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葉山で子育て.....1980年代 ②

東京に戻ると葉山に戻る機会は極端に少なくなった。そして両親も弟の就職を機に都内に戻った。この頃は、父も弟も私もそれぞれに忙しくてあまり一緒に過ごした記憶がない。母は、市ヶ谷の家も妹と営んでいたお店も手放して引越したのに行ったり来たりの落ち着かない日々をおくることになる。しかしこの頃すでに父は健康を害していて、仕事から遠ざかる日が迫っていたのである。この頃の葉山の記憶は、庭に咲く梅と桜の花だ。

お正月を過ぎると、北側の掘りごたつのある部屋の窓一面に、真っ白な梅の花が広がる。その部屋の真上にある私の部屋では、春になると裏山の斜面に自生する大島桜が真っ白な花を咲かせ、ベッドに寝ながら窓一面の桜を楽しむこた。その季節だけは週末になるといそいそと葉山に戻った。

私たち家族は皆、まだ葉山での暮らし方を見いだしていなかった。勢いで作ってしまった大きすぎる一軒家と、駅近ではない立地に馴染めず、コンパクトな東京の便利さから抜け出せなかったのである。そんな中で父はだんだんと元気を失って行き、東京へ戻ることも少なくなっていく。多分、この当たりが私の人生の第一幕の終わりだったのだろう。

1986年秋、私はシングルマザーとなり赤子を連れて葉山に戻った。そして父は翌年の3月に倒れて以後、入退院を繰り返しながら寝たきりの暮らしに突入していくのである。人生の第二幕が気がつかないうちに滑り出していた......... これがまぁ、今思い出しても頭がクラクラするほど悲喜こもごも で.........本当の葉山暮らしはこうして始まったのである。



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