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想いを形に
〜あるがままと思うまま〜
作品を制作する際の取り組み方は様々だと思います。何しろ創作活動は幅が広くて奥が深い。生きることそのものが創作活動かもしれないとすら思います。
あるがままに撮る姿勢と思うままに撮りたいと言う想い。
あるがままに描きたい姿勢と思うままに描きたいと言う想い。
ボク自身の取り組みを考えてみると「あるがままの表現」と「思うままの表現」は少し違うような気がします。
写真の場合は「あるがまま」の要素を強く感じます。撮影対象の美しさや面白さを引き出したいと思った時「思うまま」に撮る必要性を感じるのではないでしょうか。あるいは先にイメージがあって、そのイメージのような撮影に取り組む場合は「思うまま」でしょう。
美しい夕日を撮影した
…あるがまま
美しい夕日の美しさを強調したかった
…思うまま
美しい夕日を撮りたいので撮影に出かけた
…思うまま
作品にする場合は「思うまま」に制作することが大切ではないでしょうか。もちろんあるがままで美しいものはたくさんあります。たまたま奇跡的な作品が生まれることも否定しませんが、美しいものをあるがままに美しく撮影するだけでも技術や知識は必要です。
写生やスケッチやデッサンはあるがまま。繰り返しデッサンするのはあるがままに描くための技術を身につけるための修練であると考えることが出来るでしょう。同時に描くための知識や経験が身について行くことになります。そしてやっぱり作品にする場合は思うままに描く必要を感じます。もちろんあるがままの美しさを作品として表現しようと言う場合はあると思います。その場合でもやっぱり「あるがままを表現する」という想いが込められますから、作品としては思うままに制作できることが大切だと思います。
デザインに関してはどうでしょう。クライアントの注文によって制作に取り組む場合が多いかと思います。受動的に制作に取り組むのとあるがままなってしまいがちです。あるがままというより言われるがままでしょうか。そこに思うままの要素をどれくらい活かすことが出来るかによってデザインも作品としての存在感が生まれるのかもしれません。
イラストを描いていると時折感じるのです。思うままに描いているはずなのにあるがままになってしまっていると。ある程度描くことに慣れてくると身体が描くことを憶えるので描くことについて考えなくて良くなるのです。自分の絵柄やスタイルになってくることは願ってもないことなのですが、思うままに描こうとすると手が止まってしまうのです。そこにステップアップのきっかけがひとつ必要なのかもしれません。
そう言えば、ギターを弾いている時も同様の感覚がありました。ある程度自分の好きなコードが決まってくると、そのコードの繰り返しで表現する方が楽になります。もちろん無駄に難しいコードを使う必要もありませんが、新しいメロディーラインや新しい奏法を研究して行く姿勢が「思うまま」に通じるのではないでしょうか。
「あるがまま」は素直さやさりげなさ。
「思うまま」は、意図や意思。
…そんな感じでしょうか。
創作活動を始める頃、時として最初から思うままに作品にしようとしてしまいがちです。思うままに表現する為に知識も技術も経験も省略してしまおうとするわけです。考えてみると知識も技術も経験も形のないものであり、個人的なものです。誰一人として同じものを持っている人はいません。したがって、その人が持っている知識や技術や経験以上の作品を創ることは難しいのではないかと思います。
創り続けるには、ある程度の完成度を維持できることも必要ですから、やっぱり一朝一夕で簡単に出来るものではないのです。
そう考えれば、試しに作品を創ろうと取り組んでも思うように行かなくて当然でしょう。
「なんてつまらない作品だろう」
「なんて稚拙なんだろう」
自分の作品にそう感じるとすれば、それは想いの大きさや期待の高さを意味しているように思います。その想いをいつか形にしようとする想いの強さがあれば創作活動の旅が始められるでしょう。
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ご精読ありがとうございました。
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