虐待の詳細

記憶に残っているものを断片的に書きます。

母が怒りだすタイミングは誰にもわかりません。
どんな些細なことでも言いがかりをつけて突然怒り始めます。

◯小学生の頃◯

母がテレビをみている時に、私が咳をしたり、体制を変えたりすると衣擦れの音が煩いようで…
[うるさい!!静かにしろ!!]
と怒鳴り始める。
そして蹴る。
馬乗りになる。
髪を引っ張って引きずる。


風呂場で殴る。
桶を投げつける。
水を張った浴槽に頭を押込む。

私は母とお風呂に入ることを強制されていた。
毎日痛い事されませんように、と祈りながらお風呂に入るけど『シャワーがかかった』とか言いがかりで突然母が切れだす。結局上の仕打ちをうける。
母の休日。私宛に友達から遊ぼうと家電に電話がくると
『私を裏切るのか?!私を置いていくのか?!』
『お前と遊びたいヤツなんて誰も居ない!!』
と睨んでくる。
(どうやら母は家で1人になるのが怖かったみたい。)
私は遊びに行ったらまた殴られるんだろうなぁと怖くていつも友達の誘いを断っていた。
すると母の機嫌はとてもよくなって、一緒に折り紙をしてくれた。すごく嬉しかった。
だけど束の間で、5分もすれば母は布団に入って寝てしまう。遊びたい盛りの私も布団で寝ることを強制される。昼から夕食までの長い時間を布団で過ごす週末。友達はみんなで自転車乗り回して遊んでるのに…退屈で仕方なかった。

汚い手で触るな!
母と私は並んで食事していたので腕がぶつかったりすると叫ばれる。

食事抜き
母の機嫌が悪いときは食事をもらえない。二階に追いやられる。母はゆっくりテレビ鑑賞。

睡眠を与えない
母は夕食後(祖母が作る)
私を二階の寝室に追いやる。
その後24時頃まで一階でテレビをみる。
私は眠いし寒いので布団を敷きたい。
だが、一度布団を押し入れから出して強いたら母が『汚い!!引きずったんだろ?!布団に触るな!!』と怒鳴り殴り飛ばされた。
そこから布団に触ることを許されなくなった。
かといって布団を敷いてくれる訳でもない。
冬でもストーブをつけることを許されていなかったので、ついてもいないストーブの前で震えてながら母がテレビに飽きてやってくるのを待つしかなかった。


私は母が怖かったので、すぐいに謝ると決めていました。
小さいときなぜか身体がソワソワしてじっとしているのがすごく苦痛でした。

我が家は古い家で8畳の居間。
真ん中にちゃぶ台。それを囲むように母と私と姉が座るというのがスタンダード。

家族構成は祖父、祖母、父、姉、私。

半分二世帯住宅みたいなもので、家に階段が2つあり片方の階段を上ると祖父、祖母の部屋。もう一方は、母、父、姉、私の部屋でした。
母は会社勤めで夕方に帰って来て一度自分の部屋に戻ります。

母と祖母は仲が悪く(母が祖母に怯えているようでした)二人はできるだけ顔を会わせないようにしていました。

なので祖父母は夕方になると食事をすませ、自分達の部屋に戻り、その後に母が私と姉を引き連れて居間に降りて夕食という日常でした。
父は仕事が遅く家にはほぼいません。


続く


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