見出し画像

昔々の夏休み 〜田浦のかき氷〜

子供の頃、横須賀線に乗って北鎌倉〜鎌倉〜逗子あたりまで来るとちょっと旅行気分になったものだ。それは夏になると逗子海岸で遊んだりしていたからだと思う。けれど東逗子を過ぎて「田浦」となるともはやそこは横須賀圏内。がらりと様子が変わって横須賀米軍基地のお膝元という空気が漂う。

そこに叔母の家があった。私は小学生の頃の夏休み、ひとりで長逗留したことがある。日がな一日、貸本屋で本を借りてきてはひっくりかえって読みふけっていた。確か1冊30円。冬はおでんを売る店が夏はかき氷屋になる。私は近所の子供と一緒にかき氷を食べ、銭湯に行き、自由気ままに気楽に過ごした。特別の夏、東京とは時間の流れ方が決定的に違った。

大人になって葉山に暮らし始めた頃には、田浦と葉山は逗葉新道で結ばれていたから、車での行き来は頻繁になった。そして「田浦」はまだ変わること無くそこにあった。銭湯と貸本屋は無くなったがなんと、かき氷屋はまだあって、私の子供たちの楽しみとなったのである。叔母の家まで出前をしてくれて1杯、100円。だが、2000年になろうかという頃に、急激にその周辺は変わってしまい、商店街は消えてただの住宅地になってしまった。

今、その「田浦」の空気を伝え残しているものはかき氷の器である。私の記憶はおぼろげなのだが叔母もまたひと頃、家の軒先でかき氷屋をしていたことがあって、なぜか3っつだけ私の手元に残っている。今は亡き叔母の形見であり、私を田浦の夏の想い出へと繋いでくれる宝物となっている。



画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?