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東京アダージョ:老人と公衆電話

東京アダージョ:老人と公衆電話

最近、まず、公衆電話を見ることは少なくなった。
もう、ずいぶんと前の話だが・・・

自宅(集合住宅)への最寄り駅前に東急ストアがあった。
その前にある公衆電話から、帰宅途中に、自宅の小さい子どもに電話をしようと受話器をあげると、電話機の中に100円玉が残っていた。
前の人が、つながらずに、チャリンと返金されたことに気づかず、そのまま、立ち去ったのだろう。
遠くにゆっくり歩く、そのご高齢の方を呼び止めて、その100円を渡した。
その方は「きょとん」としていた。
急に、走ってきた私が呼び止めたので驚いたのかも知れない。

それから、また、公衆電話に戻り、自宅に電話をした。テレホンカードの時代だったが、小さい娘の話は、途切れる事なく、今日の幼稚園での1日を話なす訳なのだ・・・
ずいぶんと長い電話になった、それでも、普段の会話の手段と違い、電話で話すことが、嬉しかったのだろう。
取り止めのない内容だったのだが、やたらと長い、それは、現在の娘の基本要素かも知れない・・
誰でも、子どもの時は可愛いものだ。

そして、受話器を置いた時、先程の老人が真横に立っていた。
それは、話に夢中になっていた自分には気が付かなかったが、長いこと、そうしていた様子だった。
「君、すまん、ありがとう」
「えっ、いや、どうも・・」笑顔で返すしかなった。
「最近、こう言うこと、私は多いんだよ・・」
「あっ、それだったら、ぼくもなんですよ」(笑)
「いや、今の世の中に、君のような好青年が、この時代にいると言うだけでも、日本も捨てたもんじゃない。そう考えると、今、私は嬉しいんだ。」
「いや、ほんと、そんなんじゃないですよ。ただ、当たり前のことで・・」
「それが、今の若いもんにはできんのだ」
「はぁ・・」
そして、また、繰り返し・・
「君、本当に、ありがとう、嬉しい日もあるんだな、日本にも未来もあるだろう・・」
「いや、そんなんじゃ・・」
・・・・・・・
・・・・・・
・・・・
・・・

しばらくして、そのご年配の方を思い出した。
同じマンションに住む方だったのだ。
そして、よく私は、車で出かけてくると駐車場が少し離れたところにあるので、マンションの入り口の臨時パーキングスペース(配達やタクシー用)に、車を止めた。そして、子どもたちや荷物を降ろして、急いで部屋まで、運んでいると・・・
駐車したことを、大声で、何回か、激怒されたのが、そのご老人だったのだ。

その時は、「その常識の無さが日本をダメにする」と言われていたのだ。
そして、確かに、ルールの多いマンションだったが、バブル時代に越してきたと言う、ご年配の方も多かった。
そこでの私の住む部屋は、海外にいる知人から、ほぼ管理費だけで借りていたので、できるだけ穏やかに済ませたかった。

ただ、小さいお子さんの居る、ご近所の方々も、いつもそうして、叱られていたそうなので、誰にでも、そうだったのだろう。
そう言った意味で、そのマンションでは、以前から有名な方だったそうだ。

でも、その方に褒められたのだ。「日本の未来を・・」まで言われて、ご近所の方々に家内から、ほんとは、良い方であると伝えたらしい、それも余計な話だけれど・・・

それから、ずいぶんと時が経って、高速のゲートに、その方の車が上って行くの見たことがある。
覗き込むと奥様が、一人で運転なさっていた。
見覚えがある、その車は、マンションの地下のパーキングの朽ちて置いてあるので、思い出が詰まって廃車にしないのだろう、と他の住人は言っていたが・・以前は、いつも、ご夫妻で乗っていた・・
かなり古い車で、縞模様ように赤錆に覆われていた。それは、動いたのだ。
車検もある(?)のだろうし、きっと思い入れがあるのだろう。ただ、あのご老人、いや、ご主人はどうなさったのだろう・・

話は戻るが、公衆電話の一件があってからは、マンションの入り口前ではなく、裏の道で、子どもたちを降ろすようにした・・・
そうしたのは、また、いつものように、自分は、良い人になりたいの訳なのだ。いずれにしても、日本の未来は、自分あたりにわかるはずもないが・・

#東京アダージョ #公衆電話と老人   #短編

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