芸術家の尊厳を悼んで



取り敢えず美空ひばりについて書かなくちゃ。

心ばかりでも、あの人の尊厳を守らなくちゃと思って、矢も楯もたまらず拙い筆を執った次第だ。

でもそのために、先ずは紅白歌合戦に不本意に出場し、不本意に貶められた皆々様の、歌という芸術作品たちに、お悔やみを申し上げたいと思う。


昨晩人生で初めて紅白歌合戦を見て


あまりに悲しくて顔を背けちゃった。


私は自分でも演劇をやったり絵を書いたり、こうやって文を書いたりするから
あの手の尊厳の放棄は我がことのように心が痛いのかもしれない。
どうだろう。わかんないけど。

歌手のパフォーマンスの最中に、

マジックショー
お笑い芸人
けん玉
早着替え

「歌だけじゃ一切足りやしないんだから」
「お前の歌だけじゃパフォーマンスとして不十分なんだから」
という制作陣の思惑の中で
自分の生歌が背景に成り下がる様を、あまつさえリアルタイムで作り上げる歌手本人の気持ちはどんなだろう。

折角創作した我が子も等しい芸術作品を、我が手でマジックショーの添え物に貶めるのはどんな尊厳の放棄だろう。

年末の、「その年の話題の歌を振り返る」『歌番組』で
それなのに自分の歌だけで勝負させてもらえない添え物の気分はどんなだろう
自分の歌が小物だと、自ら表明しながらそれを歌うのは一体どんな気持ちだろう。

それとももうそこに芸術家としての尊厳など存在せず、あれは純に資本主義のさなかに最大利潤を求める機械的なエンタメのごった煮でしかない、何の感情も伴わないカラフルな視覚と聴覚情報の集積にすぎない何かなんだろうか。

歌番組のくせに歌を過小評価し、それだけじゃ足りないと思い込むチームの、歌番組としての尊厳はどこにあるんだろう。

悲しかった。


それでも彼らの尊厳の放棄は大小の差はあれ多少の能動性を伴ったはずである。
プライドとお金の中で揺れ動けた筈だ。
いや無理だったかな。事務所やマネージャーの奴隷なのかも。そうだとしたら可哀想だ。


ああやって歌手や芸術家が自らの芸術を、パフォーマンスを、即物的なエンタメのスパイスに自分の手で貶めてコケにして大衆のご機嫌を取る様。

ステージの上で尊厳を投げ打つ芸術家を見て、喜んで拍手する民衆。


まるでコロッセウムだ。

あの舞台の上で闘うことを選ぶのは
自らが奴隷身分であるという宣言だ。その上で生き残ることで喜んでいただいて
それによって存えようとする。

尊厳の放棄


尊厳の放棄に基づかないと歌うこともできないか
しかも歌番組で


これが紅白歌合戦か
まあそうだよな
番組のタイトルからして、競う必要もない筈の歌という芸術を
日々楽しむはずの、楽しんでいるはずの芸術を即物的な勝負ごとに貶めてしまっているものな
あんな場所に尊厳なんか欠片もありはしなくとも、

まあ、タイトル通りなんだろうな。


前回までの紅白歌合戦がどんなだったか、私は知りもしないけれど
昨晩の歌合戦で日本という国が歌を馬鹿にするスタンスなのは伝わってきた。
とっても悲しかった。



しかしながらあの尊厳断捨離大会が死者の尊厳にまで手を伸ばそうとは。


美空ひばりさん。
私はあなたが亡くなって8年後に生まれて
あなたの時代の人間ではないから
あなたの歌、川の流れのようにと、愛燦燦くらいしか知りはしないが
あなたがあんなものの為に生まれたのではないことはわかる。


秋元さん、今度ばっかりは許さないぞ
いや元々許してないけどさ。

秋元康のアイドル産業は、
「俺の理想の女像」の具現化であり、その理想にはまる個性だけを上手に選んで押し出して、《都合の良い範囲での個性的》を生み出すことで己を正当化してきた。

それは48系列の
《制服という枠組みからはみ出さない個性》を慈しむコスチュームデザインにも強烈に象徴されてるし、まあなんというか特大の皮肉をもってそれを嗤おうと私は思うんだけど。
(アイドルの子たち本人の強かさは凄く好きだったりするけども)

しかし兎に角矢張りこれも
ある種尊厳を刈り込む行為
能動的に自我の一部を消去する行為


それを女にさせてきた秋元さんがAI美空ひばりやっちゃうの超わかるわ。

『俺の理想の女子』を、女の実像を資源に作り出す行為
女を刈り込む行為
『俺の理想のひばりママ』を、美空ひばりの記録を資源に作り出す行為
美空ひばりをズタズタにする行為

最大の相違点は本人の意思の介在の有無。

アイドルは自分の意思をもってオーディションに訪れるけど
美空ひばりは刈り込まれることを望みはしなかった。
あんなことのために生きたわけじゃない。

釈明しとくけど川の流れのようにが秋元康なのを調べるくらいの宿題はやった。作詞者だからって歌う本人を0から形作るのは端的に言って無礼の極みだ。

秋元康の所有する奴隷としてコロッセウムで戦わされたようなものじゃないか。
しかも本人は意識なしだ。
非人道的にもほどがある。

尊厳死って言葉がある。
しかしあの秋元康、美空ひばりの死の向こうまで、
尊厳を刈り取りに追いかけてきやがった。

『俺の理想のひばりママ』にヨシヨシしてもらいたかったんですね。ってあのAIひばりの独白を聞いて思った。率直に言って気持ち悪い。おっさんがばぶみを感じておぎゃりたかったからって、不本意にゆがめられる美空ひばりの人格を、尊厳を、なんだと思ってやがる。


生きた若い女は強かに生きるため能動的にそうして自我の一部を消去して、又は上手く隠して生きているが(私だってそうだ)、
死んだ女の尊厳の放棄、本人の手の届かない場所での放棄はダメだよ。

死んだら、「強かに生きるための自我の消去」など関係のない世界だ。無理して笑いながら奴隷宣言をして、己の芸術を地に貶めるようなさもしい真似などしなくてよい世界に、彼女はいたのに。あの捨てなくてよかった、死して確立された尊厳までを、秋元康、あなたは奪いやがったな。

あんたがヨシヨシしてもらいたかっただけ。あんたと、あの息子とが。

たったそれだけで、全国放送で彼女の尊厳を奪ったな。日本全国の、「俺のひばりママ」がいなくなって甘えたくて泣いてるはた迷惑なガキどもがおぎゃるためだけに、美空ひばりは本人の気が付かぬところで、したいとも思ってないしする必要も全くなかったヨシヨシをさせられた。端的に言ってめちゃくちゃ気持ち悪い。

自分の甘えたを満たすためだけに、女の自我をないがしろにしてその人格を歪めるのがさぞ楽しいとお見受けする。自分より弱いと思い込んでいる若い女にばかりそれをするのかと思ってたけど(それも嫌だけど)、まさか形式状の同意も得られない、知りようもない死者の意思まで欺くとは。それもあんたの赤ちゃんプレイのためだけにだ。

あんなの、撮ってないリベンジポルノ流されてるようなものだ。

美空ひばりはあんなの撮ってない。美空ひばりは進んであんな赤ちゃんプレイに興じたことなどない。

あれは実像じゃない。
皆わかってると思うけどさ、忘れてくれるな。


byさつき

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