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その日の天使

中島らもという人が好きだ。

彼はコピーライターをはじめ、作家、舞台監督、バンドマン、、、色々な顔を持つ。
一方でアル中、ヤク中、躁鬱などさまざまな苦しみと人生を共にした。
彼の人間性やエピソードは破天荒で珍奇なものが多く、それに惹かれたりする者も少なくない。
かくいう僕もそのひとりである。
大学生の頃に「いいんだぜ」にシビレ、3年前に「今夜、すべてのバーで」を読み、昨年「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」を読み多大なる感銘を受け、今現在彼の本を読み漁っている(文章を書く際にもほんの少しだけ影響を受け出した)。
決して綺麗とはいえないが、彼のように生きられたならどんなに素晴らしいだろう、とさえ思うのだ。
惜しくも2004年に転落事故でこの世を去る。
享年52歳。一度生で見てみたかった。

彼が遺した膨大な言葉の中にはハッとさせられるような金言も多い。
その中でも「その日の天使」というものが僕は大好きで、今の自分の芯になっていたりする。

こういう文章だ。

"死んでしまった ジム・モスリンの、
なんの詞だったのかは忘れてしまったのだが、
そこに、
The day’s divinity, the day’s angel” 
という言葉が出てくる。
英語に堪能でないので、おぼろげなのだが、
ぼくは こういう風に 受けとめている。
「その日の神性、その日の天使」
大笑いされるような誤訳であっても、別にかまいはしない。

一人の人間の一日には、必ず一人、
「その日の天使」がついている。

その天使は、日によって様々な容姿をもって現れる。
少女であったり、子供であったり、
酔っ払いであったり、警察官であったり、
生まれて直ぐに死んでしまった、子犬であったり。
心・技・体ともに絶好調の時は、これらの天使は、人には見えないようだ。
逆に、絶望的な気分におちている時には、
この天使が一日に一人だけさしつかわされていることに、よく気づく。

こんな事がないだろうか。
暗い気持ちになって、冗談にでも
”今、自殺したら”などと考えている時に、
とんでもない友人から電話がかかってくる。
あるいは、ふと開いた画集かなにかの
一葉によって救われるような事が。
それは、その日の天使なのである。”
中島らも「恋は底ぢから」より


僕がこの言葉に出会ったのは本ではなく、Twitterの中島らものキーワードをまとめたbotなのだが(「生きていて良かった夜」も同じく)、初めて目にした時、非常に救われるような、胸のつっかえが取れるような気持ちになったのを覚えている。
後にこのエピソードが収録されている「恋は底ぢから」を購入し、紙で読んだ時にそれはそれは涙が出るほど感動したんである(一冊まるごと涙ながらに面白かった)。

「恋は底ぢから」。タイトルだけでもう胸から何か込み上げてくる。落涙もんである。

余り宗教的なものやスピリチュアル的なものは信じてないけれど、「その日の天使」は今日に至るまでずっと信じている自分がいる。
根暗でマイナス思考かつ落ち込んだりする事が多い自分を支えてくれる御守りのような。

これをはじめ、自分の好きな言葉や文章は他にも多数あるのだが、思えばそういった救われるような或いは芯になるような言葉に出逢いたいが為に、音楽や本や映画やドラマや…といった色々なものに触れているのかもしれない。
そしてそれは自分の中にあればある程良い。御守りにもなるし武器にも盾にもなる。
言葉で腹が膨れる訳ではないし、生活が変わる訳ではないけれど、僕自身色んな場面でふとした言葉を思い出し、勇気を出したりここは少し頑張ってみようか、などとした事は少なくない。つくづく言葉に救われていると思う。

その日の天使は、上記の通りなんであってもかまわない。
家族や友人や恋人やなんなら生き物じゃなくても、絵だったり、景色だったり、食べ物だったり、街中でふと見つけたヘンな看板だったり、ふと思い出した過去の記憶だったり、道端で誰かとすれ違った時の、たまたま耳に入った会話だったり…
とにかく、暗い気持ちにある時にほんの少しでも自分が少しでも救われたな、と思えたものなら、それがあなたの今日一日の「その日の天使」なのである。
そして誰もが誰かの「その日の天使」になりうるし、僕もまたどっかの誰かのそれになりたい、と思う。

あなたの今日の「その日の天使」はなんですか。

昨日の僕のその日の天使。仕事帰りにふと振り向いたらあった月。なんかやけに綺麗に見えた。

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