長男の卒業

今日はちょっと振り返り。
長文になるけど記録として残しておこうと思ったので書いてみます。

今日から県外へ出発した長男坊。

当たり前のように家にいて、たまにうざいくらい近寄って来て大して面白くないことを喋ってくる。
でも、いざいなくなると思うと寂しいものだ。

18年前、小耳症っていう右耳がない状態で生まれてきた。真っ先に思ったのは、この耳は聞こえるのか?だった。
しかも、小耳症って言われたけど何?聞こえてるの?聞こえるようになるの?今の医学なら治るの?どこの病院に行けばいいの?など分からないことだらけ。
#割合としては5千から6千人に1人くらいの出生らしい
#自分の子供がなっていなかったら一生知らなかったに違いない

幸いにも18年前でもインターネットという便利な文明のおかげで色んな情報を得る事ができ、また、広島にも何人か同じ小耳症の子を持つ親達のコミュニティーがあったりしたので不安は少し軽くなったので助かった。
同じ状況の人がいて相談できる環境って本当に大切だなぁと感じた。
#仲間感が半端ない

そんな親の不安は全く気にせず元気に育ってくれた。でも、できるだけ耳が見えないように小学校の間は髪を伸ばしていた。
#これは親が勝手にそうしてただけ

一応、学校の先生には事情を説明して、もしからかわれるような事があったら声を掛けてくださいと伝えておいたけど、幸いにも「耳ないね?どうしたの?」と聞かれることはあっても「生まれつきなんよ」と答えておけばいじめられたりすることは無かったので本当にありがたかった。
#給食マスクやメガネがかけられないので後ろで縛ってた
#先生や友達に恵まれた
#皆さん本当にありがとうございます

本人ともじっくり話をしてやっぱりお耳が欲しいという事だったので、小学5年生になってから札幌医科大の小耳症の名医である四ツ柳先生に手術していただいた。

殆どメールでのやり取りで4年生の時に一度札幌に受診した時にお会いしたが、一度でこの先生なら大丈夫!と確信した。
ひとつにめちゃくちゃフレンドリー。
スポーツ刈りで一見怖そうだがとにかく子供のことを第一に考えてくれてる。
そして、耳についてのこだわりが半端ない。あまり事例のない小耳症はその治療方法も確立されていなかったが、基本的には耳の形を作って付ける手術になる。
#説明が雑すぎる
#そんなに簡単な手術ではない

が、どうやったら綺麗なお耳がつくれるのか、その事に全精力を注いでいるのが伝わってくる。先生曰く、「僕が手術したお耳は僕の子供と一緒、成長するのも楽しみだから術後も見せてね」
本当にこの先生で良かった。
#尊敬する人の1人
#ものすごく立派なお耳を授けてくれました
#パッと見全然わからない

術後は特に制限もなく小学校ではサッカー、中学、高校とバドミントンで楽しんでた。
サッカーはクラブチームに入っていたが、1年生から4年生になるまで同学年の子は誰もいなかったので辞めるかなと思ってた。
でも一度も辞めたいと言わず通い続けた。
4年生でようやく同学年の友達が加わって最後まで楽しく過ごせたようだ。
#僕なら一年持たずに辞めてたかも

そんなにサッカーが好きなら中学でもやるのかと思いきや、バドミントン部へ。
なぜかというと友達がバドミントンをやりたいけど人数が少なすぎて部がなくなりそうだったので入ってもらえないかという誘いを受けてあっさり入部。
#優しいね
#おかげで初心者でも1年からレギュラー確定

高校もその友達と同じとことろへ進学したのでそのままバト部へ。
何度か試合を見に行ったけどあんまり上手くないのでよく負けてたなぁ。
#偉そうに言ってるが休みの日に勝負したらコテンパンにやられた
#親父を超えた日

特に反抗期もなく、弟たちの面倒をよく見てくれて、弟が小さい時に長男のゲームのデータを消してしまったがそんな時でも絶対に怒らず、また最初からやれば良いよとケロッとしてた。
#2回消されても怒らなかった
#僕なら1回目でキレてる

最近では料理に目覚めて色々作れるようになったので親が仕事で遅くなる時は弟達の晩飯も作ってくれるのはほんと助かる。
#次は次男に頼ろう

そんな長男も今日から県外に就職。
あっという間の18年。親元を離れての生活が始まる。
僕も18で親元を離れたけど、その時の親の気持ちもこんなだったのか。
嬉しさ半分寂しさ半分。

やっぱりこういうのはその時になってみないと本当の意味で分からないんだなぁと実感した。
#18年の歳月はどうやっても18年かかる

この先どんな大人になるか、めちゃくちゃ楽しみだ。この楽しみも親の特権。
負けないようにお互い頑張ろー!

以上、長文失礼しましたー。

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