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表現の裂け目と気持ち悪さが芸術の証明 13~15

13 魔力と呪いの美学ならエジプト

そんな古代エジプトのアート類が伝える情感には、魔力と呪いに近いような得体の知れない不気味さがあります。サブカルにみられる魔界伝説のルーツみたいな。

別に墓どろぼうを呪うための制作ではないとしても、闇の世界に通じるような、独特の不穏な気分をもたらせます。

今日、私たちが街の画廊やデパートで見る絵に心ときめくような、陽気な幸福感はありません。

不気味でちょっと怖い彫像類の数々は、見た瞬間「あっ、いやだな」と軽い嫌悪が走るような、ただならぬ気配があります。ハッピーどころか不吉。

そして重い。残酷とか残虐という方向へ入り込んでいて。

キャーと叫び目を覆うほどではなくても、何となくグロさを発散するムードがあります。玄関や床の間に飾って楽しい我が家を演出する、気分上昇をもたらす楽天性はありません。あれを飾れる家はマニアックでしょう。

「これ大好き」「かわいー」「いやされるー」「なごみます」とはなりにくいのが、古代エジプトのアート類です。

印象派や野獣派の絵画を楽しむ私たちの平穏な感性に対して、はっきりと挑戦的です。

14 ルーヴル美術館の魔界ぶりと現代

著者の家には考古学者ハワード・カーターの大判の本があり、カラー図版のアート類が目を引いた覚えがあります。

これが本物の美術だ、芸術というものなのだという認識の下地は、おどろおどろしさが混じるあの感銘かも知れません。

陽気ではなく陰気な方に芸術の本質があると、最初から気づかされました。後に知ったルーヴル美術館のコレクションも、まさに一致し整合しています。

ヨーロッパ名画には、否定的な気分をもたらし、軽いうつ状態に引き込む作風が多いのです。「美には死の影が差す」など、詩的な言い方もできるでしょう。

「ヨーロッパの美術には内容がある」という言い方は、このあらゆる作品に広くみられる深さと豊潤を言い当てています。

美術がキリスト教会の壁画から、市民のタブロー絵画に降りてきたのがルネッサンスですが、死を忌み嫌う方向ではなく、温存して発展させています。

今日の画廊で「まあ、すてきな絵ですね」と笑みがこぼれる、その世界とは違っています。

往年の名作たちは、はるかに不愉快な方に寄っているのです。明治大正に日本人が描いた洋画にも、ある程度反映していることもわかります。

著者はさらに現代の表現物にも、あの暗くかげった異様な情熱を探す視点を持ちました。すると確かに現代にも一応あるけれど、珍しいほど少ないのです。

昔の人は作れたのに、今の人に作れないのはなぜなのか。

実はできるのに、ヘイト対象となり引っ込まされた疑いもあります。芸術と社会との関係が、年月経て変わったと考えられるでしょう。

15 現代アートが混乱している原因もこれ

現代アートが混乱している原因は、意外に勘違いされています。

たとえば、作品の価値が決まっていないせいで価格が変に高くなり、鑑賞者が振り回されるという分析論があります。

「誰か上の人が価値を値段で示してくれたら、僕らも鑑賞できます」と言いたげな。

神でも人でもいいから全作品の序列を整理して、前もって一個一個の値打ちを末端の国民に教えておいて欲しい意味なのかも。作品ごとに星5つとか、1つ半とか。

美術の価値が決まっていない不備のせいで、現代アート界が大混乱した?、そうではありません。それは因果関係が逆立ちしています。

何を指して芸術と呼ぶか、何がどうなら芸術性が高いか、その焦点を結べないと作品だけ見ても判断不能でしょう。だから現代アート界は激しく混乱するのです。

価値がゆらいでいることが発端ではなく、芸術が何なのか見当がつかないことが発端です。絵を見てわからない人の多さが原因です。その結果、価格が暴れる順序です。

しかしこの他力本願も、今夜限りです。

「芸術は表現の裂け目だ」ともうわかっているのだから、夜が明ければ誰もが自力で価値を決められます。

どの作品が優れているかを見分けていく主役の座は、明日から皆さんの側に移ります。(つづく)

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