個性と魅力
〜消そうとしても消せないのが個性 出そうとして出ないのが魅力〜
…かな。 雨の合間。そんなことを考えていました。
写真とかDTPとかクラウドソーシングとか…いくつかの経験を重ねましたが、個性を尊重されるというよりは個性は抑えるものと考えるようになっていました。
汎用性の高い作品は心に響かない。
刺身に添えられた大根のツマやお寿司のガリのような存在であることが求められるような気がしています。刺身やお寿司がメインですからツマやガリが主役になっちゃいけません。中途半端なものでもいけません。
もっとも寿司職人的技術は求められている気がしますから大切な仕事をやっていることに違いはないわけです。
個性を活かしたくて関わった世界とは、個性を殺さなくてはならない世界なのでした。我を殺し、ひたすら技術を磨く。
才能とは個性のことを意味するのであれば、誰もが才能を持っている筈だろうと思うのです。そもそも個性とは相対的な関係だろうと思いますから、二人以上いれば何かしらの違いはあって当然。即ち才能はあって当然なのです。問題は、その才能をどう活かして行くかなんでしょうね。
個性を活かす機会があれば、それは才能と呼ばれ尊重されるようになる。
個性を活かす機会がなければ才能とは呼ばれません。場合によっては宝の持ち腐れとなります。
審査員によるコンテストであっても投票式のランキングであっても優劣をつけようとするとそれぞれの良いところをを比較して最小公倍数の魅力にスポットを当てることになります。他の数多の才能には光が当たらなくなるわけです。
個性があれば何でもいいかと言えばそうでもないようです。そこに魅力が必要になるんですね。
魅力ってどうやって出したらいいんだろう…そう考えていて、はたと思いついたのです。もしかしたら自分を殺してたくさんの仕事をこなして身を削るような想いを繰り返しているうちに魅力の芯が出て来るのか…と。だからこそ、個性は消そうとしても消せず、魅力は出そうとして出るものではないのかなと思うのです。
やり方は人それぞれなのかも知れません。それでも、激しい流れや過酷な流れの中で泳ぐことが力になることもあるのでしょう。
そう考えると…ボクはまだまだ辛抱が足りなかったかもしれないと思えて来るのでした。
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