Blackburn Rovers関係者一覧

海外クラブのフロント、スタッフって謎じゃない?もちろん役職名は英語だし、どう訳せばスッキリするかな?なんて思いながら現地紙を読んでいるわけだけど、この際誰がどの役職に就いていて何してんのか一度整理しようと思ったわけです。

訳し間違いなどは多めにみてください。すみません。

本社

Venky's
家禽産業に関連する企業でで構成されるインドのコングロマリットで鶏肉の加工などの食品業から動物のワクチン生産というヘルスケア事業まで幅広くカバーしている。創業者はインド人のB.V Raoで、現在はその子供たちが継いでいる。2010年に当時のオーナー兼ブラックバーンの英雄であったジャック・ウォーカーから99%の株を買取り、ブラックバーンローヴァーズを買収してオーナーに。
クラブから英雄を追い出し、「俺たちがロナウジーニョのようなスター選手、スター選手を連れてくるぜ」と豪語し、当時監督だったサム・アラダイスを解任。後にブラックバーン史上最低と揶揄されることになるスティーブ・キーンをアシスタントコーチから昇格させて見事2部に降格させたのでファンからすこぶる嫌われている。

Anuradha Desai  アヌラーダ・デサイ
Venky's Groupのチェアマン。創業者の長女。女性だからチェアパーソンというべきか。
畜産学の博士号を持つ才女。
ブラックバーンへの関与も興味もない模様。

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Balaji Rao バーラジー・ラオ
バイスチェアマン。ブラックバーン買収に動いた”ラオ兄弟”の兄貴の方。
恰幅がよく、貴金属をジャジラじゃら身につけているのでマフィア感がある。
その見た目の悪さからかメディアの露出は少なめ。

Venkatesh Rao ヴェンケテシュ・ラオ
マネージングディレクター。ラオ兄弟の弟の方。兄に比べると顔が柔和で落ち着いた雰囲気。ブラックバーン関連の取材や対応や声明を出しているのがこの人。実質的にはヴェンケテシュがオーナーと言って良い。あまりフットボール文化を理解しないミーハーオーナー。

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Balaji(兄)←→Venketesh(弟)

経営陣

Steve Waggott  スティーブ・ワゴット
CEO。Barclaysに新卒で入社し支店で銀行員として働き、その後はチャールトンアスレチック、コベントリーシティ、ジリンガムのCEOを歴任。2017年にブラックバーンのCEOに就任。フットボールの世界に身を置く前はLondon Leisure Collageで身体教育学の講師もしていた。
毎クリスマスに「クリスマスメッセージ」という名のお気持ち表明が定番になっている。愛嬌のある顔とボディ、クラブをはちゃめちゃにしたオーナーともうまくやっているのでファンからは割と信頼されている。

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Tony Mowbray トニー・モウブレー
監督。過去に当時プレミアリーグに所属していたWBAを率いて降格。その後、セルティック、ボロなどで指揮をとり、17年からブラックバーンの監督に。キック&ラッシュのフィジカルサッカーが色濃く残るチャンピオンシップの中では珍しい、丁寧にパスをポゼッションサッカーを展開する。現役時代は鉄人CBだったためガタイが良く、全体的に岩みたいだが、冬場になるとクラブのタオルマフラーを首に巻いて暖を取るちょっと可愛いモウブレーが見られる。

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John Park ジョン・パーク
リクルート部門の最高責任者。21年夏にそれまで同職を務めていたStuart Harveyのサンダーランド移籍を受け、後任として就任。
決してNiziUをプロデュースしている人ではない。
文字の並びはちょっと似てるけど。
セルテック、カナダのバンクーバーホワイトキャップス、イスラエルの強豪マッカビ・ハイファ、ポーランドのレギア・ワルシャワで同様の職を経験。なんだかスケット外国籍選手のようなキャリアを歩んでいるがその腕は確かである。セルティック時代に当時まだ無名だった現リバプールのファンダイクやビクターワニャマ、現アトレティコのムサデンベレらの才能を見出し、獲得した名スカウト。若い選手の発掘及び育成に定評があり、ジョゼ・モウリーニョがチェルシーの監督に就任した際にユースチームのコーチとしてジョン・パークの招聘をクラブにオーダーしたと言われている。

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Mark Venus マーク・ヴィーナス
監督補佐。モウブレーの右腕であり相談役。モウブレーが監督を務めたハイバーニアン、ミドルズブラ、コベントリーで共に働き、モウブレーが解任されればヴィーナスも共にクラブを去る、まさに運命共同体。ズッ友。

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David Lowe デイビッド・ロウ
アシタントヘッドコーチ。イングランド各地のスタジアムで目撃情報が出回るので、参謀的な役回りを任されている模様。
現役時代はウィガンで活躍。

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Billy Barr ビリー・バー
ブラックバーンU23の"前"監督。
なぜ前任者のことを書くかって、そりゃ偉大だからよ。
ブラックバーンが昨季、下部組織育ちが最も活躍したクラブとして表彰されたのは彼の貢献による部分が大きい。アーセナルやスパーズ、マンチェスターの2クラブらイングランドのビッグクラブのユースチームがひしめくPL2(ユースチームのトップリーグ)の中で、明らかに場違いながらもそこそこの好成績を残すブラックバーンU23の善戦はBilly Barrの指導の賜物である。本当にいい指導者だった。
ヘッドハンティングされ、今季からManUtdのOBらが共同オーナーを務めるEFL2(4部)のSalford city FCのアシスタントコーチに就任。

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Mike Sheron マイク・シェロン
ブラックバーンU23の監督。前任者の移籍を受け、U18監督から昇格。
流石に前任者が凄すぎたので、比較するのは気の毒だが現在PL2で最下位はいただけない。成績不振のせいでめちゃ叩かれているが、強く生きてほしい。
現役時代は流浪のストライカー。

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その他

Jack Walker ジャック・ウォーカー
地元ブラックバーン生まれの実業家で少年時代から生粋のブラックバーンローヴァーズのファン。
製鉄工場で働く職人だったがREME(王立電気機械工兵)に徴兵され、その後、鉄鋼加工会社Wakersteel社を起業(元々は父チャールズが設立した会社が母体だが)してこの鉄鋼業で財を成した。
Ewood Parkの改築のための資材の提供などを行ってきたが1991年に正式にブラックバーンローヴァーズのオーナーに就任するとアラン・シアラー、クリス・サットンら大型補強を敢行。監督にはケニー・ダルグリッシュを招聘し94-95シーズンにプレミア初優勝を達成。文字通りブラックバーンが後世に「古豪」と呼ばれるきっかけとなる黄金期を築いた。

マンチェスターユナイテッドを「Cheap」と揶揄したり、アランシアラーのマンU移籍を阻止(結局ニューカッスルへ移籍)するなど、極度のマンU嫌いで有名。

2000年に亡くなるとホームスタジアムのEwood Parkのメインスタンドは彼のクラブへの功績を讃えて「Jack walker stand」と名付けられた

随時書き足していきまsu

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