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三大画家タイプとダダ運動タイプのアート 13~15

13 現代アートの造詣はたったひとつ

・・・このように、行き過ぎた自由を是正すべきだとする、現代アート批判や反省が日本にも増えています。

それらの取り締まりに対して、著者は全く賛成できません。

この問題は、表現の自由の大きい小さいではないからです。手法が広がり過ぎた「程度の問題」とは、全然違う話だから。

行き過ぎなどと、ボルテージの高低で調節すべき対象ではない。

手加減や微調整による改善は、関係ない話。過度な自由表現をつつしみ、適度な自由表現に改めるべきだ式の、ひかえめなアートを歓迎する発想は違う。まんまと振り回されている。それが著者の判断です。

どの作品のどの自由を、何パーセント削減する規制なら、現代アート被害者の会は納得するのでしょう。

やり過ぎた表現とは、どの作品のことでしょう。

単純な話です。全部で二種類ある現代アートを、全部で一種類だと皆さん思っています。だから次元のずれに虚を突かれ、激しくかき乱され、現代アートがモンスター化して襲ってくる脅威にブルッてしまうわけです。

「二重の顔」と「図形ぐるぐる」は別次元の不思議だから、分けて考えるのがコツです。

『モナリザ』の謎と、『クロスワードパズル』の謎の、どちらが心を豊かにし、人生に花を添えるか、文化の創造育成に寄与するか、考えても無駄です。

紙と神を区別せずに混ぜて、カミの偉大さを言う授業みたいな感じ。全然頭に入らず、めちゃくちゃイライラするはず。

生徒が理解する難易度は極端に上がって、授業難民が続出するはず。

14 あのブラックボックス展も簡単な話

ダリが描いた「キリンが燃える驚き」と、『ブラックボックス展』の「暗闇で体を触られる驚き」も同様です。

確かにいずれも「驚き」という同じキーワードですが、別次元の驚きだと気づけば話はもつれないでしょう。

驚きつながりで、「どちらもアートなんだ」「芸術同士なんだ」と思ってしまう。だって芸術って予想を超えた驚きがあるんでしょ。びっくりさせるもんでしょ。ともにサプライズしてるし。「同じだよ同じ」。

これでは無駄に話がからまり、気も重いだけ。

リアルタイム体験者は、ショックで声が出そうになったと、そこも一字一句がぴたり一致しても、『燃えるキリン』と『ブラックボックス展』にはつながりがない点にご注意。

どちらも既成の概念を超えた、奇想天外なお騒がせアートです。どちらもあってはならない事態で、許し難い。どちらも問題作。

こうして何から何まで、言葉で言う特徴は同じ。

でも次元が違うから、混ぜるな危険。

両者をしれっと同類項でくくるから、皆さん自由表現に迫害される不安にさいなまれ、アートはこの先どこまで行くのだろうかと怖い未来を感じるのです。

怖くなって世直しを思い立ち、斬新なアートを排除して古典回帰を唱えるのは、間違った騒ぎ方です。

現代アートは二種類あるのに、一種類だと誤認して起きたパニックです。

『燃えるキリン』の絵は「三大画家タイプ」で、『ブラックボックス展』は「ダダ運動タイプ」です。

『燃えるキリン』は芸術で、『ブラックボックス展』は反芸術です。

15 芸術に対する反芸術が現代の流行

フランスの有名評論家ボードリヤールは、現代アートの大問題を論文にしました。(ボードリヤール著『芸術の陰謀-消費社会と現代アート』)。

しかし現代アート全体をひとまとめに語ったせいで、現代美術に特有の混乱が世界にうまく伝わらなかったのでしょう。大事な話をしたのに、世界中の美術家たちから石を投げられました。

日本の美術家からの、この論文への批判もネットに残っています。

ボードリヤールの失敗は、ピカソアートの奇抜と、焼き芋を配るアートの奇抜を、ごちゃ混ぜにしたまま論じたからです。前者は芸術。後者は反芸術。三大画家タイプとダダ運動タイプの、二種類ある時代です。一種類で考えたらだめ。

現代アートの最大のポイントは、芸術に対して反芸術という概念が世界に広がっていること。自由度が上がったのではなく、話がずらされている。

詭弁術とそっくりの、シャレの世界。現代アートに限って、大きく二種類に分かれています。一種類ではなく、二種類。

現代アートは二種類ある。だからひとまとめに語れない。二つに分かれる。三つはない。

この造詣を心得るだけで、従来の憂うつな胸騒ぎや被害感情は薄れて、アート全般を見直してみる気持ちの余裕が、数日で取り戻せるはずです。長くて21日。

するとあら不思議、現代アートは片寄っています。意外に右にならえで、尻取りふうに連鎖していると気づくのです。

いかにも同じ時代の産物同士で、感覚がむしろ似過ぎ。親せきみたいな作品群。パターンが決まっている。全部で二パターン。

自由奔放で何でもありのガチャガチャ大混乱に思えた不安は、一種類のつもりで実は二種類あって、二つの次元違いに振り回されてきたせいでした。

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