熊野の門前に立って〜(1)
熊野に魅せられた人は私の周りにも過去に何人かいた。何かその誘引力があるらしいというのは知っていた。が、それがなんなのかは、よくわからないでいた。だからといってそれを確かめにわざわざ来るというほどの関心でもなかった。
今回、旅の始まりが熊野から始まるのは偶然の面が強い。梅雨や台風を避けてまずは西国へ行ってそこから北上するという方針で、その途中でどこか一度展示ができたらいいかなと思った時に、作家仲間の今井紀彰さんのことが思い浮かんだ。今井さんは熊野に移住していた。実家が熊野なのかと思っていたが、彼に熊野はどういうところか聞いてみたいという気持ちもあった。
十津川村の深山を越えてくると、そこにすでに聖性を感じるところはあった。深い山々から太平洋に向かって大きく蛇行しながら開けて行く感覚は何か人生を思わせるところはある。
今井さんが住んでいるのは熊野市ではなく御浜町の尾呂志という集落で、太平洋から少し内陸に入った山間部の集落で、盆地のような地形で見上げるような山々に囲まれている。本州では珍しくもない地形ではあるが、今住んでいる場所は地平線が見えるような場所なので殊更新鮮に感じる。ここ自体が既に桃源郷のような空気感がある。
着いた夜に連れて行かれた尾呂志庵というところも不思議な趣で、真紀が夢中になっている野草料理を振る舞うところでもあった。そこで今井さんに風伝おろしの話を聞いた。盆地の向こうにある谷あいで霧が発生してそれが溜まって溢れると山を越えてここ尾呂志に流れるように降りてくるという。尾呂志という地名もそこから来ているようだ。今井さんはそのおろしにも魅せられてここに通っていたという。
今井さんが手配してくださった展示の会場はさぎりの里という農産品の直売所の駐車場で、朝から人が切れ目なく訪れる。その日は肌寒く、前回の九州ツアーでの蒸し暑さに懲りたせいで薄着で来たことを後悔するほどであった。早朝に今井さんからメッセージが入っていた。おろしが見えているという。
車中泊の車から出てみると山頂には押し流されてくる津波のような霧が迫っていた。そしてそれはゆっくりと流れ落ちてくる。午前中小雨混じりの中、このおろしを数回見ることができた。あとから、このおろしは必ずみられるわけではなく、特にこの時期に見られるのは珍しいということであった。私らは幸運だったらしい。
展示を終えてから、今井さんたちが一番と勧める湯の口温泉に行った。その温泉へのアクセス道が通行止めで長い迂回路を通らなければならなかった。
対向車とすれ違うのがやっとの狭い山道を尾根沿いに登って行くのであるが、熊野の聖性の原点に触れた気がした。
山道を登って行って、昨晩一緒にいた方から聞いていた磐座(いわくら)信仰のことがすぐにわかった。巨石や岩壁とあちこちで出逢う。そして深い杉桧林の暗さは幽玄な気持ちを誘う。さらに紀伊山地の深山がそれを囲む。これは誰もが拝むような気持ちを抱くだろう。この夜だけでもそんな信仰心を呼び起こされた。(2に続く)