我に返るスキマを埋めろ

TwitterでマヤーンズとTOMOVSKYがセッションしている動画が流れてきた。
「我に返るスキマを埋めろ」
トモフの代表曲だ。

忘れた頃にいつもこの曲に触れたり、思い出したりする。そして大抵、うーんなんといえばよいのか…なんであの時にこの曲を思い出さなかったんだろ?というタイミングでそれは訪れる。
これはこの曲に限らず、もっといえば音楽に限らず。読んだ本の一節とか観た映画の印象に残ってる台詞とか。
なんなら芸術じゃなくても、遠い記憶の中の一場面だったり、誰かがおれに対して言ってくれた何気ない言葉とかくれた表情とか。
まあ、要するに心と脳ミソに残っているモノ達だ。
で、特にこの「我に返るスキマを埋めろ」は歌詞は勿論のこと、タイトル自体が常日頃より考えすぎたり悩みすぎるおれにとっての御守りというか、指南役というか、頓服というか。そういう存在なんである。
けれども、いつも肝心な時(だいたいうまくいってない時とかダメな時)にこの曲の存在を忘れてしまったりしている。そういう時に思い出してこそなのだけれど…
おれの脳ミソがおれの邪魔をしているのか、おれがおれの脳ミソを邪魔しているのか。もう分からん、お手上げ。白旗である。

昔ブログかTwitterでぽつりと書いた気もするが、人生のここぞという節々で思い出せたら踏み出せたり、逆に踏みとどまれたりした音楽や本や映画や記憶の言葉を過ぎてから思い出すような事ばかりなので、すぐにパッと浮かぶようになれたら良いなぁなどと思う。おれはなんかいつもズレている。尤も、生まれた時からズレているので今更だからどうというわけでもないのだが。
格好つけてるとか斜に構えてるわけじゃなくてホントにズレてるんだよ。
でも、ズレ続けたら本来の軌道に乗れたりするのかもしれないな、とかも最近は考える。ズレ続けるのも悪くは無い。いやまあズレない方が良いは良いけど。わからん。

こうして深く考えずにぶつぶつダラダラ文章を打っていたら我に返りそうになる。カーソルが点滅している。我に返ると我を忘れるのスキマってこのカーソルみたいなカンジなんだろうなあ。分かるかな。分かんねえだろうなあ。

いちいち招くな
いちいち入れるな
いちいちココで
感じるな
何か聞こえても
何か気づいても
何がわかっても

見落とせ
見過ごせ
聞こえても
聞き逃せ

幻想で 妄想で
この部屋を満たせ

我に返るスキマを埋めろ
我に返るスキマを埋めろ
我に返るスキマを埋めろ
もう帰らないように

TOMOVSKY「我に返るスキマを埋めろ」より

何の話をしとるんだおれは。
まー眠いせいだろう。
あ、めぼうできたかもしらん。

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