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葉山で子育て.....1990年代 ③

シングルマザーで始まった子育てだったが、なぜだかその翌年に結婚し出産をして....そして別れてまたシングルマザーになった。ものすごくめまぐるしい出逢いと別れを2年間でやり終えた私は以後、仕事で東京と葉山を行き来しながら子育てを満喫した。葉山のどんな小さな風景も子供と共にある。海辺と里山、持て余すほどの大きな家と庭はまことに有り難かった。やっとこの家が生きた気がした。これが 「明」ならば、歩けなくなり視力が衰えて、週3回透析に通う暮らしを余儀なくされた父の暮らしは「暗」である。その両方が同時に家の中で進行していった。

父はほぼ10年の歳月を寝たきりで過ごした。自宅介護を決意し弟が父を背負い車に乗せて通院をした。暗くなりがちの暮らしの中で、成長していく子供に大人が救われる日々だった。萎えていく父との日々の苦しさや悲しさは、強く優しかった父との想い出を絞り出すようにして埋めていたように思う。父が亡くなった時、それは突然にやって来たのだれど........私は父に縋りついて泣きその後、だいぶ長い間立ち直れなかった。東京の街を仕事で巡る時に、どこに行ってもそこに父がいて泣いてしまうのである。特に東京駅周辺、銀座界隈.........。父と私は喫茶店でひと休みするのが好きで、一緒に居る時はもう少しで家に着くのに.....というそんな場面でもよくお茶をした。

父が亡くなってから3年後に、弟が結婚することになりそれを契機に家を売却して、同じ葉山のおもいっきり海辺に引越をした。母と弟夫婦は一色、私とふたりの子供は葉山元町へ。


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その小さな小さな一軒家で2000年を向かえることになる。その頃、PC一式を揃えて仕事にも変化の兆しがあり、2階の仕事部屋から眺める山の上に建つ十字架に導かれるように、葉山教会との出逢いがあった.............。








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