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File.58 雅楽の真髄、伝統を、新しい方法で  真鍋尚之さん(笙演奏家/作曲家)

笙の演奏家としてはもちろん、雅楽ならではの楽器の可能性を踏まえた作曲家としても活躍する真鍋尚之さん。笙の独奏曲のみならず、他の楽器のための楽曲、管弦楽、演劇のための楽曲までを幅広く手がける真鍋さんだが、その発想、精力的な活動の背景には常に伝統に対する真摯な態度と、あらたな響きへの探究心がある。
取材:小室敬幸 構成・文:鉢村優/鈴木理映子 

———真鍋さんは雅楽に出合う前から、現代音楽の作曲をされていたんですか。

そうですね。現代音楽の作曲をやっていましたが、日本人なので日本のものもやりたいという気持ちは、中学生、高校生ぐらいのころからありました。当時はインターネットがなくて、雅楽の本もほとんどなかったですし、どこで楽器を売ってるとか、習えるという情報も全くなかったんですね。そんな中、進学した洗足学園大学(現・洗足音大)に仏教音楽の声明のレコードがたくさんあったので、そればっかり聴いていました。
日本の伝統音楽には、能や囃子、歌舞伎の下座、箏などもありますが、やっぱり時代の古いほうのほうが、僕は合っていたんですね。聴いて、これだなって思うのは、やっぱり雅楽か声明でした。でも、ちょっと伝統音楽を習っただけで知ったふりするのでは駄目だと。とにかく徹底的にやりたいので、声明を本当に勉強したいならお坊さんにならないといけないと思っていました。一方で雅楽については、ちょうど洗足を卒業する前、大学4年の時に、細川俊夫さんがやってる秋吉台のセミナーで、宮田まゆみさんに会える機会があったんですね。その時に、どこで習えるのかっていうようなことを聞いて、雅楽を始めました。

——その後芸大の雅楽専攻に入られました。そこでは笙だけでなくて、しっかりと雅楽を学ばれたわけですよね。

はい。最初に通ったところでは、アマチュアの方が多くて、本格的に学べる感じじゃなかったので、大学という場を選びました。もともと僕は日本人として作曲したかったんですよね。多くの人は日本人でありながら日本のものに接しないで生きているわけじゃないですか。そうではなくて、内面から日本人になって曲を作りたいなっていう、その目的も大学でなら果たせると思いました。
実は洗足の作曲科で学んでいた時期に声明をモチーフにした曲を書いたことがあるんですが、当時の先生に「外国人が日本のモノを持ってきてつくったみたい」と言われて。だったら自分で演奏できるようにして勉強するしかないと思ったんです。今なら、その方にもいろいろ言い返せると思います(笑)。
 
——雅楽と現代音楽ということでは、かなり伝統的なものであったりとか、あるいはめちゃくちゃポップス方面に行っている方がいたりはしますが、真鍋さんにとってロールモデルとなるような人は少なかったですよね。

そうですね。雅楽を用いて新しい作品を作ることが僕のやりたいことではあったんですけれども、まずはむしろ雅楽の古典をしっかりやれるような場に身を置きました。そのうえで、手探りで活動を続けて10年くらいで、少しずつ、自分だけでなく、いろいろな作曲家がいい曲を書いてくれたりといったことができるようになりました。

——ウェブサイトを拝見すると、日本の方だけでなく、海外の方とも協働して作品を作られています。それも真鍋さんが雅楽やその楽器のことをちゃんと発信しているからですよね。

手探りの中で『作曲のための楽器法』というちっちゃな本を作ったのですが、それがきっかけになって、みんながすごい作品を書くようになりました。それまでは、どうしても雰囲気だけの曲とか、演奏が不可能な曲が多かったりしたんですけれど。今は本当に作曲家がよく書いてくれるようになりました。結果、ほかの方々の活動とは全く違うものを作り出せるようになってきたかなと思います。

——楽器そのものを手にすることが、特に海外だと難しいですし、手に入ったからといって、どういうふうにやればいいかってすぐ分からなかったりするので、そういう手引きが必要ということですよね。

はい。日本の作曲家ならまだイメージも掴めそうですが、やっぱり海外の作曲家だと雅楽自体が分からないと思うんで、雅楽とはどういうもので、笙の古典の演奏はどういうものかっていう説明をしてからやってはいます。

——ご自身で作曲し演奏することに関しては、何か課題はあったんでしょうか。

今、私は演奏家でもあるわけですけれども、本当は演奏したくないんですよ。ただ、作曲をするだけだと誰も演奏してくれない。ちょうど楽器があって、演奏できるのでしているという面もあります。本当は、誰かに演奏してもらって「ちょっと違うよ」なんて言う方が自分には合っていると思うんですが。

——『RequiemⅢ 鎮魂協奏曲』を聴かせていただき、かっこよくて感動しました。笙という楽器をほかのものと合わせる難しさを踏まえつつも、アンサンブルとして豊かな世界をつくり、そこに笙が存在する意味も伝わってくる。

『RequiemⅢ 鎮魂協奏曲』もそうですが、他の楽器が入る時、特に大きな編成の場合は、笙ひとつだけの時よりむしろ簡単だとも感じます。笙という楽器には制限がありすぎるんですが、その中でどうやるかを考えることが僕は大好きです。思えば、僕は中高生の頃からオペラやオーケストラの曲を聴いてきましたが、たとえば『トリスタンとイゾルデ』をピアノ用に編曲したリストの『前奏曲と愛の死』という作品があるんです。それは2本の手でオーケストラを鳴らすような作品なんですよね。それを笙でもやってみたいという発想から僕の世界は広がっていったし、そういう仕事にやりがいも感じています。

おおもとが笙にあるというよりも、笙の曲を書きながらも、常にオーケストラである、ということでしょうか。

——今後挑戦してみたいことはありますか。

僕、雅楽って、ホールに行って客席に座って真面目に聴く音楽でもないような気がするんですよね。この前も竪穴式住居のある遺跡で演奏しましたけど、たまたま来たお客さんたちがいて、レジャーシート敷いて座ってたら音楽が流れてきたというような雰囲気が面白くて。たとえば、博物館みたいなところに行くと、すごい吹き抜けの大空間があったりしますよね。そういう、ホールとは違った環境、空間を生かした演奏会をやりたいです。
博物館でやった時は、お客さんはみんな展示を観に来た方たちでしたが、コテコテの現代音楽ばっかりやっても、聴いてくれたし、良さはわかってもらえたと思うんです。僕もリサイタルをやっていますが、どうしても現代音楽の演奏会っていうと、最初からもう構えて来てくれないことが多いじゃないですか。だから聴いてさえもらえれば、その機会が増えれば……とも思っています。それが難しいんですが。

大塚遺跡での演奏(横浜市都筑区)

——ちょうどコロナ禍というタイミングで、いろんな編曲をしてYouTubeにアップされているのも興味深く聴かせていただきました

似たようなことやっている人はすでにいたので、僕はやらないできたんですけれども、あの時期はもう、時間があり過ぎたので。まとめてやることによって作品として残せるかなと思ったんです。いちばん楽器が良く鳴って、しかも笙らしい編曲というのを心がけました。ただメロディーを吹いただけでは、伝統に対する侮辱になってしまうといいますか、楽器の性能とか、それが背負ってる伝統的な背景を含めた上でやっていかないと、理解を得られないと思うんですよね。
先日『アートにエールを!』のステージ型公演で演奏したんですけれども、その時も私は舞を舞いました。やはり五線譜に直したものを演奏できている、それで目立つことをやるというのではなく、雅楽をしっかり学んでいることが大切なんですね。その真髄ができていれば、どんなに前衛的なことをやろうが、ポピュラー音楽になっていようが許されると思います。伝統に対して敬意を払っているかどうかは、聴いている人にも伝わりますから。
そこがいちばん大事にしているところでもありますね。

「異ジャンルのコラボレーション」や「伝統と現代の出会い」を謳う企画は数あれど、その内実はさまざまだ。そんな中、単なるイメージではない「雅楽」「伝統」とは何かをおりに触れて発信しつつ、新たな響き、音楽に取り組む真鍋さんの姿勢は、オリジナルかつ貴重なものと言える。音楽ホールであれ、あるいはどこかの公園や美術館であれ、その調べ、響きはこれからも、その空間を変え、立ち会う人の居ずまいをも変える可能性を持ち続けるだろう。

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真鍋尚之(まなべ・なおゆき)
洗足学園大学(専攻/作曲・声楽)および東京芸術大学邦楽科雅楽専攻卒業。1998年第1回国立劇場作曲コンクール第1位、2004年現代邦楽研究所10周年記念事業「東京・邦楽コンクール」第1位ほか、作曲および演奏での受賞多数。2000年より笙の可能性を追求したリサイタルを開き、03年のリサイタルは読売新聞における年間ベスト5に選ばれた。11年より1年間、文化庁文化交流使としてベルリンを拠点に12ヵ国30以上の都市で活動、50回以上の演奏会を開いた。帰国後も定期的にソロ、また雅楽を世界中に紹介する企画をオーガナイズしている。

公式サイト http://sho-manabe.net/
YouTube https://www.youtube.com/@magamonabe



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