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田んぼでアートの静かな過激さ

松山から翌朝戻って、三豊町の田んぼアートに向かいます。
ここは以前展示をして頂いた千葉尚美さんに紹介していただいたプロジェクトで、二つ返事でなんとなく緩く乱入をOKして頂きました。
ネットで検索するといわゆる田んぼアート、田んぼに大きな絵を描くようなプロジェクトがいくつか出てきてなかなか見つけられません。同時期にやまなみ芸術祭も開催していて、ちょっと紛らわしい。

ゆるい感じのチラシ 参加作家は過去の作家も書かれているようで、展示作家と違うようです。


会場に近づいてもなかなか場所が見つけられず、「田んぼでアート」と近所の方に聞くと、あーそこ降りてったところだよ〜と、進むと布に手書きの大きなバナーが出てきました。その手作り感がなんとも象徴的です。会場に降りて行くと村の大将のような河野さんが出迎えてくれて、設置場所の相談。


中央ステージのそばに停車

会場はため池の隣りの休耕田のような原っぱ。初日午前中はみんな作品を設置しているよ〜というお話でしたが、そんな感じで作品設置をしてます。
著名な海外作家が展示しているとかいうのではなく、これに賛同している地元や馴染みの作家が展示している感じで、ランドアート的、かつての野外インスタレーション的な作品はちょっと既視感を感じるところがあります。

熊本年彦のアンビエントな音が一帯に響く


なんと言ってここで目(耳?)を引くのは中央に置かれたPAや楽器群とそこでのリハーサル音。電子音楽、エレクトロニカ系のDJやライブが終日おこなわれるのです。
アートに囲まれアンビエントな音が流れる里山は、なんとも過激な空間となっています。

正直なところ、主役はこのライブでアートは脇役になっています。それでもこのシチュエーションは新鮮です。
河野さんにお話を聴くと、会場なども含めて、助成金などを使わず手弁当、作家、演奏家の持ち寄りで成り立っているのだとか。そのスタイルで20年以上続いているとか。これは驚きです。。
ここの緩く自由な空間の理由がわかりました。ライブは河野さんの息子さんがこの系統の音が好きだったことで始まったそうです。
20年以上といえば越後妻有アートトリエンナーレと同じくらい先駆ということですし、それだけ継続しているのもすごい。

もう一つは地元の料理好きが作る軽食が振る舞われること。地元の女性の他、料理好きの高校生や中国から嫁いだ方も加わって、猪肉の煮込み、肉まん、赤飯などが食べられるのです。(しかも無料!?)

のどかな空気が流れてます。

正直な印象、お客が多いという感じではありません。参加者が楽しんでいるという感じで、むしろ村祭りのような感覚です。実際に農作業が一段落する時期に開催されていて村の行事、風物のようになっているそうです。

田んぼでのアートイベントといえば越後妻有アートトリエンナーレがその筆頭です。その先駆性は今更改めていうこともありません。自分も多少関わった感触から言うと、億単位の予算がついて、数百人の作家、合併前は4自治体にわたる広い会場、こへび隊というボランティアの若者を投入したりと、かなり剛腕なプロセスです。

動員数30数万人と言われてますが、これは全ての作品における入場者数の累計なのでかなり割り引いて見る必要があります。経済効果もあるとか、過疎対策に貢献してるという功績も言われてますが、実際の費用対効果はどうなんでしょう。
十日町市の人口減少傾向に大きな変化はないです。

こうしたイベントの最大の効果は住民の精神的な充実にあるのではないかと感じます。越後妻有では外からの目によって地元への誇りが高まったという話をよく聞きました。ここのアートで田んぼでそうした波及があったかはわかりませんが、これによって外から人が訪れて地元の方と交流して楽しんでいるという姿は違った波及を感じます。

私自身は、公共事業的な文化事業よりこうした手作り的な催しの方が好ましいと感じます。

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