LOVE Letter
ラブレターを書いたことありますか。
…と書き始めて早速恥ずかしくなってます。
初めて書いたのは中学生だったかな。パソコンもスマホもない時代ですから、気持ちを伝える手段はそれくらいしかなかったんですよね。卒業を前にして3年間好きだった女のコに一言だけ気持ちを伝えたい一心でした。メモ用紙のような小さな紙の切れ端に書いて小さく折り畳んだんじゃなかったかと思います。結果は見事に当たって砕けた感じでしたが、不思議と清々しい気持ちになったことを覚えています。
それからしばらくは想いが募るとラブレターを書くことが定番となりました。そして砕け散るのも定番となったので褒められたものではありません。当時は、ボクが好きになった証として記念にして欲しいくらいの気持ちで書いていた気がします。思い返すと恥ずかしいばかりです。
あのラブレター…ちゃんと処分してくれたかなぁ…。
そういえば、ちょうどバレンタインシーズンですね。あまり良い思い出がないので、ただ小さくなってやり過ごすのが精一杯。何かの間違いでチョコをいただいてしまうことがあると、義理チョコやお愛想だったとしてもお返しをどうしようかと頭を悩ませることになります。
クリエイターという仕事はイベントシーズンになればそういう気持ちに蓋をしてもハッピーなデザインをしなくてはならなかったりするのでなかなか辛い商売だとも言えるかも知れません。
ラブレターやチョコレートとは縁のない今日この頃ですが、ふと思ったんです。
作品はラブレターに似ているなぁ。
思えば、昨年4月にnoteを始めて10ヶ月になります。多くの出会いや別れがありました。継続するのは簡単なことではないですね。
ボク自身も何度か気持ちのギアをシフトチェンジして、続けながら向上する方法を模索し続けています。いつ頃からか「noteは趣味ではなく仕事」と自分に言い聞かせたりもしていました。仕事なら続けるのが義務になり苦しくなってもやっていけると思ったのです。
仕事だと考えるようになると以前よりボクの作品のクオリティが気になり始めました。そして自分でなかなかOKを出せなくなりました。それは長い目で見た時、きっと大切なことになると思っています。ただ、それも続けていると何か物足りなさを感じるのです。
そんなある時、作品を描いていて「なんだかラブレターみたいだなぁ」と思いました。
どこかの誰かのために想いを込めて作品を描く…。
「伝えたい想いは何なのか」
「どう表現すれば伝わるのか」
「幸せな思い出として残ってほしい」
作品の内容は必ずしもハッピーではなくてもやっぱり誰かのためになればと願う。それはボクが作品を世に送り出す意義であり、やり甲斐に繋がるような気がします。趣味とか仕事とかはもう関係ありません。
それはさしずめ神様に宛てたラブレターでしょうか。
「お客様は神様です」
…三波春夫さんの言葉を思い出します。
素敵なバレンタインを♪
… ART Life …
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?