冬の終わりの蜃気楼

大学生活も半ばを過ぎた頃だろうか。
冬になるとよくじゃがいもを蒸かして食べていた。安いし、手間要らずなのだ。
ご飯を炊く時に少し水を多めに入れ、ご飯の上にじゃがいもをそのまま投入するだけでいいし、ご飯を炊く用事がない時も、水で濡らしたキッチンペーパーでじゃがいもをくるんで、それをまたラップでくるんでレンジで3~4分で出来上がるので、食べる時間がない時や晩酌の肴としても重宝したし、何より温かくて美味しい。
今でもたまにじゃがいもを買ってきてそうして食べるのだけれど、この時期に蒸かしじゃがいもを食べるとその頃の事を思い出す。

こんなふうに、2月は個人的によりいっそう色々思い出す月である。じゃがいもの味だったり、友人が亡くなったことだったり。大なり小なりである。
そういえば今月でギターを初めて5年が経つことになるんだけれども、その理由がその友人を何らかの形で弔いたいという想いからであった事を先日ふと思い出した(これも以前どこかで書いたような気もするが)。ああそうだったな。
そんなこんなで2月はいつもおれの眺めてる場所のずっと向こうに思い出の蜃気楼が立ち並んでいる。目をよく凝らしてみると、その先に春がいる。そうして蜃気楼に気をとられている内に3月やら4月になる。
春も好きな季節だけれど、春に良い思い出もあまりない気がする。けれども、毎年桜を見るたびに「今年も桜を見られて良かった」という気持ちになるのは確かで、その気持ちを味わうためだけにただ春を待つのも悪くないと思う。
高知城の桜を見るのが好きだ。
もっというと、桜の下で花見をしている人達の幸せそうな楽しそうな様子を肴にして酒を飲むのが好きだ。
これもある意味「花より団子」なのかもしれない。

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