歌う「ナタリー」が聴けたり(20回目)、しゅかの勉強できる設定が生かされていたり、なぜかしゅかは早口言葉が得意だったり、ところどころで同じ話が重複している回があったり、なっちゃんの語りが好き、とかがあります。



最終回で流れた「エラーメッセージ」はクロネコのチャンネルにあがっていて、「「あっち(さよポニ)」と「こっち(おはツイ)」を繋ぐエピソードのひとつ。」と概要欄にあります。「選ばなかったほうの世界」(2,pp68-69)を描いていることは送れなかったメッセージについての歌詞からも感じられますが、「こちら」がおはツイであるというのはまだよく分かっていません。ただここで書いたのはさよポ二が概念になっていく道のりは10年以上かけて描かれてきたということで、非公式WEBアンソロジーの内容(とてもよかった)やpixivにあるファンアートからも既に概念だなと思います。


さよならポニーテールはライブの夢を見るか?

おそらく誰もが一度も行われていないライブについては考えるかもしれなくて、「あなたの頭の中に思い浮かぷさよポニこそがあなたのさよポニ」である、という意図はライブを行わない理由として納得できるものです。ファンの抱くイメージによってそれへ抱く感情は変わるのだと思います。


自分のさよポニはステージの上で歌って踊ってる!と考えるのであればライブを望むはずで、自分のイメージとしては、そうではなかったりします。それははじめて知った時期が『新世界交響楽』のシーズンでその絵が好きなのが大きいと思います。「ちぃたんシーズンでは(中略)とにかく女子ボーカル5人のキャラクターを好きになってもらうことに力を入れていた」(2, p26)とあるように、あの世界観と、いつかのどこかにいるボーカル5人のイメージに囚われています。汗をかきながら歌って、こちらも思いっきり人に揉まれて聴くイメージはないし、ライブでひとつの姿を提示されてしまうと収束してしまうのが寂しいという気持ちがあります。見るなら小さな体育館のステージと拙い音響、あるいは放課後の教室の黒板の前で、あるいは音楽室のピアノの前で歌っているのを見たい、などと考えていて、それは叶わないわけで。あとは些末な理由としてライブってそんなものだけど、単に発表された曲が溜まりすぎて何を披露されてもあれがなかった、と不満が残りそう…と思ったり。


歴代の神さまについて

神さまでは個人的にちぃたんが一番好きですが、遡るとこの時代に描かれたイラストはかなり多くて驚きます。膨大な中でだんだん絵柄とメンバーの像が固まっていったことが伺えるし、ゆえにその固まり切ったところで交代してしまった寂しさ、固まったからこそ交代するのにふさわしくなったともいえそうです。様々な衣装や髪型から彼女たちを愛して楽しんで描いていた部分があるのは明白ですし、そして「さよならポニーテール」名義で児童書の挿絵も担当していたこともあり、ちぃたんとして大きな経験であったことが想像できます。


ちぃたんが好きでも、私が未だに一番好きな『青春ファンタジア』はゆりたんであるし、絵柄とイメージが固まったのは氏も同じなのだと思ったりします。「荒唐無稽なホラ話し」的な作風」(1,p55)、「ゆりたんの漫画ってまさにこの「散文による空想的な物語」的だなぁと思った」(1, p57)とクロネコが述べていますが、笑顔のかわいい表情も描きつつ、細かい書き込みで引き込まれる異世界も描く絵柄が好きです。ゆりたんの描いたボーカル5人は少なめではあるけれど、『青春ファンタジア』初回にあった5人で勉強している漫画が好きだったり、あと『星屑とコスモス』の各話の扉絵も好きです。別冊マーガレットに載っていたこともあるのだろうけど、映画のポスターみたいに一枚絵として良いので飾りたくなる。少し逸れるけど、アルバムの販促ポスターも昔から今まで全部好きなので欲しかったりします。


『奇妙なペンフレンド』には、クロネコが大学生のちぃたんをインターネットから見つけ出したエピソードがあって印象的でした(3,p37)。メンバーがさよポニを作るだけでなく、さよポニがメンバーにも影響を与えている相互作用的な面があるのだと分かります。これはペンフレンド2のインタビューからも分かるようにどのメンバーにもあって素晴らしいと感じています。個々の活躍では最初からのメンバーももちろん、10周年記念曲の「テン」が途中から参加したメグによるものだったり、「わ~るど」の最後のセリフ、『来るべき世界』ラストの「あの星」、黄昏交差点からずっと綴られてきた放課後シリーズを締めくくる「放課後エンドロール」がしゅかのソロであること、『きまぐれファンロード』ラストの「1095日」、ペンフレンドのテーマ「みえないフレンド」、実質アルバム頭のような「とおい明日」などのゆゆソロ曲、当然なのだけど途中参加のメンバーもなくてはならない役割を発揮していて、完全にさよポニの一部なのだ!と聴くたびにうれしい気持ちになります。


作曲とボーカルの個性

ペンフレンドには音楽から映画まで多く影響元が書いてあります。その中でも音楽の影響について詳しいのが2のインタビューで、メグやマウマウではR&Bのアーティストがあげられていたり、324Pはレコードで60,70年代の音楽を聴いたりRadioheadなどの名前があがっていたり、ふっくんでは山下達郎や松本隆などシティポップに関係する名前もあがっています。


ジャンルはばらばらでも共通するのは2000年以前のものたちであることで、それは世代なのでしょうが、以降に生まれた私にはあまり馴染みのないものが多かったりします。そこを吸収して現代に通用するアニソンやアイドルソングともとれる、かわいくてポップな楽曲群が生まれていることは(さよポニに限らないかもしれないが)すごいと感じていることのひとつです。この海外の楽曲やシティポップを吸収してポップスになっていく流れは渋谷系そのものの成立と似たように感じます、というと横暴なまとめ方かもしれませんが、実際に「ビアンカ」(1,p28)や「新世界交響楽」(ピチカート・ファイヴ「大都会交響楽」, 2, p86)が渋谷系の流れの下にあることが語られていて、「この夜のすべて」のBメロが「恋とマシンガン」を意識している話(3, p27)は確かに!と思いました。


さよポニのひとつの特徴は全員が作詞作曲できることで、その能力の高さがあってここ以外で活動していないことはないだろうし、ドリームチームなんだろう、と思います。そんな夢を観測できている奇跡に感謝……というのがペンフレンドを読んだ一番の感想かもしれません。全員、というのはボーカルメンバーでさえそうで、最近だと『なんだかキミが恋しくて』を聴きながらそれを噛みしめています。



『なんだかキミが恋しくて』は当時の全員が作詞作曲を担当して1曲ずつ収録されたアルバムですが、ここにおけるボーカル作詞作曲のナンバーからは、あまり触れられない彼女たちへ、神さまが描くイメージたちよりもさらに、いちばん近づけるような気配がしています。クレジットではみぃな、なっちゃん、(1代目)あゆみんの3人が作詞作曲だけでなくギターにシンセまで担当したことが書かれています。あゆみんの弾き語りはtumblrでひとつ聴けますが、作詞作曲ナンバーは史上で「風になりたい」しかありません。しかしこれひとつで彼女の爽やかさが完璧に表現されていて、聴くといつも「光る街へ」のMVで洗濯を干しているカットを連想します。なっちゃんの「青い街」はノスタルジーとニヒルさが印象的でソロの「またあしたね」の気だるさに重なったり、みぃなはみぃなとルーチで多数曲を出していて「はじまりの合図」から既にその雰囲気があったり……3曲ともそれぞれボーカルのソロ部分があって、そこが好きです。しゅかはまだ無いけれど、ゆゆとマジシャン「ラブシック・ジェラート」の音源化はいつまでも待っていたりする。



ちぃたんへ1>神さま用のメアドを受けとってると思うけど、そのアドレスにクロネコから指示がくるよ(もうやりとりしてるよね?)クロネコ以外のメンバーには直接あうことは出来ないけどみんなとメールやりとりしてれば、だいたいどんな人なのかは分かるから、ちぃたんなりに漫画に反映させるといいよ

https://x.com/sayopony/status/344051677348917249


曲や歌声から感じられる雰囲気が、神さまの作るイメージと一致していること。ゆりたんからちぃたんへ引き継ぐツイートでは非対面でやりとりが漫画に「反映」されているとあり、イラストの造形は本当に神さまのイメージだけで作られていることが分かります。これは神さまと本人たちのイメージ、どちらが先か分からないしたぶん相互に影響し合っているのだろうけど、非対面にも関わらずイメージが確立していることに緻密なやりとりを感じます。逆に非対面でも共有できる強度を持っているからこそ、同じように一度も会ったことのない私たちにも共鳴するのかもしれません。


ボーカルの5人については徹底して分からなくて、ラジオでさえも台本があったため素の言葉とは思いづらいです。そもそも素ってなんなんだ?という話ではありますが。神さま以外での手がかりは個々人が作曲したもの、歌声、いくつかのインタビュー、みぃなとルーチの解説くらいでしょうか。ただ明らかなのは歌うことが好きで楽しんで活動に参加していることだと思っていて、それが何より愛おしいです。例を挙げると枚挙に暇がないけれど「キマイラ」なんか楽しそうに歌っているのが想像できて、ライブで見てみたい気持ちが出てきたり。「わたしの悲しみを盗んだ泥棒」や「SAY YES」でちらっと聞こえる楽しそうな声は実際に集まって録ったのだろうか、誰の声だろうかというのも気になっています。


休題・曲の感想

少し休んで、それぞれの曲についてのツイートの下書きをまとめます。長いので読み飛ばしてもらって構いません。シングル等は飛ばしてペンフレンドの3で触れられているアルバムたちに従いつつ……。さよポ二以外だとみぃなとルーチは高速バスに乗ったら聴くのが習慣になっていて車窓を見ながら聴くとかなり気持ち良かったり(車窓だいすきクラブに入りたい)、おはようツインテールのふっくんのエッセンスが詰め込まれたモミュの木を彷彿とさせる感じも、メグとパトロンは「Oh~! 真夏のラッキーガール☆」の爽やかさも好きです。


モミュの木の向こう側

傑作。どれも好きすぎて選べないくらいで、メロディがよすぎる。どれだけ明るくてもどこか遠くから出来事を見つめているような寂しさがさよポ二にはある、と考えたことがあるけれど、それを象徴するような曲ばかりだと思います。ちなみにさよポ二を知ったころにツタヤでこれを見かけたのだけど、外箱がなくゆりたんの顔のものが剥きだしで置いてあったのが怖くて敬遠してしまっていた。後悔してします。


魔法のメロディ

聞き過ぎて良いと言うことしかできない。モミュの木も合わせてだいたい5分越えの長めの曲が多いのだけど、曲中のある部分が長いというわけでもなく、abメロとサビの繰り返しを忠実にやって長くなっていることがとても嬉しい。


空も飛べるはず/ビアンカ/恋するスポーツ

単に5人の色んな組み合わせが聞けるという理由で「空も飛べるはず」は『青春ファンタジア』収録の5人バージョンが好きですが、こちらもこちらでボーカルが少ないぶん控えめさや透明感があって好きです。「ビアンカ」は隠れた名曲感があるというか、ベストアルバムには入っていないけれど結構好き。初回・期間生産限定盤には豪華なリミックスがついていて、これも本当に全曲最高としか言いようがないのだけど最高です。強いて言うなら「自転車えくすぷれす (空気公団 Remix)」が一選でしょうか。またこういうリミックスが出て欲しい。


なんだかキミが恋しくて

ボーカルの3人が作曲している良さは先に触れた通り……。「雨はビー玉のように」は雨の日にバスとか乗ると未だに必ず聞く曲です。シティポップっぽい一定のリズムが車窓を思わせる感じ、雨で涙を隠す行為はクリシェっぽいけれど、涙の理由として描かれるテーマがヒーローの悲哀というところがユニークで好き。「この夜のすべて」は楽しそうでこんな夜を過ごしてみたいと思いつつ、ペンフレンドではクロネコの大学時代の恋人が基になっている(3, p27)と述べられていて納得しました。


青春ファンタジア

聞き過ぎて、良いと言うことしかできないくらいになっている2つ目。眩しすぎて直視できない!という感覚がどの歌詞からもにじみ出ていてすごいことだと思う。「ぼくらの季節」の「それぞれの葛藤があって」のくだりのストレートさ、「女の子のエトセトラ」のキュートさ、「ヘイ!!にゃん♡」のファンク・ディスコのグルーヴ感を持ち合わせつつ萌え萌えに仕上がっているのはさよポ二の真骨頂だし、「わたしの悲しみを盗んだ泥棒」の天真爛漫さ、「恋するスポーツ」の淡々とした5人、「放課後れっすん」のキャラソンっぽさ、「きみに、なりたい」の切なさ、「星屑とコスモス」のCメロ、「お気に召すまま」の2番aメロの歌い方、「きみがみたゴースト」のサックス、「飛行少女」の疾走感と歌詞の切なさはマウマウらしいし、「きみにありがとう」のストリングスとか全部好きで、「ロマンス」なんかはさよポ二で1曲選ぶなら?に入りそうな勢い。


秘密の時間

「この曲よりも右か?左か?上か?下か?みたいな感じで制作チャートの基準にしている」(2, p83)とクロネコは述べているけれど、私の抱くさよポ二のイメージもこれに集約されていると思います。1番と2番の間にcメロ?が挟まる曲の構成もちょっと変わっていてパートごとに場面が変わるよう、聞きながら泣いたこともあったし、自分のなかでの百合ソングといったらこれ。百合テーマの邦楽はあまり多くないように感じますが、その中でももっと聞かれて欲しい曲です。


新世界交響楽

集大成・最終回感、エネルギーに圧倒される、全部盛り、聴くだけで体力が消費される、歌ったら疲れる、演奏やDAWへ打ち込んでるときでさえ汗をかいてそうな曲、という概念が自分の中であって「新世界交響楽」もそのひとつですが、(たぶん)転調せずにここまでのパワーを有しているのがとてもかっこいい。おそらくそれはストリングスの効果や最後にくるDメロの存在だったりするのだろうけど、「abメロとサビの繰り返しを忠実にやって長くなっている」という「魔法のメロディ」からの積み重ねがここにも現れている、とか勝手に考えています。


「放課後せれな~で」は秋葉原MOGRAであった国産音楽パーティ「PURE IBIZA」でDJ WILDPARTYさんが前にかけていたのをツイートで見て、おそらく国産音楽の文脈があったのでしょうが、いいね!と思っていました。「わ~るど(みたいな)」を聴いたのは「新世界交響楽」を知ってからかなり後なのだけど、このわりあい尖った曲を新規層を取り入れるシングルの末尾でぶつけるのはすごいなと思います。CDを持ってないのが悔やまれるので欲しい。


https://x.com/DJWILDPARTY/status/1752377998983180436


円盤ゆ~とぴあ

とっておきの良い日に聴きたいからむやみに聴きたくない曲、という概念があって「光る街へ」はそれに類します。といいつつ、やはり好きすぎてむやみやたらと日常的に聴いてしまうのだけど、自分の中での心づもりはそう。収録曲だと一番好きなのはこれかもしれません。初めて聞いたときからこの曲に感じる高揚感は変わらず、「まだ見ぬ人や街にときめいていたいよ」の歌詞は一生かけて噛みしめていきたいなと思います。ループアニメーションではあるけれど5人が歩いていたり、休日の過ごし方を見られるMVも貴重で一番好きとyoutubeにもコメントしていました。収録されているものはどれもアンセム、言及しようとするとキリがないけれど33曲入りですべての精度が高いのはすごいことだし、最近になってやっとDISC3の弾き語りがしっくりくるようになってきました。


夢みる惑星

シーズンが変わって黒い服で近寄り難い印象はあるのだけど、曲の雰囲気はこれまでとあまり変わらない気がします。何様という感じですが、もしも暗そうみたいな印象を抱いている人がいたらそうじゃないよ!と言いたくなる。逆にこれで『来るべき世界』みたいな内容だったら、かなり印象は変わっていたかもしれない。「虹」「円盤ゆ~とぴあ」もマジで好きで、「飛行少女」の系譜というか、ポップさと切なさというこれまでのさよポ二を抱えつつ、疾走感も入ってくるのがかっこいい。ゆ~とぴあのほうは当時youtubeで既に何回も聴いていたので、終わり方が違うなーなどと思ったのも懐かしいです。「パジャマの神さま」のみんなのかけ声とか、「放課後てれぽ~と」「フローティング・シティ」「恋するAI」とかのキラキラしたキュートさも最高。「わ~るど2」がラスサビで下に転調?してるのも音楽的に珍しくて好き。


君は僕の宇宙

自分の中では『青春ファンタジア』とこれは近いイメージにあって、「きみに、なりたい」と「のに」とか、「飛行少女」と「摩天楼と臨界点」とか。でも「青春ノスタルジア」や「メッセージ」でこれまでとこれからを見据えたり、確かに変化してるのがさよポ二らしい。これらが「センチメンタル」「せかいのむこう」やアルバムジャケットのような出発進行!というイメージにも重なると思っています。


ROM

これにしか収録されていない?というと語弊がありますが、いわゆるアルバム未収録、ペンフレンドで紹介されている曲たちはどれも好きです。「神さまのイタズラ」は風の吹く晴れた日に散歩したときずっと聞いていたのが思い出。「ゆめなんです。」はあゆみんに限らずさよポ二と私たち、あるいはオンラインでの繋がりすべてのイメージとしてあるような。「テン」の台詞パートも、そこから「わ~るど(みたいな)」→「わ~るど2」に行く流れも大好きです。ここにも入っていない「宇宙の片隅」はレコードプレーヤーがないので未だに聴けていなかったりする。


来るべき世界

始めに書いた私が2019年の『ROM』以降少し離れたのは、この変化球で振り落とされかけたのもたぶんあります。まだ呑み込み切れていないところもあるのだけど、このアルバムではさよポ二のコンセプトが歌われている(1, p91)とペンフレンドで語られていて、これを読んで少し聴き方が変わりました。好きなポイントは「空飛ぶ子熊、巡礼ス」「やせっぽちのメイリン」「世界のはじまり」の語りのようなラップのようなボーカルが醸す唯一無二な雰囲気とか、「夜間飛行」の静けさ、「まるで映画のように」のスイング、「愛のひらめき」のB面だけど名曲って感じの曲っぽさ、「あの星」のけだるげなしゅかとか……


DISCⅡのリミックスには、ひとつ前ですが「壁をぶちこわせ!」で324Pが語っていた「ヒップホップのサンプリングによるコラージュっぽいトラックが好き」(3, p62)という作風が存分に出ていると感じます。ほかの曲で用いられたフレーズが混ざって元の曲を構成しているのは初めて聴いたときびっくりしましたが、ユニット内の人間でないとできない芸当でとても面白い。あとこのときの神さまであるうえむらさんは元々好きなイラストレーターさんだったので、神さまだと知ったときうれしかった。


きまぐれファンロード

これ以降(といってもまだ3枚ですが)のさよポ二はマルチバースだと思っていて、それぞれのアルバムで違う世界の姿が描かれているような。このアルバムは卒業していくイメージで「シオン」(これをメグが書くのがすごい)「初恋ペンギン」「昨日のように遠い日々」みたいな別れ、喪失というさよポ二根幹のテーマにも肉薄する気がします。だから確かにファンシーで温かみがあるんだけど、切ない予感に満ち満ちているようなモミュの木っぽさも勝手に感じたり。最後の2曲からやっぱりさよポ二の卒業へのイメージは信頼できるし、好きすぎる!といつもなっています。


銀河

このアルバムはもっとメタ、俯瞰的な視点を感じていて、ジャケット裏のように銀河の中に浮かんでいるさよポ二のイメージ。『きまぐれファンロード』のように温かみを感じているけれど、ファンロードが春の陽だまりだとしたら『銀河』は冬の日に隣でホットドリンクを飲んで笑い合うみたいな、違った感じ……。分かり合うこと、双方向の思いなどが共通するテーマとしてあって、その印象からかこちらのほうを向いて歌ってくれているようでうれしい。このテーマもさよポ二へ私が共感するもののひとつです。「ゆめであえたら」→「夜の冒険者たち」→「みえないフレンド」の流れとか、「キマイラ」は上述したようにかわいくて楽しそうで、でも歌詞がツンデレな感じが好き。あとジャケットもかなり好きだけど、ちゃんとゆゆとしゅかだけ違う制服の設定がたぶん引き継がれていて良いです。


夜の出来事

これはタイトル通り夜の出来事を描いた漫画の世界というイメージ。みんなキリっとしていてかっこいいけど、でも大人になっちゃったのかなって切なさもあり……。陽が落ちてから朝になるまでの全体の流れがひたすらに良い。「とおい明日」の力強さで引き込んでの「キュリアスガール」からの3曲はかなり好き。ここで控えめに身体を揺らし、「つぎの夢」からの3曲で深く沈みまどろんでいくような感じ。「熱帯夜」のしゅかボーカルはかなり好きで、ここで目が覚めたと思ったらまだ熱に浮かされて夢の中にいた、みたいな良さからの「朝日のように君は」で日が昇っていく……。


「ふれられない」さよポ二

以前、なつやすみバンドの中川さんがライブのMCで「忘れたくないことがあった時に、それを忘れないように曲にすることにしている」と言ったあとに歌った曲がめちゃくちゃ良くて、俺はあの日ことを忘れないように曲にしたいと思ってる。

https://x.com/kuroneko_pony/status/1037669871226478592


朝からいい天気。過ぎ去った10年のあれこれを振り返りつつタイムラインのみんなのツイートをこうやって眺めてる今日のこの瞬間もいつか振り返れば「二度と戻れない美しい日々」になりうるし、そういう一瞬を永遠に封じ込めたくて作品を作ってるし、いつだってその感情を繰り返し再起させられるのが音楽

https://x.com/kuroneko_pony/status/1195535053108862978


うーん。うまく言えないんだけど…大切なきみが「いつか教えてくれた花の名前」だって僕らは忘れてしまったりするのだ。でも、そういう事を忘れないために僕らはそれを曲にする。自分たちに出来るのはそういう事なのかなと思ってます。

https://x.com/kuroneko_pony/status/1303166333094248448


現時点での最新曲である「ふれられない奇跡」は何回も聴いていますが、ペンフレンドで語られていること、私が感じていることをまとめてさよポニを端的に表現するなら「ふれられない」という一語なのかもしれない、ということを最後に書きます。


過去のツイートなどを見ているとクロネコは「瞬間を残すための音楽」という考えを数回述べていて、この考えが好きだから私は彼・彼女たちが好きなのだと思っています。何気なかったはずの瞬間や光景が振り返ったときにとても愛おしく見えること、しかしそのときには触れられなくなっていること、その触れられなさがより愛おしさを生み出すこと、それらを音楽として残しておくこと。これらはさよポ二を通して知ったわけではなくて、もともと好きな考えとして自分の中にありました。というより、この考えを一部分として含むもっと大きな価値観が自分の中にあって、さよポ二に出会ったことでそれがより形を持ち始めたように思います。


瞬間を残すために音楽を作るのはなぜか?というのを考えると、過去は文字通り過ぎ去っていくからです。ゆく河の流れは絶えずして、というようにたとえ何回「はじめまして」をループしても、全く同じ感情には二度と「ふれられない」のかもしれません。さよポ二において河の流れを辿ると『モミュの木の向こう側』という喪失の源流に行き着きます。二度と戻ることがないこと、それは強いテーマとしてあると感じています。


しかし、さよポ二は戻らない過去ばかりを歌ってきたわけではありません。「ゆめであえたら」には「遠くなってく僕らの季節」という歌詞があります。これを歌えてしまうところにさよポ二のすごみがあって、この「僕らの季節」が過去曲のことを指しているのは説明するまでもないですが、時の経過とともに過去曲をも見つめなおして新しい曲にしていくことは「ふれられない」過去へ自覚的なユニットにしかできないことでしょう。時の経過は私も同じで、最初に聴いたときからずっと惹かれていたのは「青春」というテーマだったけれど、聴いて時間が経つうちに自分のなかでも懐かしい日々が遠ざかっていき、曲へ感じる印象も変わってきています。


「クロネコから見る『銀河』」にある「ゆめであえたら」の文章がとても好きです(2, p14)。ここで述べられている「僕らの生きている日常は、やはり最終回のあとのストーリーなんだ」という話題は、瞬間を残すということと少し離れているようですが、これもまた私がペンフレンドを読む前から抱いていた共感できる考えです。だから私の中でのさよポ二は、単にひとつの考えででつながるのではなくて、もっと根底の大きな部分での共感があるユニットです。


「あぁ いろんなこと あったなぁ/目をとじれば/あぁ いろんな人がいて 出会って 別れて/また 明日がくる」も大好きな歌詞です。町を歩くひとりひとりに日常の営みがあって、思い出があって、それが偶然出会って別れていろんなことが起こっている。それぞれの営みは大きくても小さくてもその人にとってはとっても大切で、傍から見たらくだらなくても、それが連なって世界が回っている、そんなことへの怖くなるほどの途方もなさ、それでも感じる愛おしさ、というとその大きな部分が説明できるでしょうか。


目の前の現在を「最終回のあとのストーリー」と捉えて歌にしていくことは、未来も見据えています。「ふれられない」性質を有するのは過去だけでなくて、さよポ二の在り方そのものも同じです。私たちが究極的には音楽を通じてしかさよポ二には出会えないこと。「ロマンス」がさよポ二のコンセプト、さらにはポップカルチャーそのものを歌っていることがペンフレンドでは語られていますが(1, p54)、音楽は現在の私たちだけでなく、姿形すらも想像できない遙か未来の人々まで届きうるのでしょう。


私は数学には強くないのですが、実際に試せなくても数字の上ではだいたいの結果が分かるということに素晴らしさを感じています。絶対に生きている間には行けないような星の距離でさえも分かってしまうこととか……それよりかは根拠が弱いかもしれませんが、過去の瞬間を音楽へ残し、現在の視点からも曲にしていくことが未来の「ふれられない」誰かにも届くかもしれない、というさよポ二の祈りはとても素敵です。私の中にはまだ夢見がちな部分があり、怖くなるほどの途方もなさを抱えた世界なら、どこかに魔法使いがいるとかそういうことを信じていたいと思っていて、だからさよならポニーテールの音楽と魔法に惹かれるのでしょう。


こうして書くような感情を、私は今後も継続的に抱き続けられるだろうか?ということをよく思います。だからこそこうして文章に残すわけだし、心を掴まれたアーティストとして今後も応援していきたい所存です。突然だったり不幸な終わり方もある作品が多くある中で、15年近く活動しているユニットを見ることができているのはすごいことだと感じています。いつか終わる時は歴代の神さまが集結するのかなとか思ったり。末永く、終わる時もどうか幸福な姿であることを願いつつ、「ふれられない」距離で私の中のさよポ二をこれからも見守り続けるのかもしれません。ここまでお読みいただきありがとうございました。



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