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File.27 「わからない」「定義できない」をシェアしたい 川崎陽子さん (舞台芸術プロデューサー/KYOTO EXPERIMENT共同ディレクター)

伝統の街・京都で、演劇、ダンス、美術、建築など、大胆にジャンルを横断しながら、実験的な表現を創造、発信する国際舞台芸術祭、KYOTO EXPERIMENT(KEX)。川崎陽子さんは、この2月に開催されるKEX 2021 SPRINGからあらたに就任した、三人の共同ディレクターの一人だ。すでに10年の実績を持つKEXをどのように引き継ぎ、発展させるのか。コロナ禍で止まることなく変更、調整をくりかえす日々の中で、考え、対話し、描いてきたビジョンを聞いた。
取材・文=鈴木理映子(演劇ライター/編集者)
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(写真上)KEXのミーティングポイントの一つ「フェスティバルボックス」。インフォメーション機能のほか、チケットやグッズの購入もできる

——いよいよ今月(2021年2月)、KEX 2021 SPRINGが開幕します。もともと2020年秋の開催を予定だったのを延期にする発表があったのが6月。その後もさまざまな調整を続けられてきたことかと思います。

私たちがディレクターに就任させていただくことが決まったのが、2019年の4月。その後、準備を進めていくなかで、あいちトリエンナーレをめぐる問題やロームシアター京都の館長人事の問題が起き、今後の公共事業のあり方について、どういう発信をしていくべきか、あらためて考えないといけないと強く感じていました。そこへあらたにコロナウィルスという難題が現れて……これはもう、本当に予想外の出来事でした。
開催時期を延期したのは、できるだけライブの公演を実現したいという思いからです。その間に状況が改善することを期待しつつ、準備の時間を持とうと。もちろん、今となっては昨年秋の方が状況はよかったのかもしれませんが、この間にこのコロナ禍でどんな取り組みがありえるのか、ほかの実例を見ながら考え、アーティストとも個々に内容、発信方法について話し合う時間を持てたことには意味があったと思います。

——今回から使われるようになったKEXの新しいロゴは、一つの決まった形を持ちません。社会の変化、芸術をめぐる状況の変化、その軌跡をトレースすると同時に、その中でも活動し続け、模索し続ける意思を感じさせる、象徴的なデザインですね。

エクスペリメント=実験という名前のフェスティバルをやるからには、ここで扱う実験的表現とは何かということは以前から考えていました。ただ「何が実験なのか」にこだわればこだわるほど、思考が狭まってしまう面はありますよね。ちょっと矛盾するようですが、実験的なものを扱うからこそ、一つの価値観を示すということはやるべきではない。なんとも定義しようがないものが社会にとっては必要だし、それこそがこのフェスティバルで提示するべきものだろうと。ですから、いかに流動的でいられるか、決めないことをキープできるかというのが、私たちディレクター(塚原悠也さんとジュリエット・礼子・ナップさん)で話し合ったことです。で、途中で気がついたんですけど(笑)、三人だと意外とそれができるんです。一人だと一つひとつ固めて積み上げていく方向になりがちなんですが、三人いると広がるばかりですから。

MTGポイント_リビングアーカイブ映像や関連資料を紹介する「フェスティバルリビング」。ここに書き込まれ、配置されたロゴも、一つひとつ形が異なる

——12月に発表されたプログラムでは、地元の関西に足場をおいたリサーチをそのプロセスから開示していく「Kansai Studies」、上演作品の「Shows」、そして作品と社会とをつなぐ補助線ともなる知識を共有しながら対話を深めるプログラム「Super Knowledge for the Future [SKF]」が3本柱として打ち出されています。

あるテーマを設定して、「これをもとにプログラムをつくりました。どうぞ見てください」というだけでは、一方通行のコミュニケーションになってしまいますよね。それよりは、プログラムを通じて、さっき言ったような「正解のなさ」「定義しがたさ」をポジティブに示すことができないか。それが、地域に対してプログラムを開くことにもなるはずだと考えました。地域の調査と作品の鑑賞、自ら参加できる企画。三つの異なる形態の中で、「わからない」「定義できない」の楽しみ方を見つけていく。その体験を少しずつでもつなげられれば、より広い層の人たちと、このフェスティバルを共有できるんじゃないかと思います。

——もちろん、これまでと同様に上演作品を通じて現代社会が抱えるさまざまな課題や既存の芸術形式への「問い」を体験することもできます。そのうえで、より地域を知り、地域に開く柱を立てるということは、コロナ禍による移動の制限を始め、さまざまな距離(感)が見直される今、とてもタイムリーなことのようにも感じます。

世界中の芸術祭で取り上げられる流行、その興行サーキットに甘んじるのではなく、私たちオリジナルのサイクルをつくろうと話し合った結果です。特に意図はしていなかったのですが、今、この状況になってみると、この方向性により可能性を感じます。

08_中間アヤカ_岩本順平中間アヤカ&コレオグラフィ『フリーウェイ・ダンス』は、主に京都在住の人たちの「初めて踊った記憶」をもとに振り付けられ、4時間にわたって上演される
Photo:Junpei Iwamoto

11_Kansai-Studies_クレジットなしKansai Studiesに参加する建築家ユニットdot architectsと演出家の和田ながら。特設サイト(kansai-studies.com)でリサーチプロセスを公開する

——京都の街や人の気風について、川崎さんはどのように感じていらっしゃいますか。

京都は伝統的な古い街ですが、学生が多いせいか、とても若い気質があるんです。実験性の強い作品、たとえばヌード表現にしても、「これが新しい表現なんだ」と受け取ってくださる素直さを感じてもいます。そういう意味では、挑戦しやすい場所です。また、アーティスト同士の横のつながりもしっかりあります。京都芸術センターのような創造拠点では、自然と会話が生まれ、一緒にプロジェクトをやったり、といった自発的な試みも生まれています。コラボレーターも身近にいるし、劇場も身近にあるという便利さにかえって自足してしまう面もあるかもしれませんが、そんな中でもKEXがちょっと変わったものを提示したり、一緒に成長できるプラットフォームであれば嬉しいです。

——ところで川崎さんご自身は、いつどうやって舞台芸術に出会い、いわゆる「実験的」な表現に行きつかれたのでしょう。

子供のころにクラシックバレエをやっていて。習って踊るのはもちろんですが、たとえば『白鳥の湖』ってどういうバレエなのか、といった背景を調べるのが好きだったんです。そのうちに舞踊の歴史の本を買って読んだりして「西洋のお姫様の物語を日本人が演じるってどういうことか」なんて考えるうちに、創作の現場や作品を届けることに関わりたいという気持ちが芽生えていきました。私が高校生だった90年代には、ウィリアム・フォーサイスやピナ・バウシュといったコンテンポラリー・ダンスの招聘公演もまだ盛んでしたから、その影響も大きかったと思います。

——大学時代にはドイツ・ベルリンに留学され、その後も文化庁の在外研修でベルリンの劇場HAU(Hebbel am Ufer)にいらっしゃいました。

大学生の時、ブレヒトやハイナー・ミュラーの翻訳でも知られている谷川道子先生のゼミに入ったこともあり、ドイツで勉強したいと思うようになりました。といっても、勉強にはあまりついていけず(笑)、劇場のインターンをしていたんです。そこで「地域の中で劇場を運営するとはどういうことか」という関心を持ち始めました。クロイツベルクというトルコ系移民が多い地域にある劇場にいたんですが、当時の芸術監督が現代音楽が専門だったということもあって、生きていくのに必死な人たちはもちろん、ポップカルチャーやストリートカルチャーに関心を持った若者たちが、チケットを買って劇場に来るかというと……。でもその一方で、同じ地域にあるHAUでは当時の監督、マティアス・リリエンタールが、移民の演出家や俳優、キュレーターとのコラボレーションを積極的に行っていて、地域に何を提示するべきか、明確なビジョンを持って運営を進めていました。2014年にドイツに滞在した際、研修先にHAUを選んだのもこの経験があったからです。その時には監督はアネミー・ファナケレになっていましたが、やはり地域と劇場の接続についてはよく考えられていて、シンポジウムやディスカッション、映像上映など、作品上演だけではないプログラムへの参加の仕方が提案されていました。しかも、それらを上演と同列に打ち出すんです。なるほど、こういうかたちで思考を広げ、観客と共有していくのかと。このことはKEXのプログラムの三本柱にも、すごく影響しています。

——目下の目標はKEX 2021 SPRINGを走り切ることだと思いますが、そこから先のビジョンがあればお聞かせください。

まずはディレクターとしての任期が切れる2024年までにこの三本柱のプログラムをどれだけ発展させられるか。理想としては、それぞれが影響しあって、新しい創造が生み出されるといいなと思っています。それからもうひとつ、個人的なことでは、私自身の舞台芸術についての考え方に、新しい思考の軸を加えたいですね。ドイツで研修したこともあって、やっぱり私はヨーロッパ的な価値観に染まっているし、それがプログラムにも現れてしまう気がしています。日本人として日本で活動するのにそれでいいのか、という自分に対する疑問。このことはフェスティバルでも、それ以後の活動の中でも続けて考え、解消していきたいと思っています。

「複数の作品、プロジェクトが同時に走る。そこで起こることを俯瞰しつつ、構築していくこと。それが大変さでもあり、楽しくもあるんです」とフェスティバルの醍醐味を語る川崎さん。開幕直前の疲れを感じさせない明快な語り口からは、ディレクター就任1年目にして、コロナ禍に向き合いながらも常に「どうすればいいのか」を前向きに考え、奮闘してきた姿勢がうかがえる。閉じこもらず、積極的に開く。芸術と人、日々の生活との新しいコミュニケーションのあり方は、こんなふうに始まっていくのだろう。

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川崎陽子(かわさき・ようこ)
株式会社CAN、京都芸術センター アートコーディネーターを経て、2014年度文化庁新進芸術家海外研修制度によりドイツ・ベルリンにて1年間研修。帰国後はフリーランスのプロデューサーとして国内外の舞台芸術企画、アーティストマネジメントに携わる。The Instrument Builders Project Kyoto – Circurating Echo 共同キュレーター(2018年)。2011年よりKYOTO EXPERIMENT制作スタッフ、2020年より共同ディレクター。

川崎_写真Photo:Takuya Matsumi



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