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天使と悪魔

〜天使の取り分〜

 お酒を醸造する樽から数%が蒸発して失われることを「天使の分け前」とか「天使の取り分」と言うそうです。ちょっと調べたら映画やドラマのタイトルになるほど有名なお話のようです。

 ボクの住んでいる地方は果樹が多く、この時期は道端から手の届く所にサクランボがたわわに実っていることもあります。以前、長野県を通りかかった時、街路樹にリンゴが使われていて驚いたことがありますが、地元では飽きるほど目にしているものなので見慣れた光景であり、それを手に取って食べようと言う発想にはなりません。
 ところが、近年サクランボ泥棒が多発するようになりパトロールも強化されているようです。どういうわけか同じ農家が狙われることもあって不思議に思うこともあります。サンランボが熟す頃、自転車で果樹園のそばの道を走っていたりすると疑われないかと心配になることもありますが、たぶん自転車で走るサクランボ泥棒なんていないですよね。年間を通じて世話をしてやっと収穫の時を迎えると言うのに盗むなんて言語道断です。天使の取り分どころかごっそり持って行くわけですから。

 サクランボを持って行くのは人間ばかりではなく、野鳥もそうなのです。ムクドリとかヒヨドリ辺りが多いのでしょうか。特にムクドリは群れをなすので警戒されているようです。以前は定期的に破裂音を発することで追い払うことが多かったように思います。最近では、鳥を絞め殺すようなひどい鳴き声がエンドレスで流されていて、そばを通りかかるととても不愉快な気分になります。他にも超音波的な人工音を流す試みもあるようで自転車で果樹園の中に迷い込んだりすると通り抜けるまでおかしな感覚になることもあります。
 昔は野鳥だって害鳥ではなく益鳥だったようです。果樹についた害虫を食べたりしていたわけですね。たぶん昆虫限定の肉食の野鳥なら嫌われることもなかったでしょう。実際には雑食で昆虫も食べるし果樹も食べるので害鳥対策として果樹全体に網を張るなどして鳥が寄りつけないようにしてしまいます。意外とそういう対策をしていない果樹の実が残っていたりすねので不思議に思うこともあります。野鳥によっての防虫が出来ないとなれば、人の手によって別の対策が必要になります。

 今年の冬、雪のある中を散歩のつもりで歩いて出かけました。馴染みのコースを歩いていたら桜まつりの会場になる地元の公園で果樹園でお馴染みのけたたたましい鳥の叫び声が響き渡っていたのです。もう散歩どころではありません。誰もいない雪の公園で響き渡る鳥の叫び声。違和感を覚え不愉快になりつつ考えました。どうやら野鳥による花芽の被害を軽減し桜まつりに備えたものではないかと思い当たりました。そこまでやるのかと思い、春になって満開に咲き乱れる桜の花を見て複雑な心境になったのも確かです。

 近年は鳥インフルエンザの問題もあり野鳥を敬遠する傾向にあるので、野鳥が多いことも地元のお気に入りポイントの一つであるボクは複雑な気持ちになります。

 山から離れた場所に胡桃の樹が育つことを不思議に思ったことがありました。胡桃の実は柳のように種が風に飛ばされるわけもありません。山から転がって来るには遠すぎます。思い当たったのはカラスです。田舎ではカラスが拾って来たクルミを道路上に落とし、車に踏ませて割るのはお馴染みの光景です。もしかしたら拾って来た胡桃を良さそうな場所で落として行くのではないでしょうか。条件が良ければ胡桃は育ち、やがて実をつけます。胡桃の種まきしたカラスが健在ならその胡桃を味わうこともあるでしょうし、子供や孫の世代…或いはカラスの仲間がえさ場にするかも知れません。もしそんな風を計算してやっているならカラスの知能は計り知れません。
 ゴミをあさったり、時に人を襲ったり、忌み嫌われることの多いカラスですが、知られていない顔を持っているのかもしれません。

 以前、健康な魚を育てるために必要なのは健全な環境だったと言う話に感銘を受けました。考えてみれば当然のことです。ただ、その健全な環境が失われつつあるのも事実。
 健全な環境には天敵もいて育てている魚の何%かは天敵によって食べられてしまうのだとか。

 天使と悪魔が別の存在であるとは限らないのです。

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