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File.17 塩のレースが描く、思い出と向き合う時間 山本基さん(美術家)

山本基さんの作品は壮大だ。塩を使って床面に絵を描くインスタレーションは私も何度か体感している。夜の海や、静かな教会に足を踏み入れるような、静謐で祈りのような体験を思い出す。塩という身近ではあるが、アートにとっては特殊な素材を使って、広大な面積に描く制作の準備やプロセスとは、どんなものなのだろう。娘さんとの生活を大切にしながら亡くなった大切な人たちへの想いに向き合う山本さんに、金沢のご自宅からオンラインでお話しいただいた。
取材・文=水田紗弥子(キュレーター) 
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(写真上)《軌跡》豪企業OFXとのコラボレーション 2018 協力:金沢美術工芸大学(石川)

画像1《迷宮》 個展「ザルツ」クンストステーション・サンクトペーター教会(ケルン)2010 撮影:Stefan Worring

——山本さんの作品はインスタレーションがメインですが、普段はどのように生活や制作をされていますか。

娘と二人で生活しているため、片道40分かかるスタジオには必要なときだけ行き、なるべく家で仕事をしています。朝は3時に起き、娘を起こす6時まで仕事をし、学校に送り出したあとは運動の時間です。私の制作スタイルは膝や腰にすごく負担が掛かるため、身体が資本。毎日1時間の運動と週2回の休肝日が目標なんです。長くつくり続けたいですし、娘をひとりで育てていることもあって、自分が元気でいられることがとても重要。意識してケアをしています。

インスタレーションを制作するとき下絵は描きませんが、事前にかなり細かく計画を立てます。現地に行ってみないと分からないことも多く、プラン7割で後は現場で調整します。事前に聞いていた広さと違うことも良くあります。ロシアのエルミタージュ美術館の展示では50平米で制作して欲しいと言われていたのですが、実際に行ってみたら体育館のように大きく120平米だったこともありました。

画像2《たゆたう庭》個展「Floating Garden」エルンスト・バルラッハ・ハウス(ハンブルク)2013 撮影:Andreas Weiss

 ——塩は現地で用意してもらうのですか。

1平米を描くために必要な塩は約1kgなので、それをもとに計算し、準備してもらいます。でも塩を制作に使う人はほとんどいないこともあって、まず塩で作品をつくるとはどういうことか知ってもらう必要がある。だから制作マニュアルを日英版で作成していて、展示オファーが来た時に渡すようにしています。そこにはアーティストフィーから滞在時の条件、地域ごとで異なる塩の銘柄、過去のトラブル事例(例えば、作品に気づかず歩行してしまう、犬や猫・ネズミが歩くなど)やその対策も書かれています。限られた時間の中でベストを尽くせるようにと考えた工夫です。

プラスチック製の油差しの中に塩を入れて描くのですが、この道具との出会いは実家のバイク屋です。父が使っていた姿を思い出し、このボトルで制作することを思いつきました。

画像3《紫の季節》「変容する家−東アジア文化都市2018」金沢−元ちゃんハウス/金沢21世紀美術館企画 撮影:鈴木 登志代

いわゆる食塩を使ってみると湿気でダマができてうまく描けなかったのですが、その後、今も使い続けている精製塩に出会いました。精製塩は純度が高く、にがりが入っていないのでサラサラしていてスムーズに描けます。ただ、いずれにしても塩は湿度が高いと溶けてしまう性質があるので、制作は湿度との闘い。これまでも、完成間近の作品がほとんど溶けたこともあるんですよ。

——最初は立体的だった作品が、床に描くようになったのはなぜなんでしょう。

きっかけは1999年に金沢市民芸術村で行なったグループ展です。制作の原点でもある、妹が脳腫瘍で亡くなったという事実にしっかり向き合おうと、脳の複雑なかたちを立体的な作品にして発表しました。

02_金沢市民芸術村_1999

この会場は作品を俯瞰できるつくりだったため、高さのある作品をぺちゃんこに潰したら面白そうとイメージしたんです。もともと美大では油絵専攻でしたし、描くという行為には馴染みがあります。鉛筆で描くときに紙のわずかな凹凸を感じることや、やすりで金属を削るときにギザギザしている刃が食い込んでいる感覚も好きなんですが、塩で床という支持体に描くときにも似たような感覚があります。
そしてもうひとつ、それは自分が作品の中に入ってしまえることです。床に拡がる巨大な塩のレースに包まれたい。そんな願いもあるように思います。

——2020年に制作された作品について教えてください。

03_土屋さんとのコラボ-collaboration_2020_tokyo-04*《幻想の銀河》ザ・ギンザスペース(東京)2020 撮影:鈴木賢一

THE GINZA spaceという資生堂のギャラリーで行われた「幻想の銀河 山本 基×土屋仁応」で、初めて他のアーティストとコラボレーションを行いました。緊急事態宣言直前の東京で制作し、オープンした直後に休館になりました。6月からは再開され、結果的には会期も延長されたのですが、銀座で制作していたときの異様な空気感は忘れられません。もともとギャラリーの天井が鏡でできている特徴的な空間だったので、床にも鏡を敷いてもらい、覗き込むと合わせ鏡になって永遠に作品の世界が続くようになっています。鏡に映った土屋さんの鹿の彫刻がより魅力的に見えるよう、どう描くべきかを考えながらの制作は楽しかったですね。

04_土屋さんとのコラボ-collaboration_2020_tokyo-19《幻想の銀河》ザ・ギンザスペース(東京)2020 

私は誰かのために制作するのではなく、あくまで身内の死という現実を受け入れるために制作を始めました。他者が私の作品に介在することは嫌でしたし、「海に還るプロジェクト」のように自分以外の人が作品を壊すなんて考えもしませんでした。でも時間が経つにつれて心がほぐれ、少しずつ他者が介在することも受け入れるようになりました。
私は大切な人との思い出、若くして亡くなった妹や妻と過ごした時を忘れないためにつくり続けていますが、辛い経験を忘れることも人が生きる上では欠かせません。忘れることができるからこそ、私たちは前に進むことができます。私は忘れないため、忘却に抗うための装置としての制作をこれからも続けますが、思い出とどう向き合うべきかを問い続けていくと思います。

——いまお話にも出てきた、制作後に参加者と一緒に海に作品を還すプロジェクトについて教えてください。

塩なので「海に戻せたらいいな」と思っていたのですが、2006年にアメリカで開催された展覧会「Force of Nature」のときに提案したら快諾され、「海に還るプロジェクト」がスタートしました。会期が終わった時に美術館の清掃スタッフの方が、「Thank you Mr. Yamamoto」とモップで作品の上に感謝の言葉を書いてくれたことも嬉しかったですし、関わっている人たちが楽しむ様子も目に浮かび、作品が消滅するプロセスも作品の一部にできると感じました。

05_force of nature展-labyrinth_2006_charleston-新聞記事The Post and Courier, Charleston

「海に還るプロジェクト」と名付けてくれたのは、「Force of Nature」の報告展で関わってくれた京都造形大学の学生です。始めから制作、展示、そして塩を海に還すまでの一貫した循環があったわけではなく、やっている間にアイデアを色々な人からもらって、徐々にできあがってきた感じなんです。

06_海に還るプロジェクト-04

——今後やってみたいこと、挑戦したいことなどはありますか。

制作については、会場が決まってから、自分のやりたいことを膨らませていくという方法は変わらないと思います。どこにもない景色を自分でつくって、それが見たいという思いも変わりません。
妻が亡くなったあと、自宅の部屋の壁を埋め尽くすように大きく伸ばした家族の写真を貼ったのですが、私にとって制作はあくまで手段であって、大切な思い出を忘れないためにあると改めて気付きました。塩でインスタレーションをつくることも、写真を貼るという行為も目的は同じ。このようにインタビューを受けて、妻や妹の話をすることも作品づくりと同じような意味がある。忘れないために行なっているんだなと思っています。

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山本 基(やまもと・もとい)
広島県尾道市生まれ。金沢美術工芸大学卒業。2003年ポロック・クラズナー財団奨学金。長年、塩で床に巨大な模様を描くインスタレーション作品を制作。そのユニークで独創的なスタイルは国内外で高い評価を得ている。MoMA P.S.1をはじめ、エルミタージュ美術館、東京都現代美術館、金沢21世紀美術館、瀬戸内国際芸術祭、2012-14年 米国巡回個展等、国内外で多数発表。2016年に妻を乳がんで亡くしたこともあり、8歳の娘を一人で育てながら、金沢を拠点に活動している。
公式サイト http://www.motoi.biz/

プロフィール画像-2撮影:鈴木 登志代



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