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熊野へ向かう

紀伊半島は気になっている場所の一つだ。その理由ははっきりはわからない。気になる異性もいれば気にならない異性もいる。そんな直感的なものかもしれない。
同じ名前の白浜町があるのはきっかけにはある。他には三陸同様のリアス式海岸、北上山地同様の奥深い山々、城好きの私が好きな和歌山城、吉野や高野、熊野などの聖地が点在することなどが思い当たる。ここにはどことなく人を安直に寄せ付けない雰囲気を感じるのだ。

以前、大台ヶ原にはバスで行ったことがある。天上の別世界のようなそこもまたどこか聖地の趣があった。そこから南は興味を持ちつつも未踏の地だ。
今回、ルート上から紀伊山地のど真ん中を縦断するコースをとった。

壁画で有名な高松塚古墳のある明日香村を通り南下、吉野近くの紀ノ川を越えると山地に入っていく。google便りに県道に入ると乗用車がすれ違えないほどの農道ともいえないような狭い道は続く。北海道の道に慣れている私には歩道の方が広いと思うような道だ。
その感覚は国道に入ると多少マシになったが、代わりに山は険しくなっていく。
北上山地に慣れている私にも一層の険しさ、山深さを感じる。(狭い道とかカーブの多さから写真を撮る余裕がなかった)

分水嶺を超えて山の険しさは多少和らいだが、峡谷の深さが続いていて独特の風土を感じさせる。
また治水事業のためかダム湖が連続していてその湖面と峡谷のコントラストがさらに独自感を与えている。

こうした地形は他所でもよく見るものだが、ここはそれが延々2時間以上も続くところが特徴的だ。それも場所ごとに微妙に表情を変える。深山幽谷の趣は神性を感じるものがある。

そしてその奥深い谷あいに山村集落が張り付いている。かつての京からそう離れてはいないが、当時の道や距離感からすれば奥座敷のまたその向こうの山深いところとして認識されていたに違いない。
そして豊かともいえないそうした場所に住み着く人というのも何か不思議なものがある。より厳しくも新しい土地に向かう本能を持つ人がいる。
紀伊山地の人を寄せ付けない風土と長い歴史とが不思議な感慨を呼ぶ。

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