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今、一緒にいることの奇跡

95歳の母の1日には決まりというものがない。気のむくまま起きて寝て食べて、食べるとすぐ眠くなり、昼まで寝ていたかと思うと10分、20分おきに起きたりまた寝たりを繰り返すこともある。そっと観察していると何やら小さな生き物が生息しているかのようで….. それは可愛くもあり、時には不気味にも見えたりする。

朝は、出勤前の長女が1時間ほど相手になり、軽いおやつを食べさせながら繋がらない会話をする。私はそれをぼんやりと聞きながら、ああ、また1日が始まるなと思うのである。娘を見送ると母はベッドに戻り寝てしまう。1年前くらいまではベランダに急いで走り手を振ったりしていたのに。そう思うとだいぶ足が萎えてしまったと改めて思う。

次に起きた時が朝昼兼用の食事なので、私はそのわずかな間に急いで歯医者に行ったり、掃除、洗濯にベランダの鉢植えの水やり、次女の店先の植物の世話にも行ったりする …. そして買い出し。全てが徒歩圏内で近所をひたすら走り回っているのである。他にも雑用はキリなくあって、そんなことをしながらもう2年余り…….仕事をしなくなって緊張感を失い、娘に「お母さんの格好、あんまりだ」と云われる始末。私も「そうだよね、なんか家の前を掃除してるおばさんだよね」と我が姿を思う。

ケアマネさんも、週1回の訪問介護のヘルパーさんも半ば呆れるように、デイサービスを利用されませんか?とまだ言うけれど、母の頑なな拒否にあってことごとく失敗したじゃないの? 側に付き添ってやっと4時間過ごして、私の方がクタクタになっただけ。それならもう、人生最晩年なんだから好きに過ごしていいんじゃない、と私たち家族は思っている。寝たきりになったり、流動食になったりしたら人の手を借りなければならないけれど、それまでは…….……もちろん、だからといって達観して全てを楽しくやっている訳でもなく、慢性疲労のような体調と折り合いをつけながらの日々。我が母は未だ、小動物のようになってしまっても尚、ライオンのように家族に君臨しているのである。

ちょっと元気が残っている夜中に、My 70's と題して集めたプレイリストを聴きながら、身体に染み込んだ楽曲に浸ってそれで心のバランスをとっている。そして思う、私にこの音楽と共に過ごした青春時代をくれたのは両親なのだと。母はひとり海外で暮らす娘を死ぬほど心配しながら過ごし、私はその間存分に楽しながらそこで生きる力をつけた。そして今に至るまで自分の意思に従って生きてきたのである。母の親元から婚家への移動しかしていない人生と、それはなんとかけ離れたものなのだろうか…………

認知症発症の頃、母はずっと理解仕切れなかった娘に対して、過去の気持ちを恨み爆弾にして投げつけた。もの凄い言葉の暴力に、私はただ唖然とするばかりで返す言葉もなかった。娘が思い余って、もしかしておばあちゃんって毒親? と云ったくらい、今でも思い出すと頭がくらくらしてくる。でもそれが親子なんだろうと思う。他人とならそんなことにはならない。今、母は優しい孫たちを頼りに生きている。娘の私のことはどう思っているのだろう? もはや私のことをお母さんと呼び、姿を探す母である。ま、いいか、このままで。このままで生きていこう。

母も私もきっと、心の奥底に楽天的な要素を持っているのだろう。坂道を転がり落ちてもまた這い上がってくる力、その小さな灯火のようなものがまだ残っているのかもしれない。明日は外で食事をしようと母に云ってある。その前に朝イチで2ヶ所、クリニックに行くことは内緒。もはやたくさんは食べられないのに外食好きな習慣は残っていて、何かと車椅子でお出掛けとなることが多い。そして私と娘はお互いに時間をずらして整体に通いわずかな時間、人心地つくのである。

I Saw the Light   by  Todd Rundgren
 My 70'sで気分がよくなったところで、おやすみなさい。

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