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雲仙普賢岳火砕流の跡地を訪れる

距離感と実感について考える。
島原に行ったのは、島原城の他に普賢岳火砕流被災の跡地を見たかったから。
30年前のニュース映像を今でも覚えている。
死者43人は東日本大震災と比べればかなり少ないが、当時はかなりの大災害だった。


この災害は自分には遠い場所での出来事で、実感はなかった。大変だなぁとは思ったけれど何もすることはなかった。
東日本大震災でその他人事感に恥じ入ったが、その後の熊本の震災では東日本大震災の時のように支援活動に出向いて行くということはできなかった。

実際の距離の遠さと当事者感覚の遠さ。そこには身勝手な自分もいる。
この災害で離農した農家が多いとか。その人生の転換に想いを馳せてみる。

しかし、この現実を前に無力感を一層感じてしまうな。

(白濱雅也記 2021.7.10転記)

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