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2010年のターナー賞の打ち上げは抗議で迎えられた・・

2010年のターナー賞の打ち上げは抗議で迎えられた

2010年のターナー賞の今年度の打ち上げは抗議で迎えられたのだ。
それは、物議を醸している現代美術賞-ターナー賞は、写真家や芸術家グループによる抗議の中で発足した。

そのロンドン中心部のテート・ブリテンでのターナー賞の発表は、当初、写真家がテートに「悪評をもたらす」画像や言葉(サウンド)を公開できないというフォームへの署名を求めた後、ボイコットされた。

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Tate Britain Art Gallery-2010

21stの現代アートの原点が議論された・・

21世紀型の現代アート(コンセプチュアル・アート)の原点が議論された、という視点かも知れない。

「ヨーロッパで最も権威のある視覚芸術賞の1つ」と評されるこのターナー賞の候補の1つは、グラスゴー生まれの芸術家スーザン・フィリップス(Susan Mary Philipsz OBE,1965- /アーティスト・彫刻・サウンド)による伝統的な民謡「Lowlands Away」の3つの別々のバージョンの録音だった。

スーザン・フィリップス/Susan Philipsz

サウンドインスタレーションが最終候補に選ばれたのは、これが初めてだった。
そのアーティスト(スーザン・フィリップス/Susan Philipsz)は、この曲「Lowlands Away」の3つのバージョンを録音した。これは、海で溺死した男性が恋人に死を告げるために戻ってきた物語。
そして、これが最終選考された。

'Lowlands' - Susan Philipsz Turner Art Prize Winner 2010

キュレーターのキャサリン・スタウト(Catherine Stout -tate)は、それは「非常に物理的な作品だ」と語った。
「それは、そうでなければギャラリーの空虚さを演じる」-Catherine Stout

テイトブリテン・ギャラリーでの抗議-2010

そして、ギャラリーの外では、別のアーティストのグループによる抗議もあり、彼ら自身をスタッキスト(Stuckism/コンセプチュアル・アートに対するフィギュラティヴ・アートの優越とその価値の称揚を主張)と呼び、最終選考に残った作品は「pretentious and vacuous」(思い上がった、無意味な作品)と述べた。
写真家との2時間のスタンドオフ(避ける)は、テートがフォームに署名せずに打ち上げに参加することを許可し、その後のイベントの前にレビュー(批評)すると述べたときに終了した。

(註)フィギュラティヴ・アート(Figurative art):現実の対象としている、「リプレゼンテーショナル」(描写的、具象的)と定義される。
そして、抽象芸術が現れて以来、「フィギュラティヴ」という語は、現実世界と関係を持つ近代美術の様式に使われた。

サウンドインスタレーションは、視覚芸術である美術からはある意味、距離があるかも知れないが、表象の概念は時と共にパラダイムシフトする。

冷たく、機械的なでたらめ

従来から、「ターナー賞を受賞する芸術のほとんどは、ある種の非常に現代的なゴミであり、重要な名前で偽装されたゴミの集まりです。」という美術評論家もいるのだ。
また、2002年には、元文化大臣のキム・ハウエルズ(Kim Scott Howells,1946- /ウェールズ 労働党の政治家)は、エントリのそれぞれを「冷たく、機械的なでたらめ」と呼んだ。
(註)ターナー賞2002年は、キース・タイソン(Keith Tyson,1969- /絵画、ドローイング、インスタレーション)

確かに、ターナー賞は、過去に悪評のシェアしていた、とも言われる。
ただ、アートの全体像、そして、現行の現代アートの移行期(パラダイムシフト)ついては、評価は様々であり、それで良いのかも知れないが・・・。

それは、例えば、1999年のターナー賞において、アーティストのトレイシー・エミンは彼女の作品「マイベッド」の最終候補に選ばれた。

当時のイギリスの文化・メディア・スポーツ省のクリス・スミス(Christopher Robert Smith,1951- /イギリスの政治家、労働党)が、「衝撃的な」インスタレーションを意図的に選択したことを批判している。

そして、チャップマン・ブラザーズ(Jake and Dinos Chapman/2003年にはターナー賞にもノミネート)の作品等も、論争となっていた。


ターナー賞は、1984年に「英国の現代美術の新しい発展についての公開討論を促進する」ために設立され、50歳未満の英国の芸術家に開かれている。ただ、感性に年齢はあるのだろうか?

そして、繰り返すが、21世紀型の現代アート(コンセプチュアル・アート)の原点が議論された、という視点かも知れない。

日本では、都議会で-1995

そして、ターナー賞2010は、繰り返すが、現代アート(コンセプチュアル・アート)の原点が議論された、という視点かも知れない。
日本では、都議会で、ヘアリボンの少女 - Girl with Hair Ribbon (油彩、1965/Roy Lichtenstein)を、当時、約6億円(618万ドル)で購入時(1995)に、マンガのような絵画を購入した時点で同様なことが起きている。

ただ、それが、日本における、ファインアートから、現代アート(コセプチュアル・アート)の認識の始まりの時点だったのだろう。

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