散文

一.

『元来た所に戻る』のと『後ろに進む』のは似てる様で違うなあ、とぼんやり。
とはいえ「じゃあ何が違うのさ」などと聞かれると上手く説明出来ないのだけれど…
なんというか、前者は0とかプライマルっていうイメージだけど、一方で後者は進んでいるならそれだけでよくやってるというか、さほど悪くはない感じがする。
前という向き=前向き、だけが進むという事ではないと思う。進んでいるのなら後ろだろうが斜めだろうが左右だろうが良くて、方向は重要でないのかもしれない。
かといって、立ち止まったりそもそも道を踏み外したりする事がダメな事だとも思わない。
大なり小なりあれど、人生で一切も立ち止まったり踏み外したりしない人などきっといないだろう。またそういう人たちを見てバカにしたり嗤う権利なんて誰にもない。何故なら誰しもが「そうなる可能性がある」からだ。…

……
………

…などと、午前中は仕事をしながら頭の中でこういう事を考えていた。
バカのくせにこういう小難しいことをいつも考えてしまう。暇さえあれば考えてしまう。や、仕事自体はまあまあ忙しいというか忙しないのだけれどね。
しかし頭の中ではきっちりまとまってるのに、いざこうして目に見える形でアウトプットしてみると何を言いたいのか全然わからないな。まあいつもの事だ。
文章もう少しくらい上手くなりたい。

二.

朝に職場の方からもらったペコちゃんキャンディを昼休憩の早い内に舐めつくして、所在なくなった棒を口に咥えっぱなしでぼんやりしていて、ふとたばこを吸っていた頃のことを思い出した。

19の時に友部正人の「一本道」を聴き、歌に出てくる『しんせい』にあこがれて、20を迎えてすぐの頃にそいつを求めて近所を回った。
西宮は結構な都会なのでまあそこいらにあるだろう、と思っていたのだけれど、見事に何処にもないんである。
それもそのはずで、当時(2015年)しんせいはとうに絶滅危惧種といっても過言では無い程の立ち位置に居たし、実際その何年後かにしんせいは生産終了となった。
都会といえどもコンビニにはまず置いているのを見た事がないし、古き良きたばこ屋なんてのは時代の煽りを受け切ってすっかり廃れている。これでは贖いようがない。
仕方ないので阪急に乗って三宮か梅田に出かける時のついでに探した。で、どちらで見つけたのかは失念してしまったのだが流石に取り扱ってるお店があったので嬉々として吸った。
もちろんBGMを「一本道」にして。
ただ、煙草の吸い方がいまいちよく分からなかったので、煙を口にしばし含んでふうっ、と浮かべた。
「あーこれが大人なんだなあ」なんてしみじみしながら街の雑踏に消えゆく煙を見ていた。
今思えば大人になりたての少年の大袈裟でわざとらしい感傷である。片腹痛い。
結局煙草の吸い方も良さも味もよく分からなかったので、一年くらいで買うのを辞めた。
けれども今振り返って、それが無駄な時間・行為だったとは思わない。

昨夜結局三時間ほど眠ってやっとだったせいなのか妙にヘンなテンションで落ちつかないので、とりあえずポチポチ書き散らしたら落ちのない雑記になってしまった。面目ない。

ふと後をふり返ると
そこには夕焼けがありました
本当に何年ぶりのこと
そこには夕焼けがありました

あれからどの位たったのか
あれからどの位たったのか

ひとつ足を踏み出すごとに
影は後に伸びていきます
悲しい毒ははるかな海を染め
今日も一日が終ろうとしています
しんせい一箱分の一日を
指でひねってごみ箱の中

友部正人「一本道」より


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